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zoom RSS 小春奇譚 三十二

<<   作成日時 : 2015/10/10 16:10   >>

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「そう、あの子、ここで働いてくれるの」

小春から少年の申し出を伝え聞いた紅は、考え込むしぐさを見せた。

「なら、どの仕事をさせればいいか考えなくてはね。男だから力はあるでしょうけど……」
「あの」

小春は恐る恐る、口を開いた。少年を掃除以外の仕事へと誘導するために。なるべく一緒になる時間を削るために。

「台所の手伝い……なんかは、どうでしょう」

ただし、こちらの都合で人を遠ざけようとしていることへの罪悪感はある。小春はやや口ごもりながら提案した。
紅はそれに対し、うーんとうなった。

「それは考えていないわ。この前新しい虫を何匹か炊事係にしたところだし。あまり頭数を増やすと狭くなって、台所の中で動き回るのが辛くなるのよね」
「じゃあ、洗濯係は」
「洗濯……」

紅は小春の顔をまじまじと見た。
小春はたじろいで、首を引っ込めて紅の出方をうかがう。

「あなた、同じ年頃の男に自分の下帯を見られたり触られたりしても平気なの?」

その一言に、小春は頭が真っ白になった。下帯というのは要するに下着のことである。

「そ、それは」

想像すると、真っ白になった頭がくらくらしてくる。
確かにそれは御免こうむりたい。
洗濯係の虫達に直接会ったはないが、彼らは毎日、屋敷の中の者たち――虫達や小春の衣類を集めて回っては一日かけて洗濯し、干してきれいにたたんで返してくれる。
例によって、幸之進の衣類の洗濯は紅が自分の物と一緒にしているが、小春は虫に洗濯してもらうことに対し抵抗がなく、任せている。嫌悪感どころか助かるという感想さえ抱いている。
初めは仕事が終わったら自分の分を洗おうと考えていたが、掃除は夜までかかる上に疲れもそれ相応とあって、くたくたの体で洗濯をするのはきつく、おとなしく虫達に頼んでしまうことにしたのだ。

その洗濯の作業に少年が加わると冷静に考えると、小春は意地でも自分の分を自分で洗おうという気になる。付かれていようが具合が悪かろうが何だろうが、きっと譲らない。

「ね、ちょっと嫌でしょう?」

ちょっとどころではないが、小春はうなずいた。

「やっぱり掃除かしらね。道具はまだ余っているはずだし、働き手が多くても困らないはずよ」

やはりそうなるのか。小春は内心、肩を落とした。

「そうね、掃除係が良さそうね。今から話しに行きましょう」

口ぶりからすると、一緒に来い、ということだろう。
いそいそとその場を後にする紅の後を、小春は恨めしい気持ちを抱えながら重い足取りで付いて行った。

「紅だけれど、起きているかしら」

ふすま越しに紅が声をかけると、中から「ああ」だか「おう」だか声がして、がちゃがちゃと物を片付ける音が聞こえた。
察するに茶碗のぶつかる音だ。どうやら、昼げの最中だったようだ。

「そう。じゃあ失礼するわ」

すい、とふすまを開けて紅がきょとんとする。

「あら。物を食べているところだったの。それなら後にしましょう」
「今すぐでいい。飯は後でも食える」

紅の肩越しに見れば、少年はすでに座を正し、ぴんと背筋を伸ばして真面目な顔をしていた。彼の後ろに、隠すようにして膳が置かれている。

「冷めた粥なんて美味しくないでしょう」
「構わん、食い物には変わりない」

(あたしが作った味噌汁には文句を言ったくせに)

小春は内心むくれた。
ちぐはぐなことを言う奴め、という不満が募ってくる。
冷めていようが食い物には変わりない、つまり食えれば良いという理屈を通すつもりなら、塩気のない味噌汁だって虫が作った粥だって文句を言わず食べられるはずである。

「まあ、それで良いのなら何も言わないけど」

その前に座り、隣に座るよう小春に手で示してから紅が話し出す。

「小春さんから話を聞いたわ。あなた、ここで働きたいんですってね」
「ああ、世話になりっぱなしじゃ申し訳ないと思ってな」
「なら、まずは名を聞きましょうか。働き手になるというなら、最低限、名乗っておいてもらわないとね」

紅の言葉に、少年が顔を上げてまっすぐに彼女の顔を見た。

「……兵五郎(ひょうごろう)だ」

小春は兵五郎という名を反芻した。
……覚えのない名前である。少年はきっと、村の外から来た人間なのだろう。
死にかけていたところを見ると、あまり穏やかな理由で山に入ったわけではなさそうだが。

