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zoom RSS 小春奇譚 十四

<<   作成日時 : 2015/05/23 14:46   >>

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「ああ、紅。お前に手当てを頼んだ子が目を覚ましたんだよ。それで知らせてやりたくてね」

幸之進がふすまの向こうへ声をかけると。

「それはようございました」

本心から喜んでいる、そんな様子の声が返った。

「入っておいで」
「はい」

するするとふすまが開き、そこから一人の女性の姿が現れる。この女性が紅なのだろう。背丈や体つきから、小春より五つほど年上と思われた。
あずき色の着物に身を包んだ紅は、まず指をついて頭を下げた。下げた頭の後ろで一つにくくられた黒髪は艶やかで、丸い光の輪ができていた。
小春の髪も黒い色だが、栄養不足からかこのような輪はできない。
傷んだ自分の毛先に目をやり、小春は内心ため息をついた。

女性が顔を上げる。白いなめらかな肌の顔。黒いたれ目が小春を見つめた。
綺麗な人だ、というのが率直な感想だった。男女を問わず憧れを抱かれるような、そんな見目形だ。
小春もまた、大多数の人間がそうするように彼女に憧れの感情を持った。もしかなうなら、こんな人になりたい、と。
……もしも小春が己の容姿に対してそれなりに自信を持っていたなら、また別の感情を抱いたことだろうが。

(お礼を言わないと)

相手の見目形に心をとらわれている場合ではない。小春はぎくしゃくと手をつき、頭を下げた。

「あたし、小春といいます。手当てしていただきまして、ありがとうございました」
「そんな、良いのよ。それより気が付いて良かった。ずいぶん弱っていた様子だから、とても心配していたの。足の具合はどう? ひどく傷むかしら?」
「は、はい。おかげさまで」
「痛くなってきたら、遠慮しないで言ってちょうだいね。ちゃんと治さないと、後が辛くなるわよ」

優しい響きのおっとりとした声に、小春はほっとした。
性格のきつい人だったらどうしよう、と不安に思っていたのである。
生け贄として送り出される以前の、特に前日の扱いを考えれば、他人に対して不信感が先に立つようになるのも仕方ないことだが。

「それでね、紅。この子は恩返しがしたいそうだよ。ただで置いてもらうわけにはいかない、ってね」
「まあ、律儀なこと」

紅がこちらを見たので、小春は警戒心の強い野良猫のようにびくりと身を震わせた。
整った顔立ちに浮かんだ微笑みは美しい。だがじっと見られると緊張してしまう。

「だから足の具合が良くなったら、一緒に働いてもらおうと思っているんだ。その時になったら、色々と教えてやっておくれよ」
「はい、承知しました。近々私、お仕事が楽になりますね」

ころころと笑う声は、まるで鈴を転がすようだ。見目形に加えて声まで美しい人なんて、小春は生まれて初めて見た。おまけに容姿に加え、おっとりとした優しい性格の持ち主ときている。

(ここでなら)

小春に一つの予感が生まれた。

(ここでなら、あたし……)

村にいたころと違って、もう少しまともな生活をさせてもらえるかもしれない。
その予感は半ば願望のようなものだが、小春はそう思った。

「小春さん、それじゃあ足が治ったら、ここでの仕事を一つ一つ覚えましょうね」
「は、はい」

小春がどもりながら返事をすると、紅はゆるりとうなずいて膝を立てた。

「それでは私、お昼の支度にかかりますので失礼します」
「ああ、もうそんな時間か。今日のお昼は何だい」
「山で摘んだ葉物と大根を炊いたものです」

山と聞いた小春の胸がざわつく。
ここはおそらく、神社のある山のふもとだ。ということは村からそう離れてはいないはず。
もしもここへ太兵衛が乗り込んで来たらどうしよう。そう思うと寒気がする。腕の感覚が急に鈍っていくような気がする。
乗り込んで来ただけではなく、でたらめを並べて自分を連れ帰ろうとしたならば、その時はどうすれば良いのか。
……事情を知っていたら、かばってくれるだろうか。
ちらりと小春は幸之進を盗み見る。

(駄目だ)

小春は内心頭を振る。
今はとても誰かに話す気になれない。第一、初対面の相手に話すのははばかられる内容でもある。
それでも向こうから尋ねてきたら、一体どうすれば良いのだろう。

「……どうしたんだい、小春。気分でも悪くなったのかい」

黙りこくった小春に、幸之進が気づかわしげに肩に手を乗せる。
大したことのない重み。だがその重みを感じた途端、何故か、首筋をなめられた時の感覚が蘇った。そのあたりをくすぐった生ぬるい吐息。押さえつける手の感触。重み。
そして――ギラギラした細い目。
途端、小春の体をこらえきれぬほどの強い嫌悪感が駆け抜けた。


気持ち悪イ。とテモトてモ、気持チが悪イ。吐き気ガ、すル。触るな、触ルな、今すぐその手を離セ、うわあ、うわあ、うわああああああああああああああああああ


――ぱしん。
そんな音がして、小春は我に返った。
己の手に残る、肉を打った痛み。

「だ、旦那様っ」

驚いた様子の紅の声。見れば、幸之進は己の手の甲をもう片方の手でさすっている。
小春は自分のしたことを悟った。小春は、自分でもほとんど無意識のうちに幸之進の手を叩き落としていたのだ。

