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zoom RSS 小春奇譚 三十六

<<   作成日時 : 2015/11/07 14:05   >>

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包丁は結局、見つからなかった。
同じ掃除係の虫達に尋ねてもありかを知る者はおらず、掃除のついでにあちこち見てもらったりもしたが、どこからも包丁は出てこなかった。
それは洗濯係の虫達も同様だったらしく、夕飯を作るために小春が台所に立ち入った時には中の空気がどんよりと重苦しくなっていた。
炊事係の虫達は、この一件による紅からの折檻を相当に恐れた様子だった。本当なら仕事どころではない心境で飯作りに取り掛かったためだろう、夕げの雑炊はいつもより味が格段に落ちたものとなった。
口にしていない小春がそうと知ったのは、食べた虫達から「まずい」「まずい」の声が上がり、大部屋の雰囲気が殺伐としたためである。
中には「取っちめてやる」と息巻く虫もいて、まとめ役の虫にたしなめられてしぶしぶ引き下がる場面もあった。

飯の時間を過ぎると、炊事係の虫達はいよいよこれまでとばかり、腹をくくった様子でぞろぞろと厨房を出て行った。
紅の元へ行くのだ。包丁が見つからなかったと報告するために。

「ねえ、もう少し探してみよう。もしかしたら、まだ探していないところがあるかもしれないよ」

小春は小走りで虫達に追いつき、引き留めた。

「これだけ探しても見つからねえんだ、もう、無駄でしょうよ」

すっかりしょげた様子で虫達が答える。

(でも、紅さんの所に行ったら)

初日に台所で見た、あの足をもがれた虫のことが頭をよぎる。
この集団が全員ああされるのか、それとも中の一匹だけがひどく扱われるのかはわからないが、残酷な仕打ちを受けることは想像に難くない。

「でも、誰も考えもしなかったところにあるかもしれないよ。ねえ、
「気にしなくていいのよ小春さん。夕飯が終わるまでに必ず包丁を探し出すって言い出したのは、そいつらなんだから」

紅の声。
驚いてそちらに顔を向ければ、いつの間にか紅が現れていて、炊事係の虫達に冷たい視線を投げかけていた。
本来なら関係のない小春でさえ冷や汗を流すほどの、冷徹な目だった。

「姐さん、包丁は見つかりやせんでした」

炊事係の虫達が一斉にうつむく。これ以上頭が動かないので、これで頭を下げたつもりなのだろう。触覚も力なく垂れている。

「そう」

紅は腕を組み、虫達を見下ろした。

「なくしたことを隠さなかったことと、逃げずに報告に来たことは褒めても良いけど、なくしたことに変わりはないわ。覚悟はできているわね?」
「へい」
「そう。じゃあ全員、ついてらっしゃい」

紅に率いられ、炊事係の虫達がぞろぞろと去っていく。
小春はそれ以上何も言えず、黙って立ち尽くすしかなかった。


そんな、穏やかではない一時を経てからの夜のこと。

「ううん……」

小春は眉根を寄せて寝返りを打った。
いつものように布団に入り、目をつぶったはずなのに、何故か寝付けない。
折檻を受けるであろう虫達のことが気がかりで眠れないというわけではない。全く気にかからないとまでは言わないが、どうしてやることもできないので、それについては半ばあきらめの心境である。
今日の疲れの程度が軽いわけでもない、体の具合が悪いわけでもない、特に厠に行きたいわけでもない、変わった物を飲み食いした覚えはない……と、眠れなくなりそうな原因を一つ一つ潰しながら眠気の訪れを待ったのだが、いっこうに眠気は来ない。

(どうしよう)

明日も仕事が控えていると思うと、せっかくの休める時間を無駄にしている気がして焦りが生まれる。そしてその焦りを自覚するとますます目がさえてしまう。
ごろりごろりと何度か寝返りを打っているうちに、眠れなくなりそうな原因が思い浮かばなくなってしまった。

