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zoom RSS 小春奇譚 二十六

<<   作成日時 : 2015/08/15 10:38   >>

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少年の介抱は、紅の命令で虫達がすることに決まった。
紅が小春の心の傷に気付いてそうしたのかは不明だが、とにかく小春はほっとした。
太兵衛を連想させる要素など持ち合わせぬ容貌の少年相手でも、同じ男というだけで触れたくなかったのだ。
虫達は交代で、布団の中で眠り続ける少年の傷を手当てし、重湯を口に含ませ、体を拭き清めるなどして介抱にいそしんでいた。

中には任された仕事をさぼる口実にしている虫もいるようだったが、小春は目をつぶった。
虫達との関係が、以前のように戻っていたからだ。
少年が来た翌日には、あの朝の一件などすっかり忘れてしまったかのように虫達は小春に接してきた。
ごく普通に挨拶を交わし、雑談をし、遠巻きにすることなく一緒に仕事をこなしたのだ。
明確に「許す」という言葉があったわけではないが、友好な関係を保ちたいというのはどちらも同じらしい。
せっかく元の関係に戻れたというのに、機嫌を損ねてぶち壊すようなことをしたくない、と小春は目をつぶることにしたのである。

ともかく、初めのうちは少年の介抱に関わらずに済んで小春は安心していたが……一日二日と経つにつれ、今度は別の不安を抱いた。
少年が目を覚ました後について、である。
今は眠っているから関わらずに済むが、目を覚ましたとなったら関わらずに済ませることはできないだろう。
生身の人間どうしが一緒にいたら、こちらが関わろうとしなくてもあちら側から関わってくる場合だって珍しくはない。

(どうしよう)

太兵衛のことがあってから、いまだに小春は異性というものに対して混乱している。
以前は太兵衛以外なら警戒せずに接することもできたが、今はもう、できそうにない。どう接したらいいか、距離を置いたらいいかが全くわからない。皆一括りになるべく関わりたくない、というのが率直なところである。
幸之進相手になら多少ましになるのは……おそらく彼が普通の人間ではない、と思うからだろう。
さらに小春の不安は募る。
目を覚ました少年が、すんなり屋敷を出ていってくれればまだ良い。
もしも自分と同じように「恩を返すためにここで働く」などと言い出したら、今度こそ関わらないわけにはいかなくなる。同じ掃除係にでも任命されてしまったら、尚更だ。
そんなことになったら、自分は一体どうしたらいいのだろう。

(できるだけ、関わらずに済みますように)

小春は近い将来を思いわずらっては憂鬱になり、そう祈るのが習慣になりかけていた。

状況に変化が起きたのは、少年が介抱を受け始めてから、あるいは小春が不安に思い始めてから十二日後のこと。
虫達と共に掃除にいそしんでいた小春の耳に、がしゃん、という何かの壊れる派手な音が届いた。
人間が本能的に身をすくめてしまうような音だ。
小春はびくりと震え、持っていたほうきの柄を握り締めて目を閉じてしまった。

「お? 何だ何だ」

目を開くと、近くにいた虫達が、一斉に仕事の手を止めて頭をもたげていた。

「一体何の音だ?」
「茶碗をたたき割ったみたいな音だったなあ」
「誰ぞ、台所の奴がへまでもしたか」
「いいや、音がしたのは台所の方じゃねえぞ」

なかば興奮気味に虫達が推察を始めたところへ、

「やめろっ、俺に触るな!」

聞き慣れない声が、誰かに向かって怒鳴りつけるのが聞こえてきた。
この屋敷で聞き慣れない声の持ち主など、一人しか思い当たらない。介抱を受けている少年だ。おそらく目を覚ましたのに違いない。

(目を覚ましたのかな)

小春の胸がざわざわし始める。
いよいよ、この日が来てしまったのだ。
小春は落ち着かない気持ちで、ほうきの柄を握り直した。

「ああ、旦那様が拾って来たあいつ、目を覚ましたのか」
「起き抜けから威勢のいいこって」
「何か、厄介なことになってるみてえだぞ」

虫達は仕事を放り出して、喧々諤々としゃべっている。
仕事中に一切口を開くなとまでは言わないが、おしゃべりに夢中で仕事を放りだすというのなら目をつぶるわけにはいかない。
小春は止めに入ることにした。

「みんな、仕事の途中だよ」

だから口よりも手を――虫達の場合は足と言うべきか――を動かせ、とやんわり伝えてみれば、しぶしぶといった調子で虫達は仕事を再開した。
しかし、その仕事はすぐに中断されることとなる。