「ところであなた、ふもとの村の人間かしら? 小春さんの様子を見ると、知り合いというわけではなさそうだけど」 
「俺は……都から来た」

都と聞いて小春は気が遠くなった。
小春が都について知っていることは少ない。伝え聞く限りでは都というのはたいそう華やかなところで、立派な家が立ち並び、きれいな着物を着た大勢の人が行き交っているという。
まあ現実にはそれだけではないのだが、あくまでも小春の知る限りのことである。
小春にはおそらく一生縁のない場所であり、真偽のほどなど確かめようがなかった。

「ここは都からずいぶんと離れているじゃない。どうして都の人間が山へ?」

小春とは違い、紅は眉をひそめている。

「それは……」

兵五郎が口ごもる。何か言いにくい事情を抱えているようだ。

「俺は、都で悪い病気が流行った時に親兄弟を亡くして一人きりになった……頼る人間もいないから都を出て、住まわせてくれるところを探して旅をしていた。その途中、山に入ったところで獣に襲われて傷を負って、何とか追い払いはしたが、身動きが取れなくなった」

小春は小さくため息をついた。
兵五郎も帰る場所を持たない人間だったのだ。そう思うと同情の念が沸いてくる。
ただし、だからといって近寄ることに抵抗がなくなったわけではないのだが。

「……ここの屋敷の主に拾われなかったら、間違いなく野垂れ死にしていたところだ」
「そうだったの。それは気の毒なことね」

――もし、この場で誰か、以下のような疑問を持つ者がいたら事態は大きく変わったことだろう。
親兄弟を亡くして旅に出た者が、何故、鎧直垂姿で……その上に鎧兜を身に着けることを前提とした戦のための恰好で、死にかけた状態で発見されたのか、と。

「それでだけれど、あなたには掃除係をしてもらおうと思うの」

その不自然さを指摘する声はなく、話は進む。

「で、名前を聞いたところで改めて紹介するわ。私は紅。この屋敷の主にお仕えしているの。そしてこの子……」

隣に座る小春の肩に、紅がそっと指をかける。
小春は不意に触られて驚く猫のようにびくっと小さく跳ねた。

「小春さんというのだけど、彼女、ここで掃除係をしているの。仕事のことでわからないことがあったら聞いてみるといいわ」

紅に言葉に小さく「え」と声が出た。
何だそれは。面倒を見てやれということか。
あ然としていると、ひょい、と兵五郎がこっちを見たので小春はぎょっとして隣の紅に目を向けた。

「あ、あたしなんかよりも虫の方が仕事には詳しいですよ。あたしじゃなくて、虫に任せた方が」
「あら、でも小春さんだってもう慣れたでしょう。とても仕事熱心だって、蜂が褒めていたわよ」

紅は悪気のない様子でそう話す。
蜂の目の前で掃除をしたのは一回しか覚えがないのだが、たったの一回で彼はそう判断したのだろうか。

「え、ええと」

小春はうろたえた。
褒められてうれしくないわけではい。生きてきて滅多にないことなので、どうしていいかわからないのだ。
喜んでみせた方が相手も気分が良いだろうと想像できるが、あいにく表情を作る筋肉は上手く動いてくれない。

「こいつがまた何かしてくるかもしれないって心配してるなら、大丈夫。他の虫に見張れって言っておくし、蜂にも声をかけておくから」

顔を近づけ、こそこそと紅が耳打ちをしてくる。親し気な雰囲気をまとった仲良しの娘同士が語らうように。

(そういうことじゃない)

小春は口を開けたまま、紅の顔を見つめるばかりだった。
一緒にいたがらない理由を、紅はごく軽いものと思っている様子だ。おそらくは同年代の少年少女の間でよく見られる、お互いへの些細な誤解や偏見から接触を避けたがる風潮と同じものと思っているのだろう。
――そんな可愛らしいものではなく、もっと深刻で惨たらしい理由があるなどとは思うまい。

「彼、虫のことをずいぶん嫌っている様子じゃない。あなた以外には面倒見を頼めないと思うわ」

ふわりと微笑むと、紅は小春から身を離した。

「何も一から十まで全部面倒を見ろというわけではないわ。わからないことがあったら手助けしてあげるだけで良いのよ。ね、小春さん」
「手間をかけさせて悪いが、なるべく早く仕事ができるように努める。俺は虫じゃなく、あんたに頼みたい」

当の本人、兵五郎に頭を下げられては、拒否の姿勢を取り続けられない。これで渋り続けるのは、もはやただの意地悪に過ぎない。
小春の神経はそこまで太くなかった。

「……わかりました」

小春は紅に向かって、かすれた声で了承の返事をするしかなかった。

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