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zoom RSS ネガイネガワレ 9

<<   作成日時 : 2017/03/11 17:32   >>

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私はさっさと食べ物を胃に詰め込むと、回収用の箱に食器を入れて食堂を出た。
そもそも味わって食べるような食事じゃないが、今日はことさら味なんてわからなかった。
次に割れ鐘が鳴らされるまでは自由に休憩していて良いことになっている。ただし休憩中であっても建物の右側、男達が生活と仕事をしている方へ立ち入ることは許されていないが。
食堂を出ると、なるべく人のいない方を目指して歩く。
いつもなら仕事の部屋の自分の席に座って時間をつぶすところだが、今日はそうもいかない。
私はちらりと、肩越しに後ろの方を見やる。
……そこにはやはり、天使がいた。案の定、着いてきたのだ。こんなものを連れて仕事場には行けない。私と同じように、自分の席で時間をつぶす者が何人かいるからだ。

「もう、挨拶もなしなんてあんまりですわ!」

後ろから天使の声が聞こえてきた。
私はちらりと肩越しにそちらを見やる。

「わたくし達、見知らぬ仲ではないでしょう? そんなに邪険にしないで下さいまし」

そうは言うが、天使に傷ついた様子も悲しそうな様子も無い。それどころか生き生きと楽しげに見える。

「それにしてもあなた、女性でしたのね。わたくし、ちっとも気付きませんでしたわ」

今の私はワンピースとエプロンを着けた姿だ。
路上にいた時は布を何枚も体に巻き付けていたから、体の線が全くわからなかったのだろう。
だがそれを差し引いても、天使が勝手に男だと思っただけだ。私は男とも女とも名乗った覚えはない。
だいいち、天使のくせに人間の性別を見た目で判断するのはおかしいんじゃないか。天使っていうのはもっとこう、人間の魂というか本質を見ているものじゃないのか。

「……何でここにいる?」

私は辺りを見回して人がいないことを確かめるてから話しかけた。なるべく声をひそめて。

「わたくしがここにいたら、可笑しいのかしら?」
「おかしい」

きっぱりと言ってやると、天使がほんの少し、頬をふくらませた。子供じみた仕草だが、男相手なら「愛らしい」と喜ばれそうだ。

「あなたのお願い事を、まだ一つしか叶えていないんですもの。あと二つ叶えるまでは離れられないんですのよ」

そういえば願い事を三つ叶えてやるとか言っていたな、と私は思い出した。
あと二つ叶えるまではどうにもできないというわけか。天使も難儀なものだ。
同情しかけて、ふと気付く。

「それなら、なんで今頃出てきた? 今までどこへ行っていた?」
「わたくしには他の仕事もあります。四六時中くっついているわけにもいきませんわ」

死者の魂を導くのはこいつの仕事じゃ無いらしいが、じゃあ他に何をしているのだろう。
歩いているうちに、建物の端が見えてきた。右端の突き当たりまで来てしまったのだ。

「あなた、勿体ぶらないで二つ目の願い事をおっしゃってちょうだいな」
「そうは言っても……」

願い事なんてそうそう思いつかない。
行き当たりの角を曲がりかけたところで守衛の紺色の服が見えて、私は足を止めた。
守衛の一人が、ここを休憩所と決めていたらしい。
よく見ればその後ろに、見慣れた色合いの布が見え隠れしている。
私の着ているワンピースと同じ色、素材の布地……。

守衛の肩に細い腕が回されたところで、私はようやくそれが何を意味するところかを悟った。
信じられない。こんな所で逢い引きなんてしていたのか。
こんな所でラブロマンスだって? 何を馬鹿な。こんなの、囚人と看守が恋に落ちるようなものじゃないか。
いや……純愛なんかじゃない、そんなわけがない。きっと、守衛が欲求を満たすためにうわべの愛をささやいて女を転がしたんだ。
そりゃそうだ。だってこっちは女だらけなんだから。時間が経つうちに、どの女でも好きにして良いなんて勘違いを始めたに違いないんだ。

ぐるぐると頭の中で色んなことが駆け巡った挙げ句――私は息を止め、音を立てずにそうっと引き返した。
見つかったらことだ。早くここから離れなければ。

「恋をする者は素晴らしいですわ」

なのに後ろで天使が脳天気なことをほざくから、腹が立つ。

「何が素晴らしいもんか、あんなものはただの肉欲だ」
「まあ、何てことをおっしゃいますの。人間に絶望していないからこそ、恋ができるんですのよ」
「そんなに感動したなら見物していたらどうだ。一部始終、じいっと!」

どうせ私以外には見えないんだから、いくらでも近くで見ていられるはずだ。
私は声を荒げて振り返ったのだが……そこに天使のものではない色彩が映り込んだ。
深緑色だ。ここでそんな色のものを身につけている人間など、ごく少数しかいない。

ぎこちなく顔を上げてみれば、それはいつぞや、私が小柄な守衛に胸元をさらして見せた時に布をかけてくれた青年だった。
何かの書類の束を小脇に抱えた彼は、私をきょとんとした顔で見ていた。
……まずいぞ。これではさっきの台詞を彼に向かって言ったみたいじゃないか。

「その……外の木の枝が折れていて、ぶらぶら揺れていたものだから、つい面白がって眺めてしまって」

彼は窓の外を指さして、ぎこちなく笑う。
そちらに目をやれば、確かに窓の鉄格子の外にある木の枝が一本折れて他の枝に引っかかり、風が吹く度に揺れているのがわかる。

「さっきのはこっちの話だから、気にしなくていい」

私はおろおろと両手を出して、首を振った。他に言いようなんて浮かばなかった。

「失礼、守衛が一人見つからなくて、使いっ走りをさせられてきたところなんで。早く戻らないと」

一番若い者が使いっ走りだの雑用だのを押しつけられるのは、どこの組織も同じか。
その守衛はおそらく、あっちで女と逢い引きの真っ最中だった奴だろう。馬鹿正直に教えて大騒ぎになるのは面倒だから黙っておくが。
私は慌てて壁の方に身を寄せて道を開けた。

「あの若者のことは、ちょっと感じが良いって思ってらっしゃるの?」

耳のそばで天使の声がしたので、私は小さく声を上げた。

「驚かせるな」

声を潜めて天使に向き直る。
彼女は私のすぐ後ろ、というよりも背中にぴったり張り付く感じだった。自然、私達は顔と顔を突き合わせる。
間近で見た、天使の金色の長いまつ毛に縁取られた緑色の瞳は宝石のようだった。

「まじめで健康で、整った顔立ちに良い体つき。少なくとも嫌う要素はないんじゃなくて?」
「馬鹿なことを」

すると天使が無邪気に笑って向こうを指さした。先ほど軍服の青年が去って行った方向を。
見れば青年がけげんな顔をしてこっちを見ていた。
そういえば他の人間には天使の姿が見えないんだった。一人で何をやってるんだ、と怪しんでいることだろう。

「ええと、何か?」
「いや、またこっちの話だから」

その時、割れ鐘の音が聞こえてきた。休憩の終わる時間だ。急いで仕事の部屋に入らないと。
私は口元を引きつらせながら青年に会釈をし、足早にその場を立ち去った。

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