プラスマイナス1

アクセスカウンタ

zoom RSS 『は』と『ほ』

<<   作成日時 : 2007/02/22 00:06   >>

トラックバック 0 / コメント 0

そいつは、高いビルの屋上から街を見下ろしていた。
退屈さを忘れさせてくれる獲物を探しているのだ。

そいつはいつも、一人の人間を支配し、そそのかして悪事をするように仕向けては、その一部始終を見物して楽しんでいた。

だからそいつは、人間に『悪魔』と呼ばれていた。

悪魔は、今、また新しい悪事を考えていた。
将来、優秀な能力を持つとわかる人間を、子供のうちから支配して、幼いうちから悪事に手を染めさせ、その優秀な能力を悪事にのみ働かせるように仕向けるのだ。
そいつのせいで社会が一体どうなるのか……考えただけで、悪魔はわくわくするのだった。

ただ、支配するには、そいつの名前を知る必要がある。
だから、対象となる人間を探し出したら、なんとかして名前を聞き出さねばならない。
聞き出してしまえば、あとは魔界に戻って儀式を行うだけで、その人間は悪魔の支配下に入る。
悪魔が誰かを傷つけろとささやけば傷つけるし、物を盗めと言えば公衆の面前だろうがおかまいなしに盗みをはたらく。

悪魔にとっては、ふと我にかえって、取り返しのつかない、とんでもないことをしていると気付いた時の、人間の表情が楽しいのだ。



――悪魔は、やがて、その対象にふさわしい子供を見つけた。


子供は、幼稚園の年長組ぐらいの年頃だ。
家の中に一人でいて、画用紙にクレヨンで絵を描いている。
おそらく、留守番をさせられているのだろう。

悪魔は黒い翼をはためかせて家の庭の隅に降り立つと、人相のよい、いかにも優しそうな若者に姿を変えた。
そして、するりと壁をすり抜けて家の中に入りこむと、子供に声をかけた。

「やあ、坊や。一人ぼっちなのかい?」

子供は、きょとんとした顔で悪魔を見た。
悪魔はかがんで、子供と目線を合わせる。

「怖がらなくていいんだよ。僕は、君のように、一人で留守番している子のところをまわっているんだ。寂しくないようにね」

子供は、ひどく人見知りをするようだ。
うつむいて、もじもじとシャツのすそを引っ張っている。

「君の名前、教えてくれるかい?」

悪魔がいかにも人のよさそうな微笑みを浮かべると、子供はさらに恥ずかしそうにもじもじとしていた。
これでは名前を聞き出すのは困難だ。
口で言ってもらえそうにないのならば……。

「君、字は書ける?」

こくり、と子供が頷く。

「すごいなあ、もう字が書けるなんて。よかったら、君の名前、この画用紙に書いて、僕に教えてくれない?」

悪魔がおだてると、子供は素直に喜んだ。

「うん、じゃあ、書いてあげる」

画用紙に緑のクレヨンで、自分の名前らしいものを書き始めた。

「はい、これ、ぼくの名前」

そう言って手渡した画用紙には、ミミズののたくったような文字が書いてあった。
かろうじて、ひらがなで、『ほしだ たくま』と読み取れる。

悪魔は、声に出して読み上げて確認しようかと思ったが、やめておいた。
他の連中に聞かれてしまっているかもしれないからだ。
もしそいつが先にこの子供を支配したら、自分の計画が台無しになる。

「ふぅん、すごくいい名前だね。かっこいいよ」

そう言って悪魔が頭をなでてやると、子供は、うれしそうに照れ笑いを浮かべた。

「じゃあ、僕は次の子のところへ行かなくちゃ。お留守番、がんばってね」

画用紙を返し、ニコニコと笑いながらもう一度頭をなでると、子供はすっかり警戒心を解いた様子で、

「バイバイ」

と、小さな手を振った。


子供のところを立ち去った悪魔は、急いで魔界へと戻った。
儀式を行うためだ。
名前さえわかれば、あの子供を支配できる。
将来起こるであろう、人間の社会の混乱ぶりを想像して、悪魔はほくそえんだ。



「ただいま、タクちゃん。いい子にしてた?」

ケーキの入った箱を片手に母親が帰ってくる。
子供は、玄関まで走っていった。

「ママ、あのね、お留守番してたらね、男の人が来たんだよ」
「まあ、誰かお客さんが来たの?」
「ううん。ぼくみたいに、お留守番してる子のところをまわってるっていうの。優しい人だったよ。だから、ちょっと楽しかったの」

不審人物かもしれない、と思った母親は表情をくもらせた。

「ママ、これ、見て」

子供はおかまいなしに、にこにこしながら画用紙を差し出す。

「まあ、どうしたの、これ」
「ぼくね、その人に、自分の名前を書いて、見せてあげたの。すごくいい名前だって、ほめられたよ」

子供が得意げに画用紙を見せると、母親は困った顔をした。

「あら……タクちゃん、これじゃあタクちゃんの名前にならないわ」
「ええ〜? どうして〜?」

自信のあった子供は、不満そうにふくれっ面をする。


「あのね、タクちゃんは『ほしだ たくま』じゃなくて、『はしだ たくま』なのよ」


母親は、来年小学校にあがるというのに、いまだに『は』と『ほ』をごっちゃにして覚えている我が子を思い、ちょっと憂鬱になった。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

『は』と『ほ』 プラスマイナス1/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる