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zoom RSS 小春奇譚 三十三

<<   作成日時 : 2015/10/18 13:02   >>

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兵五郎は次の日から働き始めた。
朝早く、大部屋に出て小春の作った雑炊を食った後、紅に伴われて幸之進に挨拶に行ってからのことである。
小春は兵五郎が戻るのを待ってから、道具がどこにあってどんな風に掃除の仕事を進めているかを教えた。
幸い仕事の飲み込みが早く、ほどなく彼は周りの虫達と同じぐらいに仕事をこなせるようになった。
小春は少しほっとした。
わからないことだらけでしょっちゅう物を尋ねに来たり、仕事がどうにもできなくて手を貸さなければならなかったりしたら、その分近寄らなければならなくなるからだ。

虫に交じって働き始めてからも、彼は小春の作った物しか口にしなかった。
料理というのは一人分だけ作ろうとすると、かえって手間のかかるものである。小春は腹をくくり、自分の分も合わせて作ってしまうことにした。小さな鍋に雑炊を二人分炊いて、それをめいめい茶碗によそって食べるのだ。
食べる場所は虫達と同じ大部屋である。初めの日によそってやったら兵五郎が「そこまでしなくていい」と苦い顔をしたので、それからはそれぞれよそうことにした。
毎度ささやかに具を変えながら、小春としては十分に味わえるほど塩気を足してみたのだが、それが彼の口に合っているかどうかは定かでない。
こちらから味の良し悪しを聞きに近付くのは恐ろしく、兵五郎の方はそれが元来の性格なのか、誰かをおだてたり褒めたりすることをせず、二人はいつも並んで黙って食べた。
ただし、出した分は残さず食ってくれるので、一口も食えぬほど口に合わないということは今のところなさそうだが。

やる事の増えた小春にとっては気ぜわしい日々が続いた。
見かねたらしい掃除係の虫が仕事を引き受けてくれ、炊事係の虫が後片付けや食材の準備をしてくれてはいるのもの、小春は以前に比べ、気ぜわしくなることが多くなった。
気ぜわしいのが苦痛ではないといったら、嘘