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zoom RSS ネガイネガワレ 21

<<   作成日時 : 2017/06/24 11:13   >>

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夫妻の名はそれぞれグレッグ、アマンダといった。グレッグはこの村のリーダー格と見え、私をここに置くことを他の三家族に宣言し、承諾させた。
他の三家族については、夫の方がジョンだのジャンだのジャックだのと似たような名前だらけで正直覚えきれていない。聞けば何と三つ子だという。何せ髪の色も目の色も体型も果ては声まで同じときては、私に見分けられるはずもなかった。それぞれの家にいる時か、奥さんを連れている時を除いては。
共通しているのは、皆もう子供を望める年齢ではないことだ。私とはゆうに二回り以上の年の差がある。
他に名を覚えるべき人物、というべきか存在がもう一つ。それはまだら模様の犬だ。彼の名はヒースである。猟犬としての仕事がない時はグレッグ、アマンダ夫妻の家の前に繋がれている。

グレッグ、アマンダ夫妻の家に間借りすることになった私は、水汲みと畑の草むしりを任されることとなった。
いわく「ここにいても良いし、よそで暮らす気になったらいつ出て行ってもかまわない」とのことだ。字面さえ見れば寛容なことこの上ないが、いつまでも甘えてはいられない。私はなるべく早めに出て行く腹づもりでいた。
何にせよ、血縁でもない奴がいつまでも家にいられたら誰しも嫌な気持ちになるだろうから。

私は畑の草むしりをする手を止めて、顔を上げる。
今日も天気が良い。耳を澄ませば鳥のせえずりが聞こえ、小さな野の花が揺れている。そして――小道の先に広がる森。いつ見ても変わり映えのしない風景だ。
村の男衆は今日も猟銃片手に森の中である。野ウサギ用の罠をしかけておいたとかで、犬を連れて朝早くから出かけていった。
小道の果ては薄暗く、何も見えない。この道の果てにはあの建物がある。一時期過ごしたあの場所が。
何やらきな臭いが、三十年という月日を経てあの場所は一体どう変わったのだろう。

「サンドラ」

家の方からアマンダの声がして私ははっとする。いけない、さぼっていると思われてだろうか。
立ち上がると家の入り口の戸を開けたアマンダが、こっちを見ているところだった。

「ちょいと水を汲んできておくれ」

そう言って空の桶を差し出してくる。小さな木の板を円状に立てて鉄の輪で二カ所止められた木の桶。使い込まれたそれは持ち手の部分が腐食しかかっている。
私が駆け寄って木の桶を受け取ると、彼女はじっと私の顔を見た。

「あんた、また森の方を見てたね」

ため息交じりに言われ、私の背筋が寒くなる。
見られていたとは思わなかった。さぼってやろうという悪意で仕事を放っていたわけではないのだが、彼女は私の姿をどう思ったのだろう。気に入らないといって陰湿な行動に出るかもしれない。

「すみません」

詫びの言葉を口にすると、アマンダは少し困ったように笑った。

「いや責めてるわけじゃなくてね……あんた、自分で気付いてるかい。ぼうっとしてるなと思うと、いつも森の方を見てるんだよ」

それは気付かなかった。
森の方を見ていることではなく、アマンダに見られていることにだが。

「そりゃ、色々あっただろうけど……あんたはもう、そこから逃げられたんだ。早いとこ忘れちまいな。悪い夢だと思ってさ」

悪い夢、か。
うつむいた私の視界に映る自分の手が、拳を握っていた。畑仕事で土まみの手。爪の中には泥がいっぱいだ。それでも路上で暮らしていた頃よりはずっときれいだ。
同情をはき違えて恋い慕ったことも、想いが届かぬと知って自暴自棄になった挙げ句、悪事を目撃して殺されて……それが全部悪い夢だったらいいのに。
それだけじゃない。両親が死んでしまったことも、貴族の馬鹿息子に買われたことも、こんな体にされたことも、ある日目を覚ましたら全て夢でした、となったらどんなに幸せだろう。

「簡単じゃ無い……です」

やっとの思いでその言葉を口にする。
簡単に忘れられる話ではない。世間ではあれから三十年経ったというが、私個人としては昨日の出来事も同然なのだ。

「だろうね」

アマンダは軽く受け流すと、「じゃあお願いね」と家の扉を閉めてしまった。
私はしばし、その場にたたずんで家の煙突から上がる細い煙を眺めた。
私はまだ、誰にも「深い事情」を話していない。打ち明けてしまえば、私は変われるだろうか……やっぱり、胸の奥にしまい込んでおこう。軽々しく話せることではないし、信じてもらえるかも怪しい。

それよりも水汲みだ。
幸い村の外れにきれいな水の流れる小川があり、この村ではそれを飲み水や生活用水、調理に使っている。小魚も泳いでいて、この村に子供がいたら、きっとそこを遊び場にしていたことだろう。
この川の水源がどこにあって、どことつながっているかを考えると複雑な気持ちになる。建物の地下を流れていた水路は、おそらくこの川と無関係ではあるまい。

川縁にひざをつき、木桶を傾けて水に沈める。
水汲みは単純なようで案外気を使う仕事である。川底に木桶をぶつけてしまうと、舞い上がった泥のせいで水が汚れてしまうのだ。
木桶を引き上げたところで何かの気配を感じて、私は水の入った木桶を抱きかかえた。
気配がしたのは、川向かいの方だ。橋として川に渡してある、二本の丸太を鉄線で結びつけたそれの向こうだ。
見つめていると、奥から馬の鞍や蹄鉄の音が聞こえてきた。
一頭二頭という数ではないな、と考えていると、やがてそこから四頭立ての馬車が現れた。その後ろには荷馬車が続いている。

「おいお前、ここの代表は誰だ。どこにいる」

問いかける馬車の御者の服を見た途端、私は木桶を落としていた。落ちた木桶は地面に落ち、ばしゃんっ、と腰の辺りまで水を飛ばしてくる。
深緑色の軍服姿。目深にかぶった同色の帽子。私は思わず、その下にある相手の顔をうかがってしまった。
――帽子の下にあった顔はデニスとは似ても似つかぬ、少年臭さを残したそばかす顔だった。

「聞いているのかっ」

おまけに短気な性分らしい。もっともこれが普通の軍人なのだろう。恵まれない者や弱い者に優しいデニスが異端なのだ。

「……少々、お待ちを」

苛立たしげな視線を浴びながらそそくさと水を汲み直し、私はアマンダの元へ駆けた。

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