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zoom RSS O氏の犬はもう吠えない

<<   作成日時 : 2014/01/04 16:13   >>

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その男の名を、仮にOとしよう。
O氏は犬を飼う男である。
今飼っているのは、数年前に雨の降る日にケガをして河川敷で震えていたところを拾った犬である。
当然O氏にとっては可愛い相棒だが、この犬には少々困った癖があった。
O氏以外の人間が近付くと、やたらめったら吠えまくるのだ。
捨てられる前に人間から何か恐ろしい目にでもあわされたのか、他人が離れるまで吠え続けている。
声が枯れても、痛々しいかすれ声で延々と吠える。
まるっきり威嚇だった。
色々としつけを施してみたりしたが、しばらくすると元に戻ってしまうので難儀していた。

そのため、O氏の犬は他人から好かれにくかった。
事情を話せばたいていの人は同情するのだが、極端な犬嫌いとなると嫌な顔をしたままである。
「こんな犬、保健所にでも送ってしまえ」と言われたこともあった。

「困ったなあ。どうしてお前、他人に吠えるんだろう」

その日、マンションの自室に戻ったO氏はため息をついた。
奥の部屋から犬が出てきて、足元に座ってぱたぱたと尻尾を振る。
ペットOKのマンションなので、犬は散歩に行く時以外は室内で過ごしている。
部屋の一角に大きなケージを置き、そこを寝床としてあてがっているのだ。
ケージの前は基本開けっ放しで、犬はO氏が帰ってくるとこうして出迎えてくれる。
O氏を見上げる犬の顔は穏やかそうで、他人にぎゃんぎゃん吠える姿など想像もできない。

「俺には吠えないのにな。よっぽど怖い目にあったんだろうな。でもなあ……」
「可愛い犬なんだから、他の奴にも好きになってもらいたい、ってか?」
「だ、誰だっ!?」

知らない声に驚いたO氏が顔を上げると、そこには黒い体にこうもりのような羽を持ち、頭から二本の角を生やした生物がいた。
一般的な感覚でいえば、悪魔そのものの見た目である。

「俺かあ? 俺はお前らが悪魔って呼んでる存在だよ」

悪魔はにやりと笑う。
真っ赤な口から鋭い牙がのぞき、O氏はすっかり肝がつぶれてしまった。

「ほらよ、お手」

悪魔は犬の前にしゃがむと、長い爪の生えた手を差し出す。
犬は吠えなかったが、怯えきった様子で後ずさり、尻尾を股の間に挟んでいた。

「な、何の用だ!」
「なあに、そんなに気に病んでるなら助けてやってもいいかと思ってね」

悪魔は楽しげに片目を細める。

「この犬、自分以外の人間に吠えて大変なんだろう。そうしないようにしてやってもいいぜ」 
「そんなことができるのか!?」
「できるさ。ま、お前さんの考えてるのとはちょっと違うかもしれんがね」

その言葉にO氏は揺れた。
だが、あることを思い出し、犬を抱き寄せて悪魔をにらみつけた。

「で、でも悪魔って、願い事をかなえる代わりに魂を持っていくんだろう? 俺は嫌だ、まだ死にたくない! 犬の魂だってやらないからな!」
「別に何も持ってきゃしねえよ。特別大サービスさ」

本当だろうか。
本当にそんなことができるのだろうか。
事情を知らない連中から「うるさい犬」と嫌な顔をされたり、ひどい言葉を投げつけられたりしなくて済むようになるのだろうか。
他の人間に笑顔を向けられる犬になれるのだろうか。

「……本当だな?」
「ああ。本当だとも」
「じゃあ、頼む」

すると悪魔が何事かを唱えつつ、片手を上げた。
辺りをピカッと光が照らし――特に何かの変化は起きなかった。

「これで明日から、この犬は他人様に向かってぎゃんぎゃん吠える馬鹿犬から卒業さ。おめでとうさん」

O氏がまばたきをする間に、悪魔の姿は消えていた。

「な……何だったんだ、今の」

O氏がいくら考えても、答えなど出るはずもなかった。


翌朝、O氏はいつもより早く目を覚ました。
目を覚ましてまず思ったのが、犬のことだった。

「そうだ。あいつ、今日から他人に吠えないようになってるって、悪魔が……」

犬のいるケージへ向かってみると、気配を察した犬がぴょこんと身を起こした。
犬の体を注意深く観察してみるが、とりあえず、犬の体に目立った変化はない。
本当に何か変化があったのだろうか?
それともあの悪魔とやらとのやり取りは、夢か幻だったのだろうか?

