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zoom RSS 神様の愛は誰のもの?

<<   作成日時 : 2015/09/26 13:53   >>

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じめじめとした真っ暗で埃っぽい場所で、男は目を覚ました。
動こうとして、自身が鎖でパイプ椅子に座った格好で拘束されていることに気付く。
一体何がどうしてこうなったのか、男にはまるで覚えがなかった。
なるべく冷静にと心がけて、覚えている限り最後の記憶をたぐり寄せる。

――男がいくら思い返してみても、記憶は会社の地下にある駐車場の場面で途切れてしまう。
あれから何時間、何日過ぎてしまっているかも定かではないが、残業を終えてため息交じりに向かった夜中の駐車場には、自分の車の他に二、三台の車と社用車があるだけで、がらんとしていた。
乗り込もうとドアを開けて、そこで。

(ああ、あの時か)

異様に背中がぞくっとしたのを思い出す。
何かこう、恐ろしいものの気配を感じたのだ。
振り向こうとして――そこから先のことは、本当にどうやっても思い出せない。

記憶をたぐり寄せているうちに、男の目は暗闇に慣れていた。
暗さに慣れた目に映った周囲の光景は、おそらくは廃業した工場とおぼしきものだ。
長いこと放置されていたようで埃が積もり、ふさがれた窓のすき間から漏れた明かりが、青白く中に差し込んでいる。天井からぶら下がっているのはコードの束か、あるいは絡まりあって垂れた蜘蛛の糸か。
だが男が周囲の観察に時間をかけられるのは、そこまでだった。

「やあ、目を覚ましたかい」

暗がりから、ぬうっと人物が抜け出してきたのだ。
薄暗い上にわずかな光の中で逆光となったそいつは、顔形が全く分からなかった。
声とシルエットから、かろうじて若い男だとわかる。おそらくは十代の終わり頃から二十代の頭ぐらいの。

「誰だっ!?」

男は驚き声を上げた。
こいつが、あの時駐車場で感じ取った恐ろしいものの気配の主ということか。
顔は見えないが、声に聞き覚えはない。つまり恨みを買ってこんな状況に陥ったとは考えにくかった。
それでも、知らず知らずのうちに相手の気に障ることをしていたということもある。

「き、君に見覚えはないが、以前私達はどこかで会ったことがあるのか?」

男は緊張を押し殺しながら尋ねた。

「あんたとはたった今、初めて面と向かって喋るよ」

若者は、案外落ち着いた声で答えた。
何か引っかかる物言いだが、恨みを募らせての犯行ではないようだ。
八つ当たり的に暴力を振るうために自分を選んだのか、身代金目的で誘拐されたのかは定かではないが――とにかく理不尽なことには変わりない。
妻と三歳の娘と共に慎ましく暮らしてきた平凡極まりない自分が、なぜこんな目に合わなければならないのだろう。

「私を解放しろ。身代金目的の誘拐なら無駄だぞ、我が家には大金なんて無いからな。それとも、刑務所に行きたいからこんなことを?」

ぬうっと、若者が顔を近付ける。
目深にかぶったフードの下、青白い月明かりの下にぼんやりと浮かんだ鼻筋は通っていて、口元は静かな笑みをたたえていた。
その印象を表すならば「穏やか」の一言に尽きるだろう。人を拉致監禁しようなどと考えるようには思えない。

「そんなつまらない目的じゃあないよ」

そいつの声は笑っていた。大人が幼稚な者に向ける笑い方だった。
男の顔の表皮を、吐息がくすぐる。男は寒気を覚え、鳥肌を立てた。

「俺は、おそろしく罪深いんだ。死後の世界とやらがあったら、確実に地獄行きなんだよ」
「それが、私とどう関係しているというんだ」
「俺の両親は血のつながった兄と妹。俺の上に一人、俺の下にさらに三人作ってる。俺は、生まれる前から汚れてんだよ。間違っても、神様なんかにゃ愛してもらえないだろうさ」

男は嫌悪感から吐き気を覚えた。平凡に生きて来人間には縁のない世界だ。

「まともな家庭じゃなかった。親父はいつも飲んだくれてて不安定で、お袋はひたすら馬鹿みたいに従ってた。従わせるのは簡単さ、殴る真似をしてみせりゃいいんだ。さぞ扱うのは楽だったろうよ」

若者は唐突に拳を振り上げる。
パイプ椅子に拘束されている以上、避けようがない。男は小さく息を飲み、目をつぶって首をぎゅっとすくめる。

「……な? 殴る真似だって充分、怖いだろ?」

その拳は振り下ろされることなく、するりとほどかれた。
殴られずに済んだと、男はほっとして目を開ける。
若者はだれりと腕を下げ、どこか遠くを見つめている風だった。

「そのうち親父が死んでさ。まっとうに稼ぐ手段のないお袋は、俺と上の兄弟に体を売らせたよ。死にたくなかったから、俺はジジイでもババアだろうと、どんなプレイが趣味の奴だろうと平気で体をさらしたよ」

これ以上聞きたくない。
しかし拘束された男には耳をふさぐ手段がなく、男は胸糞の悪い思いを抱えて聞き続けるしかなかった。

「俺はずうっと願ってたよ。神様助けて下さい、って。お母さんと下の子達を助けるためにどんなことでも耐えるから、もうこんなことしなくても良いように助けて下さい、って」

うっすら、若者が笑う。本当にかすかに、吐息のような笑い声を立てた。

「でも、願いはかなわなかった」

そのかすかな笑い声は、最後には歪んで消えた。
若者は足元の積もった埃を蹴散らかし、男から距離を取る。
ぶわっと舞い上がった埃は、わずかに差し込む明かりの中でちらちらと光りながら散らばった。

