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<<   作成日時 : 2016/02/13 15:00   >>

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僕は、のろのろと屈んで自販機の取り出し口から缶ジュースを取り出した。
屈んだ体を起こしたら、背中のリュックの中で丸い筒が存在を主張した。
母さん特製の栄養ドリンクを入れていた物だ。今は空っぽで、振るとカタカタ音がする。
ああ、嫌でも母さんの顔が脳裏にちらついてくる。
きっと、早く帰ってきて部屋の机にかじりついて、こっちを安心させろって思ってるんだろうな。

学習塾を出て少し歩いた所にある、ずらりと並んだ色んなメーカーの自販機の前。
僕は鼻から重苦しい息を抜いて、缶ジュースのプルタブを開けて中身を飲み下す。
仕事で疲れて、自販機前で缶コーヒーを買ってるサラリーマンの気持ちが、バイトすらしたことのない僕でもわかる気がする。

今日は休みだっていうのに、家でダラダラさせてももらえずに一日中塾で勉強だった。
家に帰ったら帰ったで、今度は学校の課題を片付けなきゃいけない。
時々思う。僕は一体何のために生きているんだろうって。
勉強勉強、また勉強。全てはテストで良い点を取るために。良い学校へ、良い会社へ入るために。将来、良い暮らしをするために。
点数で、全国各地にいる顔も名前も知らない同年代の奴らを蹴落とすために。

空になった缶を近くのゴミ箱に投げこんで、僕はとぼとぼ家路につく。
やたらときらびやかな街の明かりが、とても空しい。
すれ違う人は皆、疲れ切った顔をしているか無表情かのどちらかだ。それが明かりに照らされて、不気味に浮かび上がる。
僕も似たようなものだ。

――僕が生まれる前までは、この辺は賑やかな所だったらしい。
おしゃれを楽しむ人や仲間と騒ぐ人、色んな人が集まって、それはそれは活気に満ちていたそうだ。

僕は空を見上げる。
星が見えないのは、厚い雲が空を覆っているから。この雲はどこへも流れずにとどまり続けて、この街を
それを貫かんばかりにそびえる、高層ビル。途中からぼきりと折れたそれの周りには有刺鉄線が張り巡らされていて、入り口も鉄板やら何やらでふさがれている。

――バベルの塔。
いつからか誰ともなくそう呼び始めた、完成していれば世界で一番の高さをほこったはずのそのビルは、完成間近と言われ出したその頃に、落雷で壊れて焼けてうち捨てるしかなくなってしまったという。
同時に、どういうわけか人類は言葉を交わすことができなくなった。
まるで、それまで使っていた言語が失われてしまったかのようだったそうだ。
世界はパニックに陥り、あらゆる文化的が著しい衰退を始めた。

その様は、まるでバベルの塔の逸話とそっくりだった。
だから、人類の行いがついに神の怒りに触れたのだと考える人も大勢いた。伝説は再び、というわけだ。怒りを説くためと言って祈りを捧げる人も、贖罪と言って自ら命を絶つ人もいた。
結局何も変わらなかったけれど。

言葉は通じなくなった、でも、人類の文明はそれ以上衰退しなかった。
文字の発達だ。人類は口からつむぐ言葉でのコミニュケーションをとれなくなったが、書き言葉、筆談でなら互いの考えを伝え合うことができたのだ。
あの時代にはなかった技術。
地面に、紙に、あるいは液晶に、ご先祖様は思いをのせてやりとりをした。そうすることで、自分達の築き上げた社会を守り抜いたのだ。

僕は、のどから伸びた管にそっと触れる。

僕には、いいや、僕たち人類の顔には、もう口という物がない。
ビルに落雷があった日から、失われてしまったのだ。
だから人類はあの日から、言葉を話せなくなった。罵詈雑言も、睦言も、歌も、縁のないものになってしまった。世界は実に静かになったという。
静かになったことを、少数ではあるが喜ぶ人もいた。
口がない、ということは物を食べることができないということでもある、という現実に直面するまでは。
食べられないという事態に、その時の人類は出くわしたことがなかった。どうするべきか、どうしたら良いかなんて前例はなく栄養失調から次々人が倒れていった。

それでご先祖様達は苦肉の策として、のどに管を取り付けることにした。栄養のある飲み物さえ体に入れられたら、死にはしないだろう、と。

ズボンのポケットから、ぶるぶる、と振動が伝わってくる。
ポケットに入れていた携帯だ。
取り出してみると、お母さんからのメッセージだった。

『塾お疲れ様。今どこですか。今日のご飯はピーチ味のドリンクです』

ピーチ味か。僕の好きな味だ。勉強漬けの僕を気遣ってくれたのかな。
そう思うと、ちょっとうれしくなった。

『今から帰るとこ』

僕は短くそう返信して、いそいそと家路を急いだ。
明るい光の点滅はあれど、一切音のない夜の街を。

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