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zoom RSS 「愛してるよ、マリー」 3

<<   作成日時 : 2012/03/10 14:51   >>

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執事が迎えに来たのは、夕方から夜になろうという頃だった。
窓の外から見える空は、遠く向こうで下部のオレンジ色と上部の暗がりが交じり合っている。

「あの……」

マリーは困惑して首を傾げた。
迎えに来た執事は、どういうわけかランタンを持っていたのである。

「まさか、ジョンは外に住んでいるんですか?」

マリーはごく常識的に抱いた疑問を口にした。

「旦那様のお部屋に御案内いたします」

執事は短く答えると、さっさと歩き出してしまった。
仕方なく、マリーは後を追いかける。
屋敷に来た時と同じように、執事はまた、質問に答えてくれなかった。
執事は一階に降り、屋敷の端にある扉を開ける。
そこに現れたのは、下へと続く石造りの階段だ。
マリーは驚いて声を上げた。

「ジョンの部屋は地下にあるんですか!?」

屋敷の主の部屋が地下にあるのは、おかしな話ではないだろうか。
普通、屋敷の主は、日当たりの良いところに部屋を構えるものだが。

「さようでございます。旦那様がそのようにせよ、と仰いましたので」

ここにいたって、初めて執事が質問に答えた。
だが……ランタンに明かりを入れる背中は「これ以上の質問は受け付けない」と訴えている。
マリーは押し黙って後をついて行った。

階段を降りた先は少しばかり広くなっており、四方に石造りの壁がある。
その真正面の壁の中央に、金色のノッカーのついたドアが一枚、取り付けられていた。
執事はノッカーの輪に手をかけ、二回叩いた。

「旦那様、マリー様をお連れしました」
「通してくれ」
「かしこまりました」

執事は半身をずらし、ドアを開けるとうやうやしくマリーに頭を下げる。
入れ、ということだろう。
マリーはおずおずと部屋に足を踏み入れ――ぎょっとした。
扉の向こうの部屋の中には、ただ暗闇が広がるばかりだった。
ろうそく一本ほどの明かりもない、純粋な暗がりである。
これでは何も見えはしない。

マリーはそこでようやく、ランタンの存在を思い出した。
地下に降りるために必要なのだろうと思っていたが、ここでこそ必要な物ではないか。

「あの、ランタンを」

振り返りかけたその途端、ぱたりと扉が閉められた。
自分の手の平さえ見えないほどの濃い闇が、たちまちマリーを飲み込む。
マリーは戸惑いながら、今しがた閉められた扉を見つめた。
一体どうして、こんなことをするのだろう。
これでは、お互いどこにいるかもわからないではないか。

「マリー、来てくれたのか」

部屋の奥の方から、声がした。
しわがれているものの、その声はまぎれもなく、ジョンのものだった。

「ジョン!」

二年半ぶりに聞く愛しい人の声は、マリーの心から不安を吹き飛ばした。
ああ、何度、この声を聞きたいと思って泣いたことだろう。

「マリー、二年半も待たせて悪かった」
「ううん、もういいの。辛かったけど、でも、こうして会えたんだもの」
「……いきなり、こんなことを訊くけど、許してくれないか。君は今、誰かと付き合っていたり、結婚していたりするのか」
「そんなこと、するはずないでしょ! 私の恋人はあなただけよ、他の人なんて考えられないわ」
「すまない。二年半も待っていてくれるなんて、俺の都合の良い夢だろうって、そう思っていたから」

マリーは暗闇の中で、懸命に目をこらし、ジョンの姿を探した。
やはり、声を聞くだけでは足りない。以前のように、ぎゅっと抱きしめて欲しかった。
抱きしめた時に聞いたジョンの鼓動。腕のたくましさ。お日様の匂いの記憶が甘く胸をくすぐる。

「ねえ、お願い。明かりをつけて。これじゃ、あなたの顔もわからないわ」
「それは……できない」
「どうして?」
「……俺は目に怪我をしたんだ。そのせいで、今でも光が差すと痛くてたまらないんだ」
「まさか、それって拷問されたせいなの?」
「ああ」
「ひどい! それじゃあ、あなたは一生、お日様の下に出られないの?」
「マリー、僕はまだ、ましな方なんだ」

ジョンの声に、ため息が混じる。

「俺のいた部隊は敵襲を受けて、生き残った奴は全員捕らえられて、拷問にかけられた。手足の指を潰された奴も、歯を一本残らず折られた奴も、心を病んだ奴も、二度と歩けなくなった奴もいる。大やけどを負わされて、別人のような顔になった奴だって……だから俺は、まだましなんだ」
「そんな……」

マリーは眉根を寄せた。
何という、想像を絶する苦痛の数々だろう。
二度と光の下に出られないジョンを指して、「まだましな方」と思わなければならないとは。

「なあ、マリー。この屋敷で暮らさないか。今の俺が君にしてやれることは、君に何不自由ない暮らしをさせてやることだけなんだ」
「あなたと一緒にいられるなら、私、どこだって構いやしないわ」

マリーはゆるゆると頭を振り、暗闇のどこかにいるジョンに微笑んだ。

「もう私を一人にしないでね」
「……ああ。愛してるよ、マリー」

そこへ、カンカンとノッカーを鳴らす音がした。
部屋の外にいる執事が鳴らしたのだ。

「旦那様、そろそろお休みのお時間でございます。マリー様にはお引取りを願った方が」
「えっ、まだ会ったばかりなのに」
「……マリー、すまない。まだ体が治りきっていないせいで、長い時間、人に会えないんだ。だから当分、こんな風にしか会えないと思う」
「そう、なの……」

マリーは少し、しゅんとなった。
こんな短い逢瀬だけで、また離されてしまうとは。
だが、拷問でさんざん苦しめられた体に無理をさせるわけにもいかないだろう。

「また明日、会いに来ても良い?」
「もちろん。おやすみ、マリー。良い夢を」
「ええ、あなたも。また明日ね」

「扉を開けてくれ」

ジョンの言葉で、扉が開く。
マリーはちらりと振り向いてみたが、扉付近が明るいだけで部屋の中は見通せなかった。
この地下室は、相当広くできているらしい。

部屋を出たマリーは、そっと唇に手を触れた。
短い時間だったが、待ちに待ち続けたジョンとの逢瀬は、彼女の心を確かに満たした。

(良かった、ジョンは昔のままだわ)

先ほどの会話を思い返してみる。
ひどい暴言を吐いたり、落ち着きなく言葉をつむいだりするわけでもなかった。
それに、深い愛情を注いでもくれる。
『愛してるよ、マリー』……二年半ぶりに聞いた言葉に、自然と顔がゆるんでしまう。
今は短い時間しか会えないというのがいささか不満だが、ジョンの体さえ治りきれば、一緒にいられる時間も増えるだろう。
たとえ暗闇の中でしか会えなかろうと、そんなことは問題ではない。
もう少し、もう少しだけの辛抱なのだ。
部屋の外にいた執事に会話を聞かれていただろう、ということも、今は気にはならなかった。

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