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zoom RSS 小春奇譚 三十七

<<   作成日時 : 2015/11/14 17:22   >>

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翌朝、台所に入ると炊事係の虫の数が二匹減っていた。
挨拶がてら声をかけてみて、小春は減ったうちの一匹が、包丁のなくなった前日、一番最後に包丁を使った虫であることを悟った。あの声の虫がいなかったからだ。
考えるまでもない。紅に折檻をされて死んだのだろう。おそらくは足をもがれて、赤い体液をまき散らしながら。
想像すると、気持ちが暗く打ち沈む。

「小春さんよお、あんまり気に病まねえでくだせえ。あっしらの間じゃ、一匹二匹いきなりいなくなることなんて珍しくねえんでさあ」

沈んだ顔の小春を心配してか、他の虫達はそう言ったのだが。

(そんなにいっぱい、紅さんに殺されてるのか)

それを聞いた小春は、ますます暗い気持ちになってしまった。
だが、どんな心境であろうとやらなければならない事がある。ここには雑炊を作るために立ち入ったのだ。
小春はそれ以上虫達の境遇について思いを巡らせるのをやめて、料理に取り掛かった。
気分のせいかいつもより手際は悪く、刻んだ菜っ葉は不揃いの上、汁気が多くやけに柔らかい物が出来上がってしまった。
雑炊というよりは具入りで米粒のつぶれたできそこないの粥のようなものである。救いがあるとすれば、味は悪くないという点だろう。

もったいないが作り直そうかと迷っていると、朝の鐘が打ち鳴らされた。
もう皆が起きだしてくる時間だ。
小春が作り終えたと思い込んだ炊事係の虫達は、そそくさと虫用の雑炊作りに取り掛かっている。ぐずぐずしていたら邪魔になってしまう。いつまでも台所を借りてもいられない。

(味は、悪くないんだから)

自分に言い聞かせ、小春は冴えない顔で出来上がった雑炊を大部屋へと運んだ。
しかし兵五郎はまだ、大部屋にはいなかった。
虫達は三々五々、起きだしてきた奴が食事前の掃除の仕上げにかかっているところだ。いつもなら兵五郎もいるはずだが、見当たらない。

(ゆうべ、起きていたせいかな)

あの人影が本当に兵五郎かどうかはわからないが、小春にはそんな気がしてならなかった。

「おお、小春さんじゃねえか。何をきょろきょろしてるんでさあ」
「兵五郎がいないなと思って」
「大方、寝坊でしょうよ。待ってりゃそのうち来まさあ」

虫が吐き捨てる。昨日、兵五郎が見せた態度のことを根に持っているようだ。

「具合が悪いのかもしれないよ」

小春は雑炊の鍋を見下ろす。もし兵五郎が起きてこなかったら、様子を見るついでに部屋まで持って行ってやるべきだろう。
こちらから近寄る機会を増やすことになるが、仕方ない。

「いいや。あいつのことなんか心配してやらなくたって良いんでさあ。野郎、何が『虫を付け上がらせるな』だ、付け上がってんのはてめえのくせに」

虫が息巻いたその時、慌ただしげな足音が近づいてきたと思ったら、出し抜けにふすまが開いた。小春をはじめ、虫達がいっせいにそちらを見る。
そこから現れたのは兵五郎だ。小春は様子を見に行く必要がなくなった、とほっとした。

「何だ」

突然注目を浴びたことに、兵五郎がけげんな顔をしている。

「いや、なかなか起きてこないから、具合が悪いのかと思ってたんだ」

ぎこちなく小春が答えると、

「へっ、それ見たことか。心配なんざいらねえんですよ。やっぱりただの寝坊じゃねえか」

小春を挟んで立つ虫が、兵五郎に向かって悪態をつく。

「飯を支度してもらって自分はぐうすか寝るなんざ、良い身分だよなあ……っと」

そこで兵五郎にぎろりとにらまれ、虫は「それより飯だ」と立ち去って行った。

「……寝付けなかったのか」

雑炊の鍋と器の用意をしながら、小春は兵五郎に尋ねる。
寝坊をした理由はやはり、昨夜遅くに起きていたせいだろうか。

「ああ」

兵五郎は短く答えると、小春の反対側に座る。
このままでは会話は終わる。小春は考えあぐねた。
昨夜見た人影が兵五郎なのかどうか、さりげなく確かめる方法はないものか。

