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zoom RSS 地雨 9

<<   作成日時 : 2016/08/20 19:03   >>

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……遠くの方で、誰かがわあわあ言っている。
ぼんやりとそう考えた途端、体が重くなった。
息をしようとしたら、急に苦しくなって咳き込んだ。ごぼごぼと、液体の絡んだような嫌な咳が出た。

「おーい、起きたぞー!」

ひとしきり咳き込んだ後で、目を開ける。
ぼやけて焦点の定まらない視界の中で、誰かが俺をのぞき込んでいた。

「あんた、大丈夫か」

声を出そうとしたら、猛烈な吐き気が襲ってきた。
こらえられそうもない。慌てて突っ伏したら口から泥臭い液体がしたたり落ちた。
えづいて苦しむ俺の周りに、わらわらと人が集まってくる。誰かがの俺の背中をさすってくれた。

「おーい、誰か飲むモン持ってねえかー?」
「缶コーヒーぐらいしかねえ」

缶コーヒーか。そういえばあれが、最後の食事だったな。
誰かにかけられたバスタオルを頭からかぶり、俺はほんの少し、口の端をゆがめた。
笑いたいのか悲しいのか、自分でもよくわからなかった。

「兄ちゃん、缶コーヒーで良けりゃあるけど、どうする?」

俺は黙って首を横に振った。
口の中を洗い流したいのは山々だが、甘ったるいのと混ざり合うのかと思うと気持ちが悪い。

「じゃあ、しばらく我慢しててくれな」

落ち着いて見れば、俺の周りにいたのは黒地に赤や白の線の入ったはっぴを着た男達だった。
定まらない視界の中で、「消防団」と書かれた白い字が読み取れた。

「何はともあれ、起きたんなら大丈夫だな」

日焼けした肌に白髪頭のおっさんが、笑顔を向けてくる。
突っ伏した体勢からずるずると身を起こし、座り込んだ俺はおっさんの顔を、ぼんやりと見上げた。

「……なんで、俺を見つけられたんですか……誰も、ここにいるって、知らないはずなのに……」

咳き込み続けた上に吐いたのどは、かすれて変な声を出した。まるで俺の声じゃないみたいだった。

疑問だった。
俺と高崎は誰にも行き先を言わず、死体を始末するために山へ入ったのだ。
なのに今、俺はこうして地元の消防団に助けられている。
――まさか、高崎が助けを? そんなことはあり得ない。生きている俺を沼へと突き飛ばし、笑いながら棒で沈めた男が、慈悲の心なんて持ち合わせているものか。

「ああ。朝早く山菜採りに入った奴が車を見つけてな。よその車だし誰も乗ってねえし、誰か沼にでも入ったんじゃねえかって大騒ぎしたのよ。いやあ、沼に浮いてるのを見つけた時は、心臓が止まるかと思ったぞ」

おっさんが、ぱん、と俺の肩を叩く。
やっぱりな。一瞬でも高崎が、と考えた俺は相当甘いのかもしれない。

「兄ちゃんよ、そりゃ若い頃はいろいろある。うん、生きてりゃあ我慢しなけりゃいけねえこともある。でも命を粗末にしちゃあいけねえよ」

どうやら、俺は自殺するために車で来たと思われているらしい。

だがそれは些細な問題だ。俺は別のことが気になっていた。
車が置きっぱなしなんて……俺を沼に沈めた後、高崎はどうしたんだ。歩いて山を下りたとでもいうのか。
ここはあいつの出身地のはずだ。もしや車を置いたまま、誰かの家にでも世話になったのでは。

ぞっとした。もし俺が生きていると知ったら、あいつは放っておかないだろう。

「あの……高崎という人は近くにいませんか? 高崎コウジです。この辺りの出身のはずなんですが」

俺はおそるおそる尋ねた。もし、高崎が近くにいるのなら、見つからないようにしなくては。
日焼けした白髪頭のおっさんは俺の質問に一瞬、変な顔をした。

「いや、知らねえな。そんな名字の奴は近くにはいねえよ」

そんな馬鹿な。高崎は確かに言っていた。
俺の田舎に死体を捨てるのにちょうど良いところがあるからって、ここまで来たのだ。
高崎は小学五年までここにいたという。十年そこら前に住んでいた子供のことをきれいさっぱり忘れていたりするものだろうか。

あいつがでたらめでも言ったのか?
でも、こんな道、地元の人間でもなければ知らないだろう。その途中に沼があることだって。

「でも」
「兄ちゃん、死にかけてたからな。ショックで一時、変になっちまってるんだろ。しばらくすりゃ、元に戻るさ」

おっさんは少し困ったように笑うと、首にかけていたタオルを差し出してきた。
……俺の言葉をさえぎった? まさか、何か不都合なことでも? いや、考えすぎか?

「顔も体も泥だらけだ。汗くさいがよ、これで拭いとけ」

腑に落ちないまま、俺は受け取ったタオルで顔をぬぐった。確かにおっさんの言う通り、泥だらけだった。

「山を下りたところに公民館があるから、そこで体を洗うといい。救急車もそこへ来てもらうから」
「俺が乗っけてやるよ。車まで歩けるかい」

おっさんは別の消防団員と話し終えると、白い軽トラを指さした。ちょっと年代物の、荷台に緑色のカバーがかけてある軽トラだ。
俺は小さくうなずいた。

「ちょっと待っててくれや、片付けてくる」

おっさんは軽トラへと急ぎ足で向かい、助手席のドアを開けて荷台へと中の物を移動させた。
ビニール袋に入った道具だとか、長靴だとか、農作業に使う物を乗せていたようだ。

「じゃあ先に行って公民館開けとこう」
「悪いが俺は帰るわ。牛の世話、母ちゃんに任せてきたからよ」
「俺は畑仕事に戻るぞ」

三々五々、消防団員が散っていく。

俺はそれ以上主張する気が削げて、おっさんの軽トラの助手席に乗り込んだ。
車内は狭苦しい上に、シートが固い。
なんとなくバックミラーに目をやって――俺は息をするのも忘れるほど、驚いた。

俺が映っていない。
正確には、見知った俺の顔が、だ。

ミラーに映っていたのは、沼に沈めた死体の顔……根元が黒い金髪の、あの男の顔だった。高崎の隣の部屋の住人。
俺が突き飛ばしたら階段から転げ落ちていった、あいつ。

「……嘘だ」

かすれた声も、俺のものじゃなかった。
そもそも咳き込みすぎて一時的に変わったのではなく、他人ののどで発している声だったのだ。

「兄ちゃん、どうした」
「嘘だっ、これは俺じゃないっ、俺の体じゃない!」

今が山道を下っている途中だとか、ここがおっさんの運転する軽トラの車内だとか、そういうことはいっぺんにすっ飛んでしまっていた。
わけのわからない状況への恐怖が完璧に俺を支配して、周りへの配慮なんてできなかったのだ。
俺は髪をかきむしり、泣き、わめき、悲鳴を上げた。

軽トラが山道の途中で荒っぽく停まる。
血相を変えたおっさんが、俺の頬を往復で張り飛ばした。

「兄ちゃんしっかりしろっ、俺まで巻き添えなんて御免だからな!」

おっさんは血走った目で怒鳴り、俺の体をシートベルトで固定する。
そう言われても、俺はもう子供のように泣きわめくしかできなかった。

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