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zoom RSS 私はミスター・ローレンス

<<   作成日時 : 2016/11/03 12:19   >>

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――私はミスター・ローレンス。
妻子もなく、たった一人で暮らす五十二歳の男。

人工知能が世界を統治することになってから、世界は平和そのものだ。
世界じゅうに色んな国があってそれぞれ代表がいて、という時代は過去のもの。
いや国自体はきちんと枠組みとして残っているが、その代表を全て人工知能が担っている形なのだ。
人工知能の出す指示に従えば、過去悩まされた諸々の社会問題は解決する。そして未来には繁栄が約束されている。
最初の頃はぎゃーぎゃー騒いでいた連中も、今ではおとなしくその恩恵にあずかって暮らしていた。

私はミスター・ローレンス。
朝起きたら、かつて言われた体重計に似た機械の上に立って健康状態を確かめる。
待つことしばし。機械に取り付けられたモニターに、様々なグラフが表示される。

「おはようございます、ミスター・ローレンス」
「……おはよう」
「昨日の食事は野菜不足でしたね。今日は野菜を積極的に食べるよう心がけて下さい」

機械からの音声が終わるやいなや、そばのテーブルの上に料理が現れる。
コーヒーに野菜サラダ。ライ麦のパン。なんとも健康的なメニューだ。脂っ気がほとんどない。

私はミスター・ローレンス。
朝食を済ませたらスーツに着替えて会社へ向かう。
家から会社までは、自動で連れて行ってくれる便利な乗り物で移動する。
シートに座れば座り心地のいい角度にリクライニングしてくれる。あとは本当に何もしなくても良い。
寝ていてもいいし、音楽を聴いてもいい。備え付けのモニターでニュースや好きな映像を見たっていいのだ。通勤時間の長い奴だと、乗り物の中で朝食を済ませているらしい。
私はいつも音楽をかけ、窓の外の風景をぼんやり眺めて過ごしている。

「会社に到着しました。ミスター・ローレンス」

会社に着けば音声で知らせてくれる。
私はきりりとネクタイをしめてから乗り物を降りる。
乗り物は私が降りると、勝手に駐車スペースへ移動する。私が退社する時まで、そこで待機するのだ。

「では本日もお励み下さい。行ってらっしゃいませ」

私は短く返事をして、会社のビルに向かう。
我が社は人工知能の補佐的な業務を行う機関だ。
人工知能の優秀な統治は、正確なデータがあってこそのもの。出生や死亡といった、いわゆる戸籍上のデータの正誤を厳しくチェックするのが我が社の業務である。

もし我々が間違いを見抜けなかったり、見逃してしまったらアウトだ。
ゆえにミスには非常に不寛容で、入社試験や適正検査では基準にほんの少しでも満たなければ容赦なく落とすし、入社後も見落としや間違いがあったら問答無用で首を切られる。
とにかく一に確認二に確認、三四がなくて五に確認、といったような仕事である。

ビルの入り口にはゲートが設置されていて、そこをくぐって入る決まりだ。
一昔前なら警備員が立っているところだが、今やゲートをくぐるだけで社員かどうか、危険な物を持ち込んでいないか、持ち出し禁止の会社の道具を持ち出していないか判別が可能である。

「おはようございます、ミスター・ローレンス」

音声の後に入り口のドアが開く。私を社員と認証したのだ。
すると、後ろから「えっ」と小さく声がした。
振り返ると、小柄な女性が目を丸くしていた。見ない顔だ。きっと新しく入ったばかりの子だろう。

「気にしないで。間違いじゃないから」
「で、でも」
「これで良いんだよ」

なおも何か言いたげな女性を後にして、私はさっさとビルに入る。
こんな状況にはもう慣れっこだ。彼女も後で、上司か先輩に釘を刺されて話題にしなくなるだろう。

所属の部署の部屋に入る途中で、幾人もの社員とすれ違う。ひときわ目につくのは、女性社員だ。
ロングスカート。ミニスカート。ハイヒールにパンプス。ルージュをのせた艶やかな唇。髪を染めた者もいれば生まれ持った髪色の者もいる。長さも様々、結い上げた髪型も見かける。
制服という物がない会社のためか、彼女たちは思い思いに……だが先輩社員に目を付けられない程度に着飾っている。
ミスを許されない業務だからこそ、女性はそういうところでストレスを発散したくなるのかもしれない。
着飾る、という行為をあきらめた私からすれば、彼女たちの姿はまばゆいばかりだ。

職場は完全に個室制である。
私は自分の部屋に入ると、ジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけ、腰を下ろした。
仕事が始まるまでにはまだ間があるのだが、後から慌てるよりは早めに手をつけておく方が無難だ。
タッチパネル式のスイッチに手を触れて、仕事用の道具を呼び出す。
指紋や整脈での認証がこれで行われる。私とみなされれば仕事用の道具が一式、机の上に出てくる仕組みだった。
データを映すためのモニターと届け出のあった書類一式。少々の筆記用具がそれだった。

「おはようございます、ミスター・ローレンス。夜間に届け出のあった分のデータをリストアップします」

仕事用のモニターに、今朝まで届いたデータが次々とリスト状に並んでいく。
夜の内に生れた子供のデータ。死んだ者のデータ。ざっと見た感じだと、今日は死んだ者の数の方が多い。
これらは各地の病院から届け出られた物だ。向こうでも間違いがないよう確認をしているはずだが、ごくまれに性別や年齢が間違っていたりすることはある。
もしそれらの間違ったデータが人工知能の元に届けられるまで見逃された場合、どうなるか。
私はそれを、よく知っている。身にしみて、知っている。

私はミスター・ローレンス。
――人工知能の中にあるたった一つのデータミス。ただしあちらはミスがあるなんて思っちゃいないが。

人工知能の運営が始まる前に、当時生きていた人間の大量のデータがインプットされた。
ところが、その中で私のデータが間違っていたのだ。
判明したのは、人工知能の運営が始まってからのことだった。

ミスター・ローレンスはちょうどその日に亡くなったのだが、連絡が間に合わなかった上に私とデータが入れ替わってしまった。
結果、死んだはずのミスター・ローレンスは生きている人間として、元の私は死んだ人間として記録されてしまったのだ。

データが間違っているのなら修正をかければ良い、と思うだろう。
だが、簡単な話ではない。人工知能に一度死んでいると記録させた人間を「生き返らせる」となると、一旦全ての機能をオフにする必要があるという。
どうも、人工知能は「死んだ人間は生き返らない」と認識していて、そのままでは頑として修正を受け付けないのだそうだ。

人工知能の機能を停めるかどうか、一般人の知らぬところで激しい論争が繰り広げられた。
機能を停めれば、世界中の経済活動が停止し、大打撃となる。
安全面でいえば世界のどこかに隠れ住んでいるかもしれない過激な集団が、この機を逃すまいと蜂起する危険性だってある。

人類社会に与えられる損害と、たかが一個人の生死の問題。
どちらが優先されるかは明らかだった。

かくして私はミスター・ローレンスとして生活することになってしまった。
世界の繁栄と平和のため、私は、生涯ミスター・ローレンスであり続けなければならないのだ。
新たなデータを追加すると人工知能が混乱しかねないというので、結婚も出産もできないまま。


私はミスター・ローレンス。
データ上は妻子もなく、たった一人で暮らす五十二歳。

……でも、本当は。

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