「よし」

O氏は犬を散歩に連れて行くことにした。
リードをつけ、必要な道具を持って家を出る。
早朝ということで人の姿はなかったが、近くの公園なら誰かしら犬の散歩や早朝のランニング目当てで来ているはずだ。
そこへ行けば、自分の犬が他人に吠えなくなったのかどうか確かめられる。

と、不意に犬の足が止まった。
ぴんと耳を立て、何かを警戒している様子だ。

「ど、どうした?」

O氏が首をかしげていると、犬はやがて、ヒンヒンと鼻を鳴らして後ずさり出した。
尻尾を股の間に挟んでいる。
怯えているのだ。何者かに。
一体何に怯えているのだろう。
不審に思ったO氏がきょろきょろと見回すと、前方から、自分と同じように犬を連れて歩いてくる何者かの存在があった。
遠目でよくわからないが、青緑色のシャツのすそをだらしなく垂らした、異様に上半身の大きな奴である。
よくもまあ、そんな体の入るシャツがあったものだ。
なかば呆れ、なかば感心しながらO氏は見ていたのだが……

「ひっ……!」

はっきりと姿形を判別できる距離にそいつが来た時、O氏は腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
何が大きな上半身か。そいつの正体は、まさしく化け物だった。
二本の足の上に、明らかに人間のものではない体が乗っている。
ぶよぶよとした弾力のありそうな青緑色の丸っこい体を、何千何万という糸のようなものが覆っている。
その中央に一つの目玉と、口らしい穴が開いていた。
O氏は逃げ出したくてたまらなかったが、腰が抜けていて立ち上がることもできなかった。

(く、食われる……!?)

恐怖に震えていると、

「お……おあよぉおう」

妙な声を発し、そいつは横を通り過ぎていった。
O氏の犬はそいつが通り過ぎる間、一声も発しなかった。
尻尾を股の間に挟んだまま、ひたすらうつむいていた。

(い、一体何だよ……? 何がどうなってるんだよ?)

あ然とそいつを見送るO氏の前を、新聞配達のバイクがきしみながら通り過ぎていく。
乗っているのは、さっきのやつの色違いだ。
体から伸ばした糸のようなものを大量にハンドルに巻きつけ、バイクを操っている。

「……なんだよ、これ……」

O氏は嫌な予感がした。
このまま公園へ向かったら、一体どんな光景が繰り広げられているのだろう。
ゾッとした。
とてもじゃないが、公園に行く気分になれない。
O氏は犬を引きずるようにして、無我夢中でマンションの自室へと走った。

かくして、その日からO氏の犬が『人間』に吠えることはなくなった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
読ませていただきました。

悪魔のことだからなにか罠があるとは思ったんですが。飼い主の方にも影響があるとは。
それでも飼い主はちゃんと飼い主と見えているようでそれが救いですよね。

面白かったです。
火消茶腕
2014/01/04 19:56
感想ありがとうございます。
楽しい作品にする予定と書きましたが、見事に「予定は未定」となりました。

この話は数年前に何かで見た「飼ってる犬が人様に吠えて困る」という相談を見て考えた馬鹿発想が元です。
「人間が人間でなくなればええんじゃ……」と。

飼い主はたまったもんじゃないでしょうね。
自分以外人間いないし。
うちの悪魔は願いごとを九割かなえてくれますが、残り一割で致命的なことをしてくれる仕様です。

またお暇な時にいらして下さい。
鈴藤由愛
2014/01/04 21:06
O氏の犬はもう吠えない プラスマイナス1/BIGLOBEウェブリブログ
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