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zoom RSS ネガイネガワレ 12

<<   作成日時 : 2017/04/01 17:05   >>

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デニスはそれから、みるみる回復していった。
目には光が宿り、血色の良くなった顔は生命力が感じられた。動きもきびきびとして、若者らしい活力にあふれていた。
整った顔立ちにはやはり、明るい表情が映えるものだ。女性達はますますデニスに夢中になって、勉強そっちのけで黄色い声を上げたりすり寄ったりした。
かつてのデニスなら、それらの行動に困惑しきっていただろう。だが彼は、以前の彼ではない。
「わかったわかった」と手を叩き、「今は勉強の時間だから、集中してもらいたい」と軽くいなして勉強を続行させる胆力をも見せた。
女性の扱いに慣れていない若造がうろたえる様を面白がっていた守衛達は、面白くないという顔をしていた。

デニスの変化は、この人と心に決めたことで精神的に余裕が持てたことから起きたのだろう。あるいはその相手以外はどうでも良いと思えるようになったからだろう。
彼の場合は、相手が人間では無いのだが。

私の手をつかんだデニスが天使の姿を見た、あの時から数日後の勉強時間。
今日の勉強は1から10までの数字の書き方の練習だ。以前さんざんな結果だったので、もう一度やり直すという。
デニスに相手にしてもらえないと知るや、女性達は勉強を頑張ることでお近づきになろうと考えたのだろう。
室内には小さな黒板の上に白墨を走らせるカリカリという音が響き渡っていた。

「ずいぶんと元気になったこと」

天使は見違えるように生き生きと教えるデニスを、私の隣で退屈そうにぼうっと見ていた。たまたま、私の隣が空いていたので椅子に座っている。
隣の席には誰かが座っていたのだが、勉強が始まる前に吐き気がすると訴えて守衛に連れて行かれたのだ。おそらくはあの、初日に診断をした怪しい医者の所へ。
真冬に突入してしばらく経つが、雪の降る気配はない。どうやらこの一帯は雪が降らない気候のようだ。
しかし寒いことに変わりは無い。部屋の中ではストーブを焚くが全体が暖まる訳では無いので、この頃体調を崩す者もちらほら現れた。

この前聞こえた守衛同士の下品な会話。ここへ来てから過ぎた日数。そして訴えていたのは吐き気。
……まさか。
私は内心で頭を振った。
そういうことになったら……子供ができたとなったら困るのは守衛の方だ。下手を打つようなことはすまい。

そこまで考えてふと、私は初日に振り分けられた妊娠していた者や、妊娠の疑いがあった者のことを思い出した。
彼女らは今頃どうしているのだろう。こちらへ戻ってきた様子はない。だが、ここで産声らしいものを聞いた覚えも無い。よそへ連れて行かれて、出産の時までを過ごしているのだろうか。

「サンドラ」

急に名を呼ばれて、私は驚きのあまり椅子から腰を浮かした。
見ればデニスがじっとこちらを見つめている。

「勉強に身が入っていないぞ。集中しろ」

くすくすと小さな笑いが起きて、顔がやたらと熱くなる。
悪意のある笑い方ではないと思うが、こんな風に注目を浴びるのは気分が良くない。
私はむっつり黙り込んで、椅子に座り直した。

「あなた、他の皆よりずうっと文字を書き慣れた様子ですわね。お勉強なんて必要ないんじゃありませんの?」

白墨を握り直したところで、天使がひょっこりと黒板を覗き込んでくる。まるで犬か猫みたいに。
読み書きも計算も、すでに身につけているからだ。この程度なんて復習にもなりやしないくらいに。
とも言えず、私は黙って黒板に白墨でカリカリと数字を書き込む。
つまらない。全くもってつまらない。簡単過ぎることを繰り返させられて気が狂いそうだ。実際、意味の無い単純作業ばかりさせられていると人は発狂するらしいが。

勉強時間の終わりを告げる、割れ鐘のような音。
女性達は残念そうな顔をして、使用した小さな黒板を後ろから順に回収し始める。一番前の者がデニスにまとめて渡すのだ。
デニスにさらに近づけるとあって、一番前の席の競争率はさらに高まっている。
前の席の者に後ろから回ってきた黒板と自分の分を渡し、ふう、とため息をついて体を伸ばそうとした時だった。

