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zoom RSS ネガイネガワレ 15

<<   作成日時 : 2017/04/29 11:58   >>

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真っ暗闇の中、階段をずうっと降りていくと――下の方にぼんやりした明かりが見えてきた。もうじき底につくようだ。
明かりがあるということは、そこに生活の場なり、仕事の場なり、何かしら人間の活動場所があるということだ。
誰かがいるかもしれない。鉢合わせしたら面倒なことになるだろか。
……私は足を止めて、今降りてきた方を見上げる。
上へと続く階段の先は果てない暗闇に吸い込まれているかのようで、見ているだけで心細くなる。
今さら引き返せるものか。勉強の時間もとっくに過ぎた今、皆の前へ……デニスの前へ、どんな顔をして出て行けるというのだ。
彼の横顔が脳裏を横切って、私の胸を締め付ける。
嫌だ。今は顔を合わせられない――今後もしばらくは。

私はなるべく足音を立てないように気をつけながら、そろそろと階段を降りていった。
やがて階段の終着地点が見えてくると、風が頬を撫でつけた。冷たくて、新鮮な空気をはらんでいる。
もしかして外につながっているのだろうか。いやしかし、何故。この建物には出入りできる場所がある。わざわざ地下に通路を通す必要なんてない。
耳を澄ませると、水音がする。
通路ではなく、水路ということか。ますます意味がわからない。水路を通す必用なんてあるのだろうか?

私は最後の一段に足をかけると、壁にぴたりと身を寄せた。そばには火の灯されたカンテラが掛けられている。見えた明かりはきっとこれだ。
おそるおそる覗き込むと――そこには、なみなみと水をたたえた水路があった。縁には杭が打たれていて、木の船が繋がれている。
私の位置から見て左側は壁になっている。右側へはひたすら空洞が続いていた。
ここを通って荷物の出し入れでもしていたのだろうか。わざわざここを使わなくても、地上からできるだろうに。

考えにふけっていると、上の方からギイイ、と重たい扉の開けられる音が聞こえてきた。数名の人間の気配がする。
一瞬、それを私のことを探しに来た守衛か誰かだと思った。真っ先に頭をよぎったのはデニスだったけれど。
しかしそうではないことがすぐにわかった。

「おらっ、速く歩けっ」

低く抑えたその声に聞き覚えはなかった。
続いて、うう、とくぐもった声がする。
次に聞こえてきたのは、階段を降りてくる数人分の足音。

背中に冷たいものが伝った。
これは見つかってはまずい人種だ。隠れなければ。
私は足音を忍ばせ息まで押し殺して、素早く周りを見渡した。
隠れられそうな場所は……階段の裏側ぐらいしか見当たらない。
私は階段の裏側に入り込み、寒さに縮こまる犬か猫のように身を丸めてなるべく下の方へと体を押し込めた。

そっとのぞき見ると、後ろ手に縛られて口に布を噛まされた女性が、何人かの守衛に引き立てられてくるところだった。
確か、この前吐き気がすると言って勉強を免除された女性だ。

「乗れっ」

守衛が先に一人、木船に乗り込んで女性を引っ張る。しかし彼女は嫌だと言わんばかりに頭を振り、全力で足を踏ん張った。

「手をかけさせんじゃねえっ、くそアマ!」

後ろから別の守衛が女性を棍棒で殴り付ける。彼女はバランスを崩し、船の中に倒れ込んだ。
手を後ろで縛られた状態だと、倒れてしまったら自力で起き上がるのは難しい。ましてや木船の上では。
それでも女性が立ち上がろうともがくのを、守衛が押さえ込んだ。

「おい、あんまり乱暴にするなよ。腹の中のガキが流れたらどうするんだ。売り物にならねえだろ」

それを別の守衛がとがめている。

「ンなこと言ったってよ……こいつら、おとなしく船に乗らねえじゃねえか。毎度これじゃ、優しくお手引きなんてしてられねえよ」
「うーん……ガキさえ無事なら母体は傷物でも良いらしいからなあ。次からは牛みたいに鼻輪でも付けてみるか?」
「何だよそれ」
「牛を荷馬車に乗せる時、鼻輪の先にロープを付けて引っ張るだろ。あれな、引っ張られるとすごく痛いんだと。だから痛いのをどうにかしたくて牛は前へ出てくる。そうやって歩かせてるんだよ」
「なるほど、良いなあそれ」
「業務改善の提案とやらで出してみるか?」

