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zoom RSS 小春奇譚 三十五

<<   作成日時 : 2015/10/31 11:49   >>

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小さな鍋にこしらえた雑炊と使う器の一式を持ち、小春は台所を出た。できれば漬物も添えたいところだが、虫が漬けた物だと兵五郎が食わず、自分だけ食べるのも悪い気がして、このところ雑炊だけの食事が続いている。味噌漬けぐらいなら小春にも作れるのだが、厨房を借りている上に漬物を作る樽まで貸してくれとまでは言い出せぬ小春であった。
炊事係の虫達は朝飯を作る仕事に戻っていた。鐘の音とともに起きだしてきた虫達が、大部屋を掃除し終えたというのに飯が来ないと騒いだために包丁探しを中断したのだ。
ちらりと目をやれば、虫用の雑炊は今日も今日とて具材に変化がない。

大部屋に到着すると、今か今かと虫達が自分達の分の雑炊の出来上がりを待ちわびていた。

「小春さんよお、あっしらの分はまだ出来上がりませんかねえ」
「もう少しかかると思う」
「はあ、飯を食わなきゃ仕事にならねえよお」

虫達のぼやきを聞きながら、小春は兵五郎の姿を探す。
兵五郎は大部屋の入り口付近に座り込んでいた。相変わらず他の虫達と打ち解ける気がない様子で、うつむいている。

「おはよう」

小春は声をかけ、木の板でできた鍋敷きを置き、持ってきた雑炊の鍋をそこに乗せた。
いつもなら「ああ」程度に返してくれる兵五郎だが……今日はいつもと違った。
小春の声に驚いた様子で素早く顔を上げ、じっとこちらを見つめている。まるで出方をうかがっているかのようだ。

「どうしたんだ」

小春は首をかしげて兵五郎を見た。

「……いや、考え事をしていたから気付かなくてな。いきなり現れたようで驚いただけだ」
「ふうん」

小春は鍋を挟む格好で兵五郎と自分の茶碗と箸をと、杓子を差し出した。先に取り分けて食え、という意味である。無論、指先が触れずに済むように受け取らせる。
兵五郎は杓子を受け取ると、軽く鍋の中をかき混ぜてから茶碗に雑炊をよそい始めた。
雑炊はいつも兵五郎の方が多く食べる。男と女では食う量に違いのあるものだが、小春の場合はさらに小食だ。ひとえに村でのひもじい暮らしのためである。
小春は兵五郎が取り分ける様をぼんやりと見つめ……包丁のことを尋ねてみるつもりでいたことを思い出した。

「なあ」

小春が声をかけると、兵五郎が杓子を持ったまま怪訝な顔を向けてくる。
じっと見つめられて小春は動揺したが、ぐっとこらえて切り出した。

「朝、炊事係の虫が言ってたんだけど、包丁が一本なくなったそうだ」

兵五郎の表情に変化はない。彼の内心は、それがどうした、というところだろうか。

「それで、何か知らないか聞いてみてくれって言われて……どこかで置きっぱなしになってるのを見たりしなかったか」
「俺は知らん」

兵五郎は一言そう答えると、また鍋に視線を落とす。
今日はいつもより腹が減っているのか、茶碗にこんもりと雑炊を盛り付けてから杓子をこちらに返してきた。
手が触れ合わないように気を付けながら、杓子の柄を小春は握る。

「じゃあ、もしもどこかで見つけたら台所に届けてやってくれ」

声が震えるのを押し殺し、小春は付け足す。
兵五郎はもう食うことに専念している様子で、雑炊をかきこみながら一つうなずいただけだった。

「ああ、そっちは食うものがあってうらやましいでさあ」

近くにいた虫が少々恨めし気にこちらを見ている。
他の虫に比べて体の色合いが薄いところを見ると、こいつは働き出して間もない、年の若い虫のようだ。
この時間に厨房にいないということは、炊事係ではあるまい。しかし掃除係に新しい虫は来ていない。こいつは洗濯係と思われる。

「ちょっと分けちゃもらえませんかね。あっし、腹ぺこでもう我慢できねえんでさあ」
「うーん……二人前しか作らなかったからなあ」

小春は悩みながら鍋の中に目を落とした。いつも通りの分量で作った物を兵五郎が多めによそったせいで、鍋に張り付く程度にしか残っていない。
自分達だけ食べていればうらやましがられるのは当然のことなのに、ちっとも頭になかった。小春は(多めに作れば良かったな)と反省した。

「なら、杓子についたのをなめるだけでも……」
「みっともないから止しなよ。かき集めればちょっとは食べられそうだけど、どうする」
「へへ、こいつはありがてえ。いただきやすぜ」

若い虫はちょこんと小春のそばに座ると、ふちの欠けた使い古しの茶碗を差し出してきた。最初から期待して声をかけてきたようである。

(ちゃっかりしているというか、抜け目がないというか)

呆れはするものの、どこか可愛げも感じる。
小春がその使い古しのちゃわんを置き、その上で鍋を傾けて杓子でかりかりと中をかき始めた……まさにその瞬間だった。

「虫の分際で、人間様の食い物を横取りしようっていうのか。図々しい」

兵五郎が虫を睨みつけて吐き捨てた。その目には侮蔑の色が浮かんでいる。
たちまち場の空気が凍り付くのを感じて、小春は冷や汗をかいた。

「ひょ、兵五郎……」
「文句があるのか? お前も言われているはずだろう。虫を付け上がらせるなと」

兵五郎は仏頂面で雑炊をかきこむと、空になった茶碗を置いてさっさと大部屋を出て行ってしまった。
――気が付けば、杓子でかき集めた雑炊は鍋を伝い、茶碗ではなく畳の上にこぼれ落ちていた。

「ああ、もったいない」

若い虫がそれを足の一本で掬い取り、口に運ぶ。
小春はふところに入れていた手ぬぐいで、畳に残った雑炊の跡をふき取りにかかった。

「何でえ、あいつ。気に食わねえ」
「そんなにあっしらのことが嫌なら、出て行けばいいんだ」
「恩返ししようなんて、本当は思っちゃいねえんだろう」

たちまち兵五郎への陰口が始まる。
相手がこの場にいないと思うと、陰口に遠慮がなくなるものだ。さらに空腹からの苛立ちもあってか、虫達はああだこうだと好き勝手に兵五郎を悪く言っていた。

(兵五郎は一体、何を考えているんだろう)

わざわざ敵を作るような真似をするなんて、小春には理解のできない振る舞いだ。
畳の汚れをふき取りながら、小春には兵五郎への陰口を出来る限り聞かないようにするのが精一杯だった。

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