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<<   作成日時 : 2011/07/14 13:08   >>

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カンカンカンカン。
時間は深夜。
おそらく最終電車が来るのだろう、踏み切りの警報が鳴り出した。
遮断機のバーが降り切る前に渡ってしまおうと、何人かが走り抜ける。

そのタイミングに乗れなかった男は、黄色と黒のバーをにらんで舌打ちした。
別に急いでいたわけではない。彼は仕事帰りの身で、あとはアパートの部屋に帰るだけである。
ただ、何かに自分の行動を制されたのが少しばかり腹立たしかっただけだ。
男はため息をつき、電車が通り過ぎるのを待つことにした。
踏み切りの向こうには数人いるが、こちらは男一人きりである。
向こうの人間と見つめあうのも変なので、男はなんとなくうつむいた。

「やあ」

不意に、声がした。
顔を上げた男は、目を丸くした。
遮断機のバーをはさんだ位置に、一人の男が立っている。
病的にやせた体を毛玉だらけのスエットで包んだ、ボサボサ髪で顔色の悪い男だ。

「久しぶりだな。俺のこと、覚えてるよな?」

記憶していて当たり前、と言わんばかりの物言いに、男は面食らって声も出なかった。
とりあえず言える事として、こんな不健康そうな奴、知り合いにはいない。

「お前、忘れたのか? ひどい奴だなあ」

相手は辛そうに顔をゆがめた。糸みたいに細い目のふちが、キラリと光る。
――涙だ。そいつは泣いていた。

「イトクズ」

そいつが発した単語に、男はピクリと反応した。
過去に一人、イトクズとあだ名をつけた同級生がいたのを思い出したのだ。
そう思ってよくよく見れば、うっすらと面影がある。
だが、男は凍り付いた表情を浮かべたままだった。
「よう、久しぶり」と破顔するような状況ではないし、相手でもなかったからだ。

「ああそうだよ、俺、伊藤だよ。お前、中学の時に俺をいじめやがっただろ。思い出したか? 俺は一日だって忘れたことなんかなかったのに、ひでえ奴だ」

そいつ――伊藤は早口にまくしたてる。
男の頭の中を、色々な思いが回りだした。

確かに自分は伊藤をいじめていた。
勉強も運動も出来ない、大人しくて気弱なデブは、侮蔑し見下すにはもってこいの相手だった。
馬鹿にしてせせら笑うだけで、窮屈な学校生活への不満も消えた。
そのうち、男に同調した他の連中が真似を始め、悪口や嘲笑以外に暴力を振るわれるようになった伊藤は、学校に来なくなり、やがて転校していった。
物事を深く考えない、子供特有の、軽はずみな、しかし残酷な一連の行動。
だからといって胸が痛むこともなかった、十四歳の頃の記憶だ。

その伊藤が、今、なぜここに。
ここは故郷の町ではない。
就職を機に上京した男が、毎日の通勤路で彼と再会する確率はどれ位だろうか。

「俺さあ、今まで苦しかったんだよ。あれからずっと引きこもりだぜ。親からはお前が弱いからだって責められるばっかりで、同情もされないし。俺なあ、高校にも行けなかったよ。人間関係がとことんダメになったんだ。自分が踏みにじられるの前提で見ちゃうからな、全部」

男は、嫌な汗が耳の後ろを伝うのを感じた。
思わぬ場所で、思わぬ人間から恨み言を聞かされる衝撃は、恐怖に似ている。

「俺、もう嫌になったよ。生きてりゃ希望があるなんて言葉、ありゃデタラメだ。俺はことあるごとにいじめられた事を思い出しちまう。てめえにはわからねえだろ、人生、常に絶望が付きまとってんだぞ」

へら、と薄っぺらく伊藤が笑う。

「だから俺、死ぬよ。でもな、死ぬ前に絶対お前に復讐してやろうって思ってな。考えて考えて、弱っちい俺でもできる復讐、思いついたんだ」

伊藤はバーをつかむ。

「今ここで、お前の前で、死んでやる。脳みそと肉をまき散らして、死んでやる。お前の心に傷を残してやるのさ。ぐちゃぐちゃな死体になってみせれば、さすがにお前だって罪悪感は感じるだろ。なあに、十年前にさんざん死ね死ね言われてたのを、今実行してやるだけの話だ。だいぶ後になったけどな、お望み通りにしてやるよ」

確かにあの頃、さんざん「死ね」とあおり立てた記憶がある。
伊藤を屋上のふちに立たせ、突き落とすふりをするという残酷な遊びもしていた。

「じゃあ、しっかり見とけよ」

男は踏み切りのバーをくぐり、線路の中に入ってうずくまる。
その背中を、強烈なライトが照らした。
電車のライトだ。
電車が、すぐそこまで来ている。

男は踏み切りのバーをくぐった。
踏み切りの向こうで、わあわあ声が上がっているが、耳に入らない。
男は伊藤の体をつかむべく、手を伸ばした。
とにかく線路から引きずり出そう。そして謝ろう。謝り倒そう。
自分の軽はずみな、幼稚な行動が、そこまで誰かの人生を破壊していたなんて、考えもしなかった。
それからの失われたであろう伊藤の十年間は、謝ったぐらいで帳消しにできるほどのものではない。
取り返しのつかないことをした、という実感が、今さらになって胸をしめつける。
しかし、ことここに来て、まだ「自分は悪くない」と言い逃れをするほど、自分は悪党ではない。

その、男の手は伊藤の体をすり抜けた。
声を上げる間もなく、伊藤の体がかき消える。
完全に消え去る間際、男は、伊藤とは似ても似つかぬガイコツみたいなものが、ニタリとした笑みを浮かべるのを見た、気がした。
馬鹿な。これは一体どういうことだ。
その答えも、次にどう行動すべきかも思いつかないうちに、耳をつんざくような急ブレーキの音が、世界を覆い尽くした――。


「ええ」

停止した電車を間近にした位置で、先ほどの踏み切りにいた人物が、警官に事情を聞かれていた。

「いきなりだったんです。踏み切りのバーをくぐって、中に入って行ったんです。真ん中ぐらいで立ち止まって、何もないところで、ちょっと屈んだっていうか、中腰くらいになったまま、動かなくなっちゃって。自殺、じゃないですかねえ」
「憶測はいりませんから。聞かれたことだけ答えて下さい」

そうは言いながら、目撃者に事情を聞く警官も同意見だった。
目撃者達の話は全て、自分から電車に飛び込んだという内容だし、自殺と見て間違いないだろう。



カンカンカンカン。
別の踏み切りが、警報を鳴らしてバーを降ろす。
若い女はj黄色と黒のバーの手前で、携帯電話をいじりながら電車が通り過ぎるのを待っていた。

「久しぶりね」

出し抜けに声をかけられ、顔を上げる。
途端、女はあんぐり口を開けた。
バーをはさんだ向かい側に、昔の同級生がいる。
久しく思い出すこともなかったが、相手は昔、さんざんにいじめ尽くした女だった。

「私のこと、覚えてる?」

相手が、うっすらと笑みを浮かべる。

カンカンカンカン。
踏み切りの警報は、まだ鳴り終わらない――。

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