「兵五郎」

彼に対して雑炊を取り分ける杓子を差し出しながら、小春は口を開いた。

「ここに来てから、夜、ちゃんと寝てるか」

手を伸ばしかけた兵五郎が、黙って小春を見据える。まるでこちらの質問の意図を探っているような、そんな目だ。

「いや、寝坊なんてするから、ゆうべは眠れなかったのかと思って」

小春は横へと目をそらし、おどおどしながら付け足した。口元が微笑みの形を作ろうとして、ひきつっている。

「それで、ぐ、具合が悪いから眠れないんじゃないかって……」
「……気遣いはいらん。布団に入ってから朝までぐっすりだ。鐘が鳴っても気付かないぐらいにな」

どうして返答に間があったのだろう。
やましいことがなければ、すぐに答えられるはずなのに。

あの人影はやはり兵五郎で、厠へ行くところではなく、何か別の……隠し立てしなければならないような理由で、夜中の真っ暗な屋敷内を歩いていたということなのか。
思い返せば、あの人影は足音を立てないよう忍び足だった。
寝静まった周囲への配慮か、こっそり誰にも知られず移動する必要があったか、そのどちらかのはずである。
もしも、誰に知られたくない目的があってのことだとすれば、それは一体どんな目的のためだろう。

つらつらと考え込んでいた小春は、己の手に何かの感覚を覚えて我に返った。

「おい、今日はお前が先によそうのか?」

見れば杓子を握ったままの小春の手に重ねるようにして、兵五郎が杓子の柄をつかんでいた。
たちまち全身が総毛立つ。

「ひいっ」

小春はいよいよ顔を引きつらせ、振りほどくようにして杓子から手を離すと、自分の茶碗を転がしながら後ずさった。空の茶碗はごろごろと畳の上を転がり、近くの虫に当たった。
そいつばかりではなく周りにいた虫達が、何だ何だとこちらを見る。

「小春さんよお、どうした?」
「あいつに何かされたんですかい」
「杓子を取っただけだっ」

兵五郎はむっとした様子で眉をしかめると、乱暴に雑炊を取り分けて食べだした。
その様子を視界に収めながら、小春は食欲がすっかり萎えていることを自覚した。

(どうしよう)

食わねばきっと仕事中に辛くなるだろう。一口ぐらいは雑炊をすすっておくべきか。でも腹に物を入れたい気分ではない。
悩んでいるうちに、自分の分を食べ終えた兵五郎が茶碗を置く。後は小春の分、というわけだ。
残りを捨てるなんてとんでもないから虫達にあげてしまおうか、と考えていると、兵五郎が転がったままの小春の茶碗を拾い上げた。
何をするのかと思いきや、彼はそこへ雑炊をよそい出す。そして、「あー」だの「うーん」だのと小さく唸りながら難しい顔をして。

「お前の分だ」

兵五郎はぎこちなく、箸と共に差し出してきた。

「食わなきゃ弱っていくだけだって、そう言ったのはお前だろう」

そういえば、兵五郎に味噌汁を作ってやった時にそんなことを言った覚えがある。

小春はおずおずと、両手で茶碗を受け取った。手が触れたような気も、触れなかったような気もする。
驚きのあまり身動きの取れない動物のように、小春はただ目を見開いて兵五郎を見つめた。
差し出されるまま箸を受け取り、小春が一口、雑炊をすするのを見て、兵五郎は部屋を出て行った。

小春はもう、味も食感も何もわからないまま、雑炊を平らげた。食っているうちに、涙がにじんできた。
感謝。有難み。気恥ずかしさ。不甲斐なさ。自虐。いろんな感情を一緒くたにして雑炊と共に腹にかきこむ。

何のことはない。「人間」に気遣われるのが久々で、有難いと感謝の念を抱いた。ただそれだけのことである。
ただそれだけのことが、小春の感情をひどく揺さぶっていた。

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