「小春さんよぉ、様子を見に行った方が良いんじゃねえですか」

近付いてきた一匹の虫がそう提案してきた途端、周りの虫達は掃除の手を止めてこちらの様子をうかがい始めたのだ。

「仕事を放り出して行くわけにはいかないよ」

小春は、とっさにこの場で通りそうな言い訳を口にした。少なくとも、関わり合いになりたくないから行かない、と言うよりはずっとましな言い訳のはずだった。

「確かに仕事も大事ですぜ。でもよ、姐さんに何があったって聞かれた時に答えらえないってのもまずいんじゃねえですかね」
「じゃあ、代わりに様子を見てよ」

虫の見聞きしたことを伝え聞いて、自分がそれを紅に答えれば済むと小春は考えたが、

「姐さんはあっしらの見聞きした話なんぞ、とんと信じちゃくれませんからねえ」

虫は足を二本広げ、頭を左右にぐりぐりと動かした。お手上げ、と言わんばかりだ。

「あっしらの話が元になった答えなんかじゃ、おそらく駄目でしょうな。となりゃ、小春さんが見に行くしかねえでしょう」
「行きましょうよ小春さん、不安があるならあっしらも付いて行きますから」
「仕事は後で、いつもの倍頑張りますから」

どうやら、様子を見に行かなくてもいいという意見の虫はいないらしい。
ここにきて小春は、虫達がただならぬ野次馬根性の持ち主だと悟った。

(意地張ってもしょうがない、か)

ここで意地を張って、あの朝の一件のような事態になってはまずい。初めてのことだからか彼らは水に流してくれたのかもしれないが、二度目ともなれば虫達との関係にいよいよ亀裂が入るだろう。
小春はしぶしぶ、虫達と共に音のした方へと向かうことにした。

「何だい何だい、台所で茶碗を割った奴でもいたのかい」
「ばあか、方向が全然違うだろうよ。こっちだこっち」
「なんぞ、声が聞こえたなあ」

途中で数匹の虫も合流し、皆でぞろぞろと廊下を歩く。
やがて音の聞こえた方向に、一つの部屋が見えて来た。小春が寝かされていた、あの部屋だ。
部屋の前にも虫が数匹いて、外れて倒れたふすまの上に立って、こわごわ中をのぞいていた。
ふすまの上に立ったら破れを心配するものだが、そんなことは気にしていられないようだ。彼らはこちらに気付くそぶりもなく、部屋の中の様子に夢中だった。

「や、やめてくだせえ、あっしらはあんたに何かしようなんて思っちゃ……」
「黙れ化け物め、俺を取って食らうつもりだなっ」

部屋の中で覚えのない声と虫の声がそんなやり取りをしている。虫の声は怯えきり、覚えのない声の主は敵意をむき出しにしている様子だ。

「だ、誰か、何とかしてくれえ、こいつ、聞く耳持ってねえよ」

そう言われても、というのがその場にいた者達の本音であろう。虫達はお互いに顔を見合わせては頭を振ったりしている。お手上げ、と言わんばかりだ。

「こ、小春さんっ、小春さんはいるかいっ」

すがりつくように名を呼ばれ、小春は困惑した。
自分に事態の解決を求めるつもりなのか。仲裁なんて一度もしたことがないというのに、それをやれというのか。

「おう、いるぞ」

小春の隣にいた、別の虫が勝手に答える。余計なことを、と小春は思わず恨みがましい目を向けた。

「小春さんよお、あんた人間だろう、同じ人間なら話だって通じるだろう、なあ、こいつをどうにかしてくだせえっ」

指名されては仕方ない。小春は虫達をかき分けて、外れたふすまを踏まないよう気を付けながら、部屋の前に立った。ふすまがまるまる一枚ない状態なので、そこからだと部屋がよく見える。部屋の中の磨き抜かれた太い柱の下に、割れた茶碗が転がっていた。中身の重湯とおぼしき液体がこぼれて、真新しい畳を台無しにしている。これが先ほどの、がしゃんという音の正体だろう。

だがそれは些細な異変。
異変の最もたるは、敷かれた布団を蹴散らかし、あちらこちらに布を巻かれた上半身裸の少年が虫に馬乗りになって押さえこんでいる光景。彼は虫の足を一本つかんで、今にも引きちぎらんばかりに力をこめていた。
見れば少年は白い長襦袢を着ていた。上半身が裸なのは、おそらく布を取り換えるために脱がされたのだろう。

いつぞやの、紅が足をもぎ取った光景を思い起こさせる光景である。
小春は目をそらしたい衝動をこらえ、部屋の中にそうっと足を一歩踏み入れた。

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