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zoom RSS 地雨 9

<<   作成日時 : 2016/08/27 17:35   >>

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俺の姿が、別人の……死なせた人間のものに変貌している。
だが俺は救急車に乗り込むまで、まだ希望を持っていた。
もしかしたらこれは一時的な脳の障害だとかで、自分の姿を正しく認識できていないだけではないか、と。ショックから、自分の姿が高崎の隣の部屋の住人の姿に見えているのでは、と。

公民館で軽トラから降ろされると、俺は言われるがままホースで引っ張ってきた水を使い、玄関先で泥を洗い流した。
地元の人間が遠巻きにこっちを見て何か言っているのに気づいたが、方言同士の会話では、何を話しているかわからなかった。
やがて到着した救急車の隊員に、白髪頭のおっさんがいろいろ説明した。
こちらは共通語だったので理解できたが、俺は自殺未遂の人間として片付けられていた。
俺は黙っていた。本当のことを言おうにも、肝心の、捨てに来た死体が今の俺の体なのだから説明のしようなんてなかった。
救急車のストレッチャーに乗せられ、俺は名を告げた。

「石田です。石田、ナオヒコです」

見た目がどうかなんて関係ない。俺の名はこれだ。親がつけてくれて以来、ずっと使い続けた名前。
視界に垂れる前髪の色を無視して、俺は名乗った。
救急隊員はバインダーに挟んだ紙に何やら書き付けて、俺の症状についての質問を始めた。

だが運ばれた病院で、俺は現実を突きつけられた。
俺の告げた名前は、他人の物だと告げられたのだ。
外見が変わったのは、視覚の異常なのではなく現実の出来事だった。

俺はしばらく、元の俺の名を主張し続けた。この体の方が間違っているのだとも伝えた。
その結果、俺は強制的に入院させられてしまった。
どう見ても別人だというのに、他人の名をたくなに名乗り続ける奴には当然の措置だろう。

石田ナオヒコであるを証明する手段のない俺は、一月もするとあきらめて、自分の名前についてわからないと告げた。
すると警察が身元の調査とやらを始めて、この体の……俺が死なせた男の身元を教えてくれた。
戸田ケイイチ。それが、会ってほどなく死体になった、高崎の隣の部屋の住人の名前だった。

身元が判明した次の日には、戸田の家族が引き取りに来た。
実家へ一緒に帰ろうと言われたが、俺は断って戸田の住んでいるアパートの部屋を選んだ。
彼らはこの体の持ち主の家族ではあっても、俺の家族ではない。彼らの言う実家は、俺の実家じゃない。戸田の実家だ。
そんなところへ連れて行かれて、家族の顔をするなんて俺には無理だと思った。

そうだ。社会的に戸田ケイイチとして生きるしかなくなったとしても、そっくりそのまま戸田の全てをなぞって生きていく必要はない。
俺は戸田の持っていたものの中で、必要のないものや気に入らないものは全て処分した。

処分を始めてみて、戸田は俺とは徹底して趣味が合わないことがわかった。部屋にあった漫画もCDも服も、ほとんど捨てたり売ったりする羽目になった。
プリンみたいな髪もばっさり切り落とし、戸田の勤め先にも辞表を出した。
……戸田の勤め先は、いわゆるおかまバーだった。俺にはとても勤まらない。
店長は引き留めたい様子だったが、戸田が自殺未遂をしたこともあって「心を休めなきゃいけないものね」と辞表を受け取った。
最終日に連絡先を書いたメモを渡されたので、それは後でこっそり捨てたが。

そして、高崎と浮気したという彼女。俺はこいつとも別れた。
戸田はこいつのどこかしらが好きでつきあっていたのだろうが、俺としては愛着もへったくれも持ち合わせていない。
近くへ呼び出して浮気を理由に別れを告げると、キレて泣くわ叫ぶわ大変だった。
らちが明かないので話を切り上げて帰ろうとしたら、後ろから蹴り倒された。
「お前なんか最初っから好きじゃねえんだよ、オカマ野郎!」と罵って、彼女は足音荒く去って行った。
本当に、戸田はあんな女のどこを気に入っていたのだろう。趣味が悪いとしか言い様がない。

いろいろなものの処分を済ませると、俺はアパートも引っ越した。
何せ隣が高崎の部屋だ。用が済んだら長居は無用だ。

……高崎はあれから一度も姿を見かけていない。
初めのうちはどこかから見張っているのではと考えて、後ろに誰かが立つたびに震えが来たものだが、全て何ごともなかった。
警察が事情を聞きに来ないところを見ると、捜索願いが出ているわけでもないようだ。
あいつはどこにいるのだろう。近くにいないことを祈るのみだ。

俺は新聞受けから引き抜いた朝刊と郵便物をテーブルに投げ出し、クッションに座って天井を見上げた。
戸田の体になってから新しく勤めだした所に近いマンションの部屋。そこが今の俺の部屋だ。
今日は休日だ。テーブルの上で、飲みかけのコーヒーが湯気を立てている。

この頃俺は、ふと考えるようになった。
高崎が話していた「義理の妹をはらませた上、沼に沈められて生き延びた」男。
その男はまるで赤ん坊のような行動ばかり取るようになったというが……実は本当に中身が赤ん坊になっていたんじゃないだろうか。
義理の妹の腹の中にいた、まだ生まれていない赤ん坊。その命が男の中に入りこんだのでは?
どういう理屈で、どういう基準で体と心――魂というべきか――が入れ替わるのかは定かじゃないが、そんな気がする。
現に俺がそうなのだから。

飲みかけのコーヒーに口をつけ、テレビをつけた俺は……コーヒーを吹き出し、新聞に盛大な染みを作った。

テレビは山すその田舎の風景を映していた。山すそに点々と並ぶ民家。その中央の公民館。覚えのある風景だった。
その上部に『村民14人惨殺! 容疑者は依然として立てこもり中』とのテロップが出ていて、アナウンサーが緊迫した声であれこれ言っている。
切り替わった画面に並ぶ被害者の名前。そこに高崎姓がぞろりとそろっている。年齢差から見て、何家族かが被害にあったようだ。
……容疑者というのは、まさか。
俺はテレビのリモコンを握りしめた。部屋の温度が、急に下がったような気がした。



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