そうか。
妊娠していた者や、妊娠の疑いがあった者が一体どうなったか、私は悟った。
彼女らは船に乗せられて、連れて行かれたのだ。産婆の元などではなく、どこぞの人買いの手に渡ったのだ。
しかし妙だ。わざわざ孕んだ女性を選ぶのはどういうわけだろう。もしかして乳母を大量に集めたいのか?それなら大々的に募集をかければ良いだけの話だろうに。

「どうせ売るつもりなら、とっとと孕ませちまえばいいのにな」
「表向きは教育と職業に就く機会を与えるっていう更正施設なんだから、ぽこぽこ作らせるわけにもいかないだろ。新しいのを補充するのも大変だしよ」

ぞっとした。
ここは、ハナから路上で暮らす者を救うための場所なんかではなかったというのか。
そもそもの設立はあのちびの「お願い」によるもののはず。これはあいつの指示なのか? それともその下で私腹を肥やしたがっている奴がいて、隠れてやっているのか?

……デニスはこのことを知っているのだろうか。知っていて、あんな善良な顔をしていられる人間だったのだろうか。
――私は内心、首を振る。
違う。きっと知らない。知っていたならきっと精神的に参っているはずだ。
皆がまじめに勉強に取り組まないことを気に病み、衰弱するような人間の神経はそんなに太くない。
そう考えた途端、胸が苦しくなった。

「船を出すぞ。あんまり待たせちゃ売人に悪い」

もがく物音と、うめく声は一気に強くなる。
あの女性はどうなるのだろう。

――腹の奥底が、かっと熱を持ったように感じた。

前提としてあげておく。
私は非力だ。人を殴ったならこちらの拳の方が痛む。一喝して相手の動きを止められる胆力も持ち合わせていない。
そんな軟弱な臆病者がここまで生きながらえてこれたのは、ひとえに沈黙し存在を隠してきたからだ。何もしないこと、選ばないこと。見ないふりをすること。それが私を生かしてきたのだ。

だから、私の取った行動は無謀の一言に尽きるのだ。
私は気がつくと階段の下から飛び出して、大声で何事かを叫びながら木船に向かって突進していた。
守衛達は弾かれたように、そろって驚いた顔でこちらを見た。

私は木船に飛び乗り、女性を押さえつけていた守衛を思いきり突き飛ばす。
そいつは「おわ」と声を上げて水の中に転がり落ちた。
木船はぐらぐら揺れて立つことすら難しくなったが、私は女性の腕を夢中で引っ張り上げた。
とにかくここから遠ざけなくてはという感情がひた走っていた。

背中に回り込んだ守衛の腹に肘鉄砲を見舞ったところで、私は異変を感じた。右の脇腹辺りに一瞬、ちかりと光る物が見えた気がした。
見れば私の着ている灰色のワンピースに異変が起きていた。右の脇腹のところが裂け、そこを中心にして赤い染みが広がっている。

守衛に斬られたのだ。脳が我が身に起きた現象を理解した途端、じくじくとした強烈な痛みが全身を襲ってきた。
私は女性の腕を離した。うずくまって、痛みの発生源である右の脇腹に手を当てる。それで痛みが収まるわけでも血が止まるわけでもないが、そうせずにいられなかった。
痛い。痛い。痛い。
激痛が私の思考を塗りつぶす。脇腹に当てた手がべちゃりと赤い液体で濡れるのを見て、混乱に拍車がかかる。

「この野郎っ」

うずくまった体を誰かが蹴りつけてくる。のどの奥から、ごふ、と滑り気を帯びた咳が出た。

「どっから入ってきた!?」
「知るかっ! どっかに縛り上げておけっ」

怒鳴る声。罵る声。そして――「どうしてこんな無茶なことを」と言いたげな目をする、口に布を噛まされた女の姿を視界に映したところで、私の意識はふつりと途切れた。

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