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zoom RSS ネガイネガワレ 2

<<   作成日時 : 2017/01/21 10:35   >>

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「どんな願い事でも、かまいませんのよ?」

天使はやや口調を砕けたものにして、小首をかしげてきた。
馬鹿馬鹿しい。率直な感想がそれだった。何が願いを三つ叶えてやる、だ。
あんたはお迎えに来たんだろう。なのにどうしてそんなことを聞く。

「何で……そんなことを聞く」

久方ぶりに発した声は、かすれていた。
弱った体は、声の出し方すら忘れかけているようだ。

天使は私の言葉にきょとんした顔をした。

「あんたはお迎えに来たんじゃないのか。もうじき死ぬ人間の願い事なんて、わかりきってるだろう」

天国へ行かせてくれ。楽に死なせてくれ。まだ死にたくない。
こんな暮らしをしている人間が死に際に願うことなんて、そのどれかに決まっている。わざわざ尋ねるまでもない。そう思った。

すると天使はまつげの長い目をぱちくりさせた。

「使者の魂を導くのは、わたくしの仕事じゃありませんわ。まあ、死にたいと望むのなら、叶えて差し上げますけれど」

天使が目の前に現れたから、てっきりそうだと思ったが……違うのか。
私はまだ死ねないようだ。もっとも、自ら命を絶つなら別だろうが。

「さあ、願いをどうぞ。欲しい物があれば望むだけ、治したいものがあるなら完全に治してさしあげられましてよ」

天使が私に手をさしのべる。
こういうのを白魚のような……と表現するのだったか。傷も汚れもない、節も目立たない、しなやかそうな細長い指だった。

私は目を伏せる。
この暮らしを始めてからというもの、こんな具合で声をかけてくる奴は何人かいた。
医者へ連れて行ってあげるだの、もっと良い暮らしをしたくないかだの、どれも薄ら寒くなるような優しい声色だった。
奴らの顔なんか知らない。いつも背中を向けて、連中が根負けして舌打ちとともに――時には蹴りも付け加えていなくなるまで、無視を決め込んでいたからだ。
何故かって? 彼らが善人どころか、悪党の手下に過ぎないことを知っていたからだ。
身寄りの無い連中を拾い上げては、はした金を与えて使い捨てる……悪党にはそういうやり口があることぐらい、知っている。

だが今回は、いつものように背中を向けて、無視を決め込むことができなかった。
相手が腹黒い人間なんかではなく、本物の天使だからだろうか。
天使の微笑みは、私の心をすっかり捕らえてしまっていた。恋愛感情的な意味ではなく、人が神聖な物を前に震え上がるような意味合いで。

願い事なんて……。
私はこの時、本気で困惑していた。

願いを叶えてどうするというのだ?
健康な体と、大金。それがあればこの境遇からはとりあえず脱出できるだろう。
でも、このざまから這い上がって、何をする。這い上がったところで私には帰る場所も待つ人もいない。
せめて人様の役に立てるような才能があれば、これから居場所もできるのだろうが……そんなものは持ち合わせていない。
そんな人間がまた社会で凡人として苦労して、無理解な隣人にもまれて暮らせというのか。
その果てに、大金と健康は失われるだろう。失ったらまた、この暮らしに逆戻りじゃないか。

失うということがどれほど惨めなことか、私はよく知っている。
またあんな目に遭うのは御免だ。
何かを失う惨めさを味わわないで済むにはどうするか。手に入れなければいい。初めから持っていなければ失うこともない。

……やっぱり、叶えて欲しい願い事なんかない。さっさとどこかへ失せろ。

そう言おうとした矢先、雑踏の中から悲鳴が聞こえてきた。
まだ小さい子供のものだ。その痛々しさに思わず身がすくんだ。

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