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zoom RSS ネガイネガワレ 13

<<   作成日時 : 2017/04/08 10:38   >>

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皆が仕事に取りかかると、建物の中はとても静かになった。仕事場は食事や寝起きをする生活の区画から離れているので音が届かないのだ。
指定の場所へ私が着くと、デニスは先に待っていた。窓を直す材料らしい物を小脇に抱えながら、そわそわした様子で。
こちらに気付くなり、彼は尋ねる。

「サンドラ、天使はそこにいるかい」

私はちらりと、自分の右側に目を向ける。
そこにいる天使はにこにこと笑っていて、私に「なあに?」とでも言いたげに小首をかしげてみせた。
いる、と短く答えると、デニスは片手を差し出してきた。

「会わせてくれないか」

私は彼に歩み寄り、おずおずと手を差し出し返す。
……こちらから誰かの手を握るなんて、おこがましい気がしてとてもできない。ここまでが私の限界だった。
デニスはそんな私の指先を握る。簡単に振り解いてしまえそうなほどの、ごく軽い力で。
途端に、デニスが私のすぐそばに目を向けた。そこにいる天使にあっという間に目を奪われ、意識を奪われている。私のことなんて、もう意識の外だ。

「ああ、天使様」

デニスはうっとりとした表情で天使を見つめる。

「この目であなたを見ることができて、こうして言葉を交わせることが、今でも信じられません」

見つめ合う若者と美しい天使。その二人だけを切り取ってしまえば、とても絵になる光景だ。
……ここに私さえいなければ、きっと完璧な世界なのに。
私は知らず、目を伏せていた。
こうしてしまえば、デニスが今、どんな表情を浮かべているかわからない。
何故そうするか? 決まっている。少しでも目を上げたら、憧憬と慕情をありありと浮かべた顔を見る羽目になるからだ。

見るのが辛いのだ。
それは私の方へは向けられているが、決して、私宛のものではない。そしてこれからも一生、向けられることはない。デニスどころか、誰からも。
それに引き替え天使は、やすやすと手に入れている。ただそこに存在するだけで、私が得られないものを簡単に誰かから与えられる。

これはきっと、嫉妬だ。
私の方が得るにふさわしいとかそういうことを考えているから起こる感情では無い。単に私が得られないから、持っていないから生まれる醜い感情だ。
……この体に、醜い感情。組み合わせとしてはむしろ、お似合いなのかもしれない。

「あなたはわたくしに夢中ですわね」
「はい。僕はあまり幸せな子供ではありませんでしたから……ずっと、貴方への祈りが心の支えだったのです」

知っている。
守衛達が話すのを聞いてしまったから。
お前の母親は貴族の妾だったんだろう。本妻の方に子供がいるのか、実父からどんな扱いを受けたかまではわからないが、冷たくあしらわれる幼少期を過ごしたのだろうと想像はつく。

「辛いことがあった時、母はよくこう教えてくれました。天使はかわいそうな人の味方だ。良き心を忘れずにいれば、幸せになれるよう導いて下さると」

だからあの時、私に言ったのか。天使はあなたのような哀れな者を導いて下さるだろう、と。

「僕は母の言葉を信じて、耐えて来ました。その日々がやっと報われたと思えます。近々、母への手紙に貴方のことを書くつもりです」

耳をふさぎたい衝動に駆られる。いくら目を伏せていても、その熱っぽい語り口までは防げない。

「さあ、そろそろ勤めに戻りなさいな。日々の勤めを果たすことは大切でしてよ」

ふわりと空気が動いたと思ったら、天使の姿は消えていた。

「……行ってしまったのか」

名残惜しげに、デニスが私の手を離す。
勘違いをしてはいけない。デニスが惜しんだのは天使の姿で、私の手を離すことではない。

「これを」

切なげなため息をついた後、デニスが小脇に抱えていた包みをよこした。
古い紙にくるまれているそれは、両手で持てる大きさなのにずしりと重かった。

私は包みをはがしてみた。表がざらざらして裏がつるりとした紙の中にあったのは、四角い石のような物だった。
押してみると、わずかにへこむ。粘土だろうか。だが粘土にしては固い。

「何という名前だったか……特殊な奴らしい。これなら、こねる手間がいらないからすぐ使える。ひび割れや穴に押し込んでしばらく待つと固まるそうだ」

それなら扱いは簡単だ。
私はうなずいて、紙で包み直した。

「サンドラ」

立ち去ろうとして呼び止められ、ぎこちなく私は振り返る。

「また天使に会わせてくれるかい」

誰かを求める、切ない顔。完全に恋をした人間の顔だ。
――頭が真っ白になって、胸が、ずきりと痛んだ。
見たくなかった、というのが率直な思いだった。その顔が不快だったからじゃない。私に向けられたものじゃない、という事実が、ひどくこたえた。
それを押し殺そうとしたら口元が引きつった。それが彼にどう映ったのだろう。

「浅ましいのは、自覚しているんだ」

デニスはばつが悪そうな顔をして、帽子をかぶり直した。

「……あれだけ美しいのなら、惹かれるのも無理はないさ」

私とは違って、という一言が口から飛び出しかけて、私は慌てて口を片手で覆った。
それから、自分の言いかけた言葉を反芻する。

私は今、何を言おうとした?
何かとても恐ろしい、身の程知らずな一言ではなかったか?

「サンドラ?」
「……早く済ませて、仕事に戻らないといけないと思って」
「監督役には話してある、心配しなくていい」
「周りはサボったとしか思わないだろうから」

私は足早にそこを立ち去った。
角を曲がり、寝場所の部屋へと急ぐ。誰にも会いたくない、その一心で。
扉を開けると、仕事中なので当然だが誰もいなかった。
その静けさが耳を突いた途端、体から一気に力が抜け落ちるような感覚があった。
閉めた扉にもたれかかり、ずるずると座り込む。手の中の包みの重さが、急に増したような気がした。

こんな体で……女とは見てもらえないこんな体のくせに……自分の性別なんて忘れかけていたところだというのに、なんで今更、こんな思いを。
私は馬鹿だ。大馬鹿だ。
ちょっと男に哀れんでもらって、優しくしてもらっただけで、なんて簡単に転がったものだろう。
私はデニスに、彼が天使にそうするように扱われたいと思っているのだ。願っているのだ。なんて身の程知らずなのだろう。

――私は、女だった。どんな体になっても、女だった。
嫌というほど、痛烈に実感した。

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