「あ……あ、あ、ああ」

我に返った小春の顔から、血の気が引く。

とんでもないことをした。
後悔の苦さと一緒に、恐怖の感情がないまぜになって小春を襲う。
何ということをしたのだろうか。助けてくれた恩人の手を叩き落とすなんて、恩知らずだの何だのと罵られても仕方ない行動だ。
ここでなら上手くやっていけると早合点した、ついさっきの自分が愚かしく思える。
こんなことをした以上、きっと置いてはもらえまい。足の治りきらぬうちに、いいや、今すぐ追い出されてしまうかもしれない。

「す、すいませんっ! あたし、何でこんなことしたのか……!」

小春は身を投げ出すようにしてひれ伏した。
動悸は激しくなる一方。それなのに体は芯から冷えて行くようだった。

「い、いや、驚いてしまったんだろう? すまない、無神経なことをしたね」

幸之進の声には、無礼に対する怒りの感情はなかった。戸惑い、こちらを気づかっている様子である。

「で、でも、あたし」
「いきなり触られたら、誰だって驚いてそうするさ。だから頭を上げておくれ。悪いのはこちらだから」

幸之進の声色には何の変化もなく、感情の動きがあったかどうか読み取れない。
ひょっとして、本当に気にしていないのだろうか。
小春は恐る恐る、頭を上げた。

「ああ、良かった。泣いているかと思って……」

幸之進はひたすらにおろおろしていた。怒っている様子は全くない。

「もう、旦那様ったら。年頃の娘さんの体に、そうそう触れてはいけませんよ」

紅が軽い口調でたしなめる。

「好いてもいない殿方に触れられるなんて、女にとってはこの上もなく嫌なものですよ」

ねえ、と問いかけられて、小春はどうにか一つ、うなずいた。
確かにそうだ。だが、紅はもっと深刻な理由があるなどと気づいてはいまい。
それを知った時、彼女はどう思うのだろう。

「う、うん。とにかく軽率だった。申し訳ない」

幸之進が布袋をかぶった頭をかいている。

「い、いえ。そんな、あの、旦那様は悪くないですから……」

小春はおろおろするばかりだった。
本当のことはまだ、言えない。けれど幸之進に非はない。そう伝えるのがやっとだった。

「んん?」

幸之進が首を傾げてこちらを見る。

「小春、もう僕の名前を忘れたかい?」

小春は自分の口を押えた。
先ほどそんな話をした覚えはある。だが、同時に自分の中で名を呼ぶのは一度きりで、後は旦那様と呼ぼうと決めたことも覚えている。

「え、ええと……」
「旦那様、小春さん、お話はそれぐらいにしましょう。お互い悪気がないってわかったんだもの、それで良しとしましょう」

穏やかな声で紅が割って入り、そこで話は中断した。

「さてお昼の支度をしないと。小春さんはおかゆにしましょうね」

紅はしずしずとふすまの方へと歩き、部屋を出たところでこちらを向いて座り、再び頭を下げる。

「それでは」

紅のたおやかな手で、す、とふすまが閉まる。
綺麗な人というのは一つ一つの何気ない所作まで綺麗なものだ、と小春は思った。

「旦那様、そろそろ御役目に戻られませんと」

入れ替わるようにして、ぶうんと羽音を響かせて蜂が欄間から入ってくる。

「やれやれ、忙しないな。あんな事、僕じゃなくても、教えさえすれば誰だってできるものなのに」
「何をおっしゃいます、あなた様の代わりを務められる者などおりませぬぞ」
「よそから連れてくればいくらでもいるんじゃないのかな」
「なりません。つべこべ仰らずに、御役目を果たして下さいませ」

ぶうんぶうんと蜂が幸之進の周りを飛び回る。
幸之進は慣れっこなのだろうが、ただの小娘に過ぎない小春にとって、飛び回る蜂は恐怖以外の何者でもない。蜂が近づくたびに、びくびくと首を引っ込

めてやり過ごした。

「あーあ。蜂がうるさいねえ。わかったよ、今すぐ戻るとしよう」

ぶつくさ言いながら幸之進が立ち上がる。

「それじゃあね。困ったことがあったら紅や蜂を呼ぶといいよ……はあ、面倒だなあ」

幸之進の「御役目」とやらが何かはわからないが、あまり気乗りしていない様子を見るに楽しいことではないようだ。
気乗りのしない仕事ほど苦痛なものはない。おまけに代わりがいないとなれば苦痛は倍にもなる。
その気持ちがよく分かり、小春は幸之進に同情を寄せた。

「小春どの」

蜂の声に、小春は不意を突かれてびくっと跳ねた。
まさかいるとは。てっきり幸之進に付いていったとばかり思っていたのに。

「な……何か……?」

もう少し丁寧に話すべき相手なのか、砕けた態度でも良い相手なのか見極めきれず、小春は実にぎこちなく答える。

「先ほど、旦那様を名で呼ばれませんでしたなぁ」

蜂が眼前で留まり、小春をまっすぐに見つめてくる。

「そうだけど……名前で呼んだ方が良いってこと?」

もしや「名を知っていながら呼ばないのは失礼だ」と叱られるのだろうか。あくまでも遠慮と気遣いをした結果なのだが。
小春は少しばかり身構えた。

「いえいえ。わたくしは懸命な判断だと思いまする。では」

それはどういう意味だ、と小春が問いかける前に、蜂は欄間の向こうへと飛び去っていた。

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