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zoom RSS ネガイネガワレ 8

<<   作成日時 : 2017/03/04 17:51   >>

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人間が心ある状態を持つには、衣食住が満たされていなければならない。そのうちどれかが欠けても人間性に害が生じる――何かでそう聞いた覚えがある。
確かに、健やかな人間性を保つには、清潔な衣服と三食と寝場所の保証された暮らしは欠かせないものだろう。
今の暮らしはそれに当たるのかどうかと問われたら、私には答えられないが。

柔らかな布で一点のくもりもないぐらいに磨け、という指示の、何に使われるのかよくわからない鉄の輪っか。大きさとしては、私の手が入る程度である。
積み重なった木箱に入っているそれを黙々と磨いていると、割れ鐘の音が鳴り響いた。
ああ、やっと休憩だ。飯の時間だ。
体の奥底からふーっと息を吐き、しばし目を閉じてから、私はぞろぞろと部屋を出て行く人の群れに続く。

ここは女性陣に割り当てられた仕事の部屋だ。寝場所として与えられた場所から、さらに左側に進んだ突き当たりの大きな一部屋である。
ここでそろって同じ仕事をしている。名目上は訓練ということになっているらしいが。
鉄の輪っかを磨くこの仕事は、どこぞの何かの機械を作る規模の大きな工房からもらい受けたものである。
完全な下請けだ。相手の工房は上手な奴がいたら引き抜いて雇うとは言っているらしいが……ほぼ間違いなく、ここで使われ続けておしまいだろう。
これで一体、どんな就業の機会が与えられるものか。この、ひたすら輪っかをみがく作業が他の何かに活かせるというのか。
延々みがき続けていると、そんな考えにとらわれる。

適性も能力も無視して性別のみで分けられた私達の仕事ぶりは、さんざんなものだ。
基本として読み書きも計算もできない奴ばかりだというのに、仕事のはかどるわけがない。
まず指示の伝達だってめちゃくちゃで、時々、言った言わないでもめることもある。
そんな私達をまとめ、作業場の監督をしている守衛にこびを売るのが作業場の監督として割り振られた奴だ。初めに読み書きと計算ができる者はこちらへ来い、という呼びかけに応えた者達である。
はっきり言おう。彼らは損な役回りである。
こんな有象無象の連中をまとめるのにも苦労しているというのにノルマの数はこなせというのだから、たまったものではないだろう。
ここでの仕事を始めた日から、すでに作業場の監督が三回も替わっている。前の監督がどうなったかは不明だ。

今の監督は好みの女をえこひいきして仕事を減らし、その分他の奴に仕事を回すので嫌われている。
私? もちろんめんどくさい仕事を押しつけられる側だ。

部屋を出た私達が向かうのは食堂である。だだっ広い部屋に端までずらりと机が並び、それぞれに背もたれのない簡素な椅子が六つある。
食堂にあるのは細長い窓で、外の風景を楽しみながら食事、などという優雅なことはしていられない。もっとも、食事の内容自体がすでに優雅なんてものとはほど遠いが。
私達は一列に並んで、部屋の前に置かれた机から順番にトレイとスプーンを取る。このトレイとスプーンの数は使用後に返却しなければならず、毎回数を数えているようだ。一つでも足りないとわかったら守衛が仕事を中断してまで探させる。たいがいは誰かがこっそり持ち出していて、そいつの白状を待つしかないのだが。
入り口をくぐるとまず目に付くのは大鍋だ。中身はいつも同じ。薄い塩水でくたくたになるまで煮込まれた野菜。そばに張り付いた白い服の料理人が、黙々とそれを錫の器にすくっている。
一列に並んで順番に、トレイとスプーンを取ってから錫の器をトレイに受け取り、次にぞんざいに積まれた固いパンを一つ取る。
数は一人一つずつ。腹が減っていたって一つだけしか取ることは許されない。ごまかそうにも守衛が目を光らせている。

これが三食毎日続いている。正直、パンはぱさぱさだし野菜の方もほとんど味はしない。食える、という程度の代物である。
食べ物を取ったら食堂の机に端から詰めて座る。席についても勝手に食べ始めてはいけない。食事の前にはお祈りだ。神にじゃない。ちびに向かってだ。
食堂には王家の紋章が入った「お世継ぎ様」の肖像画が掛けられていて、それに向かって食べる前に「私達に教育と就業の機会を、そして日々の糧を賜りますことを感謝します」と声に出して祈るのだ。それが済まなきゃ食事は認められない。
他の奴らはどうか知らないが、私は薄汚い姿が第一印象だったせいか、ちびが小綺麗になってきらびやかな衣服に身を包んでいる姿には、幼子の滑稽な背伸びしか感じない。
一番初めの食事の時間には「馬鹿らしい」だの「くだらない」だのと言って参加しない奴がいた。
その結果、どうなったか。彼女らは飯抜きどころか公衆の面前で棒や鞭で血まみれになるまで打ち据えられた。
他の者はお祈りを欠かしたらどうなるか思い知らされたわけだ。次の食事の時間には皆がおとなしくお祈りをするようになった。

「全員、席についたな」

守衛がじろりと見回すと、私達の内の一人が静かに立ち上がる。

「お世継ぎ様に感謝の祈りを」

号令をかけるのはいつも同じ奴だ。目鼻立ちのはっきりした、赤毛の若い女。監督に気に入られている一人だが――ひょっとしたら守衛にも気に入られているかもしれない。

「私達に教育と就業の機会を、そして日々の糧を賜りますことを感謝します」

肖像画の方を向いて目を閉じ、手を胸の前で組み合わせて祈りの形を取る。心なんかこれっぽっちも込めてはいない。
皆そうだ。初日に守衛がこう述べろ、と言ったからそうしているに過ぎない。

「……食べて良し!」

守衛の許可が下りた途端に場に広がる、食器をこするスプーンの音。会話なんかほとんどない。皆、食べることに夢中だ。味は二の次で、ここでの生活での数少ない楽しみには違いないからだ。
私も黙々とスプーンを口に運ぶ。
食事にありつくまでに、我ながら味が薄いだのパンが固いだの、腹の中でずいぶん文句をつけたものだ。以前はのどの渇きも飢えも解決する気にならなかったのに。
ここでの暮らしが続くうちに、食えるだけでもありがたい、という気持ちが薄れてきている気がする。

固いパンは野菜の煮汁に浸せばちょうど良い。ついでにスプーンですくえない野菜のくずも拾える。
私はパンを一かけちぎり、煮汁にひたして口に運んだ。
――が、ふと視界の隅に白い布がひらりと踊った気がて、私は何気なく目を上げた。

……あいつ。
私は唇から落としかけたパンをつかみ、口にねじこんだ。

「何さ。吐くなら別の所に行ってからにしておくれ」

隣の席に座った女が眉をひそめている。

「いや、違うよ。大丈夫、何でも無い。ええと、心配どうも」

しどろもどろで応える私の目線の先で、幾人もの人間の顔を隔てた向こう細長い窓のそばを、天使が通り過ぎるところだった。あの、金色の髪に白い服の天使だ。
この光景の何が面白いのか、机の間を歩いては食事をする女達を時折覗き込んだりしている。

一体どうしてこんな所に。
声をかけてきた女がふんと興味なさげに食事を再開する傍らで、スプーンをにぎる私の手は震えていた。

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