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zoom RSS ネガイネガワレ 19

<<   作成日時 : 2017/06/17 21:03   >>

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まだら模様の犬は足が速かった。
あっという間に私の目の前まで駆けてきて、ワンワンと吠えた。まるで、そこから一歩も動くなと言わんばかりだった。

「あらやだ怖い。何とかして下さいません?」

天使はそそくさと私の後ろに隠れてしまった。
……犬の相手は得意じゃない。吠えさえしなければ平気なのだが、今のようにワンワンキャンキャンうるさくされたら固まってしまう。
追い払う勇気もなければ手懐ける技量もない私は、両手を引っ込めて吠える犬の顔を凝視するしかなかった。

「もう一度聞くぞ、何してる」

犬の顔を凝視していたら、いつの間にか男が近寄ってきていた。
吊していた細長い筒のような物を右手に持っている。見ればそれは猟銃だった。

何していると言われても……ついさっき生き返ったところです、なんて答えるわけにもいかない。第一信じられる話ではない。
私は困り果てて、凝視する対象を犬から男の顔へ変えた。
男は白髪混じりの髪を短く刈っていて、五十代くらいに見えた。何事か短く犬に言い、おとなしくさせると私の格好を見て、ふう、と息を吐く。

「その格好……お前さん、逃げてきた奴だな」
「逃げてきた……?」
「その格好を見りゃわかる。お前さん、お世継ぎ様の作った施設にいたんだろう」

そう言われて浮かぶ施設なんて、ただ一つ。教育と仕事に就く機会を与えるための施設。あの監獄のような見た目の建物。
逃げてきたという点を除けば当たりなのだが、気になることがある。三十年経っているのにまだ、あのちびは「お世継ぎ様」呼ばわりなのか。

「安心しろ、引き渡すような真似はせん。今年に入ってからもう、お前さんで三人目なんだよ。まともに立っていられる奴は初めてだが」

男はため息をき、猟銃を肩のベルトに吊す。
私がいた頃、逃げた者がいるという話は聞いたことなどなかったが……三十年の間にずいぶんと変貌したようだ。

「立ってるなら、歩けるな。近くの村まで連れてってやる」

ここにいたってしょうがない。私は男の言葉に従うことにした。
まだら模様の犬はぴたりと男の隣に並んで歩き、私は彼らの後ろから着いていった。
背の高い草をかき分けて進むと、やがて森の中を通る小道に出た。この先に集落があるのだろう。

「お前さん、あの施設に来てからまだ日が浅いんだろ。逃げてきた奴らの中じゃ、一番小綺麗な身なりしてるもんな」

道すがら、男はそう尋ねてきた。
私は何と答えたら良いのかわからなかった。あの建物では一冬超えて過ごしたが、今着ているのは天使が出してくれた物だ。

「誰かが教えてくれたのか、勘付いたのかは知らないが……早いうちに逃げ出せて良かったな。しゃんと歩けているし、これなら立ち直れるさ」

仕方なく私が黙っていると、男はため息をついた。

「逃げてきた奴は皆、病気だった。弱り切ってて、立っても座ってもいられないほど具合の悪い奴ばっかりだった。話すだけ話して事切れる、なんてのもいた。背負って連れて帰ったのは、もう何人いたか。でも全員、弱りすぎてて助からなかった。聞いた限りじゃ、満足に物も食わせてもらえなかったらしい」

私は最初、それほど財政状況が悪いのかと思った。
何らかの事情で予算を削りに削られたせいで、そんな悲惨な状況に陥っているのかと思ったのだ。
いくらお世継ぎ様の提案で始まった国家事業だろうと、財政難に陥れば容赦なく予算は削られる。王室側への予算を確保するために、切り詰められるところは切り詰めるものだ。

「まったく、病人の治療もしてやらないで、運良く残った奴は不利な条件の労働契約書にサインさせられて、炭鉱だの何だのきっつい所に送られて死ぬまで使われるなんて……何が教育と労働の機会を与える、だ。立場の弱い労働者を作ってるだけじゃねえか。なあ」

何だって。
私は思わず声を上げそうになった。
悪行が引き起こした悲惨な状況だというのか。それなら財政難の方がまだましだ。

「昔はどうも女を売り飛ばしてるらしいなんて噂になったもんだが、ひどくなったのはここ八年ぐらいからさ。その施設の責任者が代替わりしてからだな」

売り飛ばされていたのはただの女性じゃない。妊娠した女性だ。余計にわけがわからなくなるが、少なくとも私の知る限りは、そうだ。

しかし責任者が代替わりして悪化したというが、今の責任者は誰なのだろう。私の時は胸元に勲章をぶら下げて口ひげを生やした男だったように思うが。
デニスはそんな奴の部下をやっているのだろうか。いや、彼が悪行について見て見ぬふりが出来るとは思えない。とっくに切り捨てられてしまったのに違いない。
何せ、あれから三十年も経っているのだから。

「お前さんも、ひどい扱いを受けたんだろ?」

……ああ。三十年も前に、女性が連れ去られる所に居合わせて無謀にも突っかかったもんだから、濡れ衣を着せられた挙げ句に殺されたよ。
そこへ至るまでの出来事を思い出すと、涙が浮かんでくる。

「言いたくないか。まあ、そりゃそうだな」

肩越しにこちらを見た男は、私の涙をそのように解釈したようだ。

「……女房にお古を出してもらおう、その格好じゃ、嫌でも思い出すだろうからな」

首を振り、男が歩を進める。彼と犬に明るい木漏れ日が落ちていた。

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