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zoom RSS 万病に効く薬草

<<   作成日時 : 2016/01/09 14:17   >>

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昔、あるところに、重い病気を患う母と暮らす若者がいた。
若者は母の看病をしながら地元の工房で働いており、彼のことを知る者は誰もが「親孝行な息子」と評した。
単純な称賛ではない。母親の看病と仕事をこなすために酒も煙草もやらず、女と遊ぶ暇もなく、くたびれた恰好でやつれた顔をしている彼への憐れみも半分は含まれていた。

そんなある日の夜遅く、若者と母親の暮らす家の戸を叩く者がいた。
若者が戸を開けると、そこには薄汚れたフード付きのマントをかぶった旅人がいた。背中に何やら重たげな袋を背負っている。

「夜遅くにすみません。無礼は承知の上で頼みます。どうか、一晩だけここに置いてもらえませんか」

旅人は冷たい夜風に体が冷え切っていたのだろう、震えながらそう言葉をつむいだ。

「……うちは見ての通りおんぼろで、旅人に出す食べ物もない。もう少し歩けば他に家がある。そこで頼んでみてくれ」

若者は二、三度首を振り、静かに告げた。

「もうたくたで、足が痛くて歩けないのです。食べ物も、水もいりません。お願いです、泊めていただくだけで結構ですから」

旅人は本当に疲れ切った様子で、若者に懇願した。落ちくぼんだ眼とげっそりとこけた頬、伸びた無精ひげが疲労の深さを物語っている。

「……気の毒だが、ベッドを貸してやれないから駄目だ。おふくろが病気で、ずっと寝込んでいるんだ。あんたにも病気がうつるかもしれん」
「ベッドで休ませろなんて贅沢は言いません。屋根と壁のある所なら、本当にどこだってかまいませんから、どうかお慈悲を」

旅人の懇願に折れた様子で、若者は黙って暖炉を指さした。
石造りの、あちこちひび割れた古い暖炉だ。手入れや掃除に手が回らないのか、周りには白い灰が積もっている。

「……今しがた火を消したところが、暖炉のそばで良けりゃ寝てもいい。だが灰だらけになるぞ、いいのか」
「構うものですか、ああ、ありがたい」

旅人はいそいそと暖炉に近づくと、「ああ、温かい」と幸せそうにつぶやき、ごろりと横になった。
着ている物はあっという間に灰で真っ白になってしまったが、気に掛けるそぶりもない。本当に疲れ切っていたのだろう。
ほどなく、ぐうぐうと寝息が聞こえてきた。

若者は旅人が寝入ったのを見届けると、奥の部屋へと引っ込んでいった。
その部屋にはベッドが二つあり、一つには若者の母親が横たわっていた。
くしを通したことがないような、ぼさぼさの白髪頭。口元が隠れるほど潜り込んだ母親の顔色は青白く、来客があったというのに目を開ける様子もない。
若者はそんな母親を一瞥すると、それからドアの方をじっと見つめた後、自分のベッドにもぐりこんだ。

翌朝早く、部屋のドアをノックする音で若者は目覚めた。

「おはようございます。私です。昨晩泊めていただいた者です。出発する前に挨拶をと思って……」
「ま、待っていろ。今行く」

若者は慌てた様子でベッドから跳ね起き、体がぎりぎり通るほどにドアを開けて、部屋の外へと滑るように出た。部屋を出ると、後ろ手にドアを素早く閉める。

「おかげさまで、元気を取り戻すことができました。いやあ、本当に助かりました。ありがとうございました」

昨夜とは打って変わって、旅人の表情は明るい。こけた頬や無精ひげはそのままだが、目に光が宿っている。心からの謝意を持った人間の目だ。

「それで、あなたのお母さまの具合は?」
「……変わりない。昨日と同じ、病気のままだ」
「でしたら、これを」

旅人は持っていた袋から何やら取り出した。
見ればそれはしなびた緑色の草である。

「実は私、人に頼まれてこの薬草を取りに行っていたのです。これは万病に効く薬草です。どんな病気であろうと、刻んで水で飲み込めばたちどころに聞くという薬草です。実を言うと、貴族や王族でもなければ手に入らないような代物なんですよ。ですが、あなたは別。泊めていただたいお礼に分けて差し上げます、これでお母さまの病気も治りますよ」

半ば強引に、旅人は若者の手に薬草を握らせた。

「もし泊めていただけなかったら、私はきっと病気になるか行き倒れるかして、約束の日までに薬草を届けに行けなかったはず。いやあ、本当に助かりました」
「一つ、聞いてもいいか」
「何でしょう」
「死人を生き返らせる薬草はあるのか」

旅人はきょとんとした様子で若者を見つめていたが、

「そんな薬草なんて、聞いたこともありませんね」

あっさりした口ぶりで答え、袋を抱え上げた。

「……そうか」
「では、私はこれで。本当にありがとうございました。このご恩は、きっと忘れませんよ!」

旅人の姿が遠くなり、やがて見えなくなるまで見送ると、若者は家の中へと戻った。
玄関のドアに鍵をかけ、ベッドのある部屋まで向かう。

先ほどまでと寸分違わぬ姿勢で、母親がベッドに横たわっている。
ぴくりとも動かずに――呼吸で胸や布団が上下に動くこともないままに。

「あと一日、早かったらな」

若者は手の中の薬草を見つめ、つぶやいた。
目を閉じると、昨夜の、旅人が現れる少し前の記憶がよみがえる。

病気の辛さからだろう、いらだった声で喉の渇きを訴え、「水を持ってきて」と言う母の声。
いつもなら病気の辛さを理解して、かわすことも我慢することもできたのに。
だが昨日は仕事でミスをして、そのせいで雇い主から嫌味を言われていて。
いつもなら耐えられることが、どうにも耐えられなかった。

拳を作った自分の手。大股に母親の元へと近付く足。はっとした様子で謝罪の言葉を繰り返し、ベッドの上で自分から距離を取ろうともがく母。

悲鳴。怒号。罵声。
胸のふさがるような感覚。

気が付けば母親は目を見開いたまま、身動きしなくなっていた。自分はその上にまたがって、母の首に両手をかけ、力いっぱい締め上げていた。
自分が何をしたのかということは、深く考えるまでもなかった。

ベッドから転げ落ち、若者は心底震え上がった。
一体、何ということをしてしまったのか。

だが自分からその罪を告白し、罪人として公の場で縛り首となる勇気は出てこなかった。
とんでもないことをした自覚はある。母への罪悪感もある。
なのに、罪人であると世間に名乗り出るのは怖かった。
母親の一言さえなければこんなことにはならなかった、という意識が、心のどこかでくすぶっていたから。

若者は、大きく息を吸った。途端、大粒の涙がボロボロと落ちてきた。
その手から、薬草がぱさりと床の上に散らばった。
散らばった薬草の上にへたりこみ、若者は声を上げて泣いた。

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