「サンドラ、少し良いかな」

デニスに呼びかけられ、私は伸びを中途半端なところで止めた。
女性達の間にざわめきが走る。全員の目が私に向けられる。興味を持った者もいれば、さっきのことで叱られるのだと哀れんでいる様子の者もいる。
だが大半は嫉妬の眼差しだ。嫉妬の目を向ける集団は、まるで目玉が百だか千だかあるという怪物のようだ。その怪物の目はどれも一つとして正しく見えないと何かで読んだような気もするが……事実かどうか私には確かめようもない。

「窓の補修のことなんだけれど、材料が欲しいんだったね?」

私はこくりとうなずく。

「仕事の始まる時間になったら、あの場所へ来てくれ。大丈夫、監督役には話を付けておいたから」

……窓の一件のことは、本当だ。
寒いすきま風が吹いてくるので濡らした布などでふさいでみたのだが、風が強くなるといつの間にか布が取れてしまい同室の女性達から寒くて眠れないと苦情が来た。
女性達にせっつかれ、これは本格的に埋める必要がある、と私は材料が欲しいと頼んだのだ。
何故私に任されたかというと、やはり一番窓際のベッドで寝ているからである。一番近い所にいる人間に押しつけるのはよくある手口だ。
私は最初、守衛をつかまえて話したはずなのだが、彼は明らかに面倒くさそうな顔をして上に報告に行くと答えた。
その結果が、こうである。デニスもきっと、上に押しつけられたのだろう。それならさらに下の立場の守衛に押しつけてしまえば良いものを、まじめに引き受けたのだろう。

だがデニスにはもう一つ別の用件があるということも私は知っている。
天使だ。彼は天使に会いたいのだ。だが私に触れない限り、彼が天使にお目通り願うことはない。
それで口実を付けて私と別件で会いたがっているのだ。
……本当は、私なんかただの邪魔者で、天使と二人きりになれるならそちらの方が良いのだろうに。

ちなみにあの場所とは、彼が初めて天使に会った場所である。どことも言いようがないが、私が頭をぶつけてしゃがみこんだ廊下の壁の角である。
別に、そこ以外でも天使には会えると思う。単に私に触れていれば見えるというのであれば。
だが彼はそこを指定してくる。確実に天使に会うには、と考えてのことなのだろう。

デニスと入れ違いに、食事係が鍋や食器を部屋に運び込み始めた。
台を引っ張り出し、そこにがちゃがちゃと食器を置いて鍋の中身をすくって入れていくのを脇目に、私達は一旦部屋を出て、外へ並び直す。
今日はオートミールと……干した魚を煮た物のようだ。
前の人に続いて並び、ぼんやりと天井を眺めていると、誰かが後ろから袖を引いてきた。
何だろう、と私は後ろに並んだ奴に顔を向ける。
赤い巻き毛の、小柄で丸い目をしたそばかす顔の女性だった。

「ねえ、あんた。デニス先生と二人きりで会うの?」

デニス先生。女性達は彼のことを皆そう呼んでいる。

「ああ、窓を直す材料をもらわなきゃいけないから」
「そんなの知ってるわよ。なんでそれが仕事の時間なのよ」

そんなことを言われても、こちらから時間の指定なんてできるものではない。こっちは立場が弱いのだし、言われたように動くしかできない。
おそらくデニスは、その方が邪魔も入らずに天使に会えると思ったのだろうけれど。

「よくわからないけど……デニス先生の方が、その時間じゃ無いと都合つかないんじゃないかな」
「……ふうん」

一応それで納得はしたらしいが、相手は不満げだった。ひょっとして逢い引きだと思い込んでいるのだろうか。
無駄な心配を。彼にはもう、心に決めた相手がいるというのに。

「デニス先生と仕事を抜け出して堂々と会えるんなら、あたしが窓を直す役を引き受けりゃ良かったわ」

赤い巻き毛の女性は、ぶつぶつと文句を言っている。
なだめるほど親密な関係じゃない。放っておこう。
私は再び前を向き、後ろからまだ聞こえてくる文句に聞こえないふりを貫いた。

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