「聞く限りじゃ、全ての人間を分け隔てなく我が子のように見守っていて、辛い境遇に置くのは、そいつが耐えられると知っていて、あえて試してるんだっていうけど、俺はとてもそうは思えなかった」

若者は男の方へ向き直り、両手を広げる。

「俺はきっと、神様にとっちゃ邪魔者の継子か、無関心なよその子なんだろうさ」

どうやらこの若者、生まれと育った境遇の劣悪さから歪んだ人格を持ち、こんな凶行に至ったらしい。
男はそう理解したが、何故自分が被害者に選ばれたのかわからぬままだった。
駐車場で待ち伏せて、場当たり的に誰でもいいから狙っただけなのだろうか。自分はただ、運が悪かっただけなのだろうか。

「それで俺は最近考えたんだ。神様というのはどの程度の人間に対して奇跡を起こして助けてくれるもんなのか、確かめてみようってさ。どの程度からが神様にとって『可愛い我が子』なのかねえ?」

男が両手を広げる。

「もし可愛い我が子がいじめられていたら、傷つけられていたら、助けてくれるはずさ。だよなあ? あんただって、可愛い我が子が傷つけられるなんて耐えられないよなあ?」

(まさか、こいつ)

嫌な予感がした。
脳裏に娘の顔が浮かぶ。まさか、娘の存在を知っていてそんなことを言い出したのだろうか。
男はまじまじと相手の顔を見つめて、次の出方をうかがった。
もし早とちりだったら、余計な情報を与えてしまうことになる。そんな間抜けなことをするわけにはいかない。

「神様が苦痛で人間を試してるっていうんなら、こっちが神様の愛情を試してみたっていいだろう」

軽い口調の若者の態度からは、既知かどうかの判別がつかない。
男の体を冷や汗が伝う。

「き……君の境遇には心底同情するよ。どんなに苦しかっただろう、胸が痛むよ。だが、まだ君は若いんだ。とにかく私よりは若いんだ。まだ、やり直せるだろう、自暴自棄になったらそれこそおしまいだろう」

うろたえながら、男は説得を始めた。
危険が差し迫っているというのに、男の口から出るのは万人向け故に心を揺らすことのない、ありきたりな言葉ばかりだ。

(上手い言い回しはないのか)

自覚すると焦りがつのる一方で、ますます当たり障りのない言葉ばかりが浮かんでくる。

「わ、私のようなつまらない人間をどうこうする暇があるなら、這い上がるチャンスをつかむために……」
「あんたはつまらない人間なんかじゃないっ、善良な人間だっ」

若者が声を荒げる。
強い口調とは裏腹な褒め言葉に、男は戸惑った。

「あんたはごく普通の家庭に生まれ育って、仕事を真面目にこなして、家族にもちゃんと向き合って、町の慈善事業にも手を貸して……」

確かに男は時折、町で行われる慈善事業に参加している。自分から参加を申し出るほど積極的にではないが、頼まれれば引き受けるという程度だが。
先月もチャリティのバザーにスタッフとして参加したところだ。人手が足りないのだという、ご近所さんからの頼みだった。妻と娘もチャリティにやってきて、売り子の手伝いをしていた。

若者はその場にいたのだろうか。
……先月の話ともなると、記憶には霞がかかったようで細かいところまで思い出せない。
だが、通りすがりの参加者が、じっと微動だにせずこちらを見ているだけの不気味な奴がいる、というようなことを話していたような覚えがある。

「神様はきっと、あんたみたいなのが大好きなんだ。愛して愛してやまないんだろうさ」

そこまで一気に言い終えると、若者はフーッと大きく息をした。

「奇跡ってのは、ふさわしい人間にだけ神様が起こすんだとさ。きっと、あんたには奇跡が起きるさ。例えば――普段、人っ子一人来やしない廃工場に、ずたずたにされて声も出せないほど衰弱して放置されていても、偶然誰かに見つけてもらえて幸いに一命を取り留めたり、な」

若者の声はもう、静かなものに戻っていた。
だがそれが余計にパイプ椅子の男の恐怖心を煽った。
若者はいよいよ、こちらに危害を加える気だ。

(こいつ、狂っている、イカレている!)

恨みがあってのことなら、身代金目的なら、あるいは誰でもいいからという八つ当たり的な犯行の方がまだましだった。理解の範疇にいるのだから。
だがこれは。この凶行に至る彼の心情は、常人の心理では追いつけない。
心理で追いつけぬものを、人は真に恐ろしがる。若者は今や、男の目には完全な怪物として映っていた。言葉が通じても心の通じない怪物だ。
その狂った選定基準によって、自分は神の愛を試す生け贄に捧げられようとしている。

(冗談じゃない!)

妻と娘の顔が浮かぶ。
帰りたい。彼女達のいる場所へ、安らげる住み慣れた我が家へ帰りたい。

「やめろっ、私を離せえぇ! 神様が愛してるだの愛してないだの、そんな話、私にはどうだっていいんだ!」

鎖がほどけないのなら、パイプ椅子ごと動いてしまえばいい。
男は足で床を蹴って椅子を揺らしにかかった。
だが、パイプ椅子はびくともしなかった。
見れば椅子の足は金属の板のようなもので、床にがっちりと固定されていた。
男は絶望した。

「あんたは俺みたいな、生まれた時から堕ちてくばかりのクズとは違う。神様はきっと――あんたを救うために奇跡を起こしてくれるだろうさ。俺を少しでも哀れだと思うなら、あんたの命で俺に奇跡の瞬間ってものを見せてくれよ」

見ればいつの間にか、若者の手にはぎらりと光るナイフが握られていた。
パイプ椅子に拘束された男は、その切っ先の動きを目で追いながら、その一刺しで終わらないだろうと予感していた。

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