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zoom RSS ネガイネガワレ 7

<<   作成日時 : 2017/03/18 15:44   >>

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私達がここで共同生活をしているのは、仕事と教育の機会を与えられてのことである。中身や充実度がどうあれ、そういう名目である。
だがここでの暮らしが始まって一月が経ち二月が経ち、とうとう雪のちらつく季節になっても教育の機会なんてものは訪れなかった。来る日も来る日も、ひたすら鉄の輪っかを磨かされ続けた。
それでもう、誰もが読み書きや計算なんて教えられることもなく仕事ばかりさせられ続けて終わる人生を疑いもしなくなった。

だから、「お前達、今日からは仕事と教育を半日ずつ行うぞ」という、仕事の監督からの突然の通達に皆びっくり仰天した。
昼食の前までが教育で、夕食までが仕事という割り振りだそうだ。
早く行け、と食事をする部屋に集められて、私達は食事をする時と同じように、部屋に入った順で端から詰めて座った。

部屋の様子は、いつもと違った。入口側の壁の真ん中辺りに大机と黒板が置かれていた。
私がついた机は真ん中の列の、二番目だ。つまりその黒板や大机をまっすぐ見る位置である。学校だったら、それなりに勉強熱心な奴が座る席だろう。
隅の方では後ろで手を組んだ守衛が、まるで見張るようにして壁際に突っ立っている。
そんな彼らの何が面白いのか、天使はその間を行ったり来たりしていた。

「こんなにぎゅうぎゅう詰め込まれて、窮屈じゃありませんの?」

やがて飽きたのか、天使が私のそばへ来る。
人前で話しかけるな。受け答えをしたら私の頭が疑われる。
じろりと見ると、天使は肩をすくめた。

「あら嫌だ。窮屈な所にいると、窮屈な人間になりますのね」

私は元々窮屈な人間だ。放っておいてくれ。
ため息をこぼして目線を外すと、入り口に人影が現れた。
誰だろうと思って見つめていると、深緑色の軍服を着た人物が部屋に入ってくると、どこからか「まあ」と小さく歓声が上がった。
その人物の顔を見て、私はぽかんと口を開けてしまった。

「君達の教育を任されることになった。デニス・レアーズだ」

そう名乗った教師役は、あの青年だった。
ぱっと目が合って、慌ててうつむく。

なんで私は、この場所に座ってしまったのだろう。ぼんやりしていても目が合ってしまう。
……落ち着かない。次からは離れた所に座ることにしよう、と、うれしそうに何やらささやき合う周囲に紛れながら心に誓った。
まあ女性達がうれしそうにするのはわかる。青年――デニスの背格好はそこいらの男よりずっと良いものだから。

「静かにしろ!」

守衛に怒鳴られて、女性達のざわつきが収まる。

「全員分を用意するのに時間がかかってしまったが、これでようやく教えられる。まずはこれを」

膝に置ける大きさの黒板と白墨が三本配られる。
皆、見るのも触るのも初めてのようでしげしげと手に取って眺めている。
私は昔、さんざん扱った覚えがあるので別段興味を引かれない。机の上に置いたまま、うつむいていた。

「まずは自分の名前を書けるようにしよう。そこで、君達の名前を教えてもらいたい。その綴りを黒板に書くから、それを書いて覚えるんだ」

デニスは左端の者から、順に名前を言わせて黒板にそれを綴って書き取らせていく。
書き終えたとみると、彼は「よろしく」とその名を呼んでいた。誰もがそれに大なり小なり、喜んだ様子で応えていた。

――名前。
それを意識した途端に、懐かしい気持ちと苦々しい気持ちがごちゃ混ぜになって私を襲ってきた。

私は、これまでに二度名前を付けられた。
初めは両親。生まれたときに彼らが付けてくれて、死に別れるまで呼ばれていた名前。
貴族の馬鹿息子に買われた後で付けられた名前。

どちらを私の名前として選ぶかなんて、わかりきったことだ。
貴族の馬鹿息子が付けた名前なんて、私の名前じゃ無い。生まれた時に付けられた名前こそが、私の名前。
……でも、その名を名乗るにふさわしい身では、もうない。
両親は娘が一生涯女性としてやっていくことを疑いもせず、その名を付けたはずなのに、私の体はもう、女ならば得られるはずの喜びも苦しみも経験することができないのだ。

それでも。
それでも、私は両親がくれた名前を選ぼう。
彼らが借金を残して死んだりしなければこんな目にあわずに済んだ、と恨んだこともあったけれど、結局それは、どうにもならないことだったのだから。

「君」

思いにふけっている間に、私の順番が来た。
私は弾かれたように立ち上がる。座っていた椅子は、案外大きな音を立てて転がった。
目が合った。帽子の下から、彼のとび色の目がこちらを見ている。

「名前を教えてくれるかい」

口調が若者らしい、少し砕けたものになっている。安心させようとしている、と気遣っているのが嫌でもわかった。

「サンドラ」

私は、緊張で早口になっていたらしい。デニスが「ん?」と首をかしげる。
その仕草に妙に胸が騒ぐのはどうしてだろうか。

「……サンドラ」

今度は少しゆっくりと答えてみた。

「そうか。じゃあ綴りは……こうだ」

彼は黒板にSandraと書いた。
私は白墨で、手元の小さな黒板に書き写す。
思えば、この名前を書くのは初めてだ。文字の読み書きを覚えてからは、別の名前を名乗らされていたから。

「よろしく、サンドラ」

私は目を伏せ、力なく首を振って椅子を起こして座り直す。

「あなた、サンドラという名前でしたのね」

座り直した目の前に天使の顔があった。
ああ、そういえば天使もいたんだった。彼女は床から浮き上がり、にこにこと笑っていた。
天使には、人間のように個別の名前なんてないのだろうな。

「よろしく、サンドラ」

どこで覚えたのか、天使が兵士みたいな敬礼をしている。口調はさっきのデニスの真似だ。
そのまま私達はしばし見つめ合った。
……やり返せというのか。その敬礼を。

一応、愛想は見せておくべきだろうか。
私は机から少しばかり三本の指先を出し、ちょいちょいと動かしてみせた。
この状況ではこれが精一杯だ。まともに敬礼なんて返せるわけがない。

天使としては反応があったことに満足したようだ。
まばたきをする一瞬の間に、彼女は再び姿を消した。

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