こんなに眠れないのは、村長の家の蔵に閉じ込められたあの日以来のことだ。
甦りかけた記憶を、顔をしかめて頭から追い払って小春はため息をついた。

思い切って起きてしまおうか、と星明りを受けて青黒く畳に浮かぶ格子をぼんやり眺めていると、不意に、ぎし、と床板の鳴る音が聞こえてきた。
初めは家鳴りかと思っていたのだが、およそ一定の間隔でぎし、ぎし、と音がする。まるで人が足音を忍ばせて歩く時のようだ。
――途端に背筋が凍り付き、小春は跳ね起きた。
呼吸が乱れる。嫌な汗がじわりと浮かんでくる。
山頂の神社での忌まわしい記憶が、はっきりと形を作らないままに小春の精神をいたぶる。
頭はともかく心の方が、明確な風景として全てを思い起こすことを拒んでいるのだ。だが恐怖心までは抑えられない。
小春は震えだす手足をどうにか動かして、部屋のふすまへと這うように近寄る。
そして、ふすまが開かないようにと手をかける。つっかえ棒がない以上は己の手に頼るしかない。
この部屋のふすまが二枚だけなのが救いだった。ふすまの数が多かったら、開かぬようにと一人で押さえることはできないのだから。

ぎゅっと目を閉じ、音で気づかれぬよう懸命に乱れた呼吸を静かに押し殺そうとする。
小春の精神は限界近くまで追いつめられていた。
これら一連の動きがすでに、あの時取った行動に似通っているのだから仕方のないことではあった。

ぎし……ぎし……。

不安と恐怖にさいなまれる小春をよそに、足音はしだいに遠ざかっていった。

やがて足音が完全に聞こえなくなると、小春はほっとして息を吐き、ついでずるずるとふすまにもたれかかった。
ふすまに額を押し付けて呼吸を整えているうち、いつの間にか小春は涙を流していた。頬を伝う感触はひたすらに不愉快で、うっとうしくてたまらなかった。
恐怖心からの素直な肉体の反応。しかし、泣かなければならない自分への苛立ちの方が今は強かった。
小春は口元が震えるのを感じながら、袖でぐいぐいと涙と目元を乱暴にぬぐった。袖の端がまぶたの裏に少しだけ触れたが、痛いとも思わなかった。

小春はそうっと、ふすまを細く開けて向こう側をのぞいた。
向こう側は真っ暗で静かだった。だが、その暗闇にまぎれて何やら動く物がいる。
暗がりに慣れた小春の目には、それが人影のように見えた。
こちらに背中を向けているらしい人影は、壁や柱に手をついて向こうへと進んでいるように思われた。

(何をしているんだろう)

そうこうしているうちに、その人影はふいっと角を曲がって姿を消してしまった。

(厠にでも行くところかな)

廊下のあの角を曲がって、まっすぐ進み続けると厠に突き当たる。飯を食う時に使っている大部屋とは反対側の方向である。
小春はなんだか拍子抜けした。
厠へ行くところだったのなら、こんなにびくびく怯えたりなどしなかった。これでは自分が馬鹿みたいである。

ふすまを静かに閉め、小春は布団へと戻る。もぞもぞと中へともぐりこみ、枕に頭をのせてふうっと息をしてから――あの人影は、紅でも幸之進でもないな、ということに気が付いた。
あの人影の背丈がその証拠である。思い返せばあの人影、紅よりもほんの少し背丈があるが、かといって幸之進よりは絶対に小さい。屋敷内においてそれに該当する人物は、小春の知る限りたった一人だけだ。

(まさか……兵五郎?)

小春は何故か胸騒ぎを覚えた。
真夜中に厠へ行くらしいところを見ただけのはずなのに、どうして妙な気持ちになるのだろう。

小春は落ち着かない気持ちを静めようと、硬く目をつぶった。
……その夜はそのまま、眠りに落ちた。
変な夢や恐ろしい夢を見ることもない、深い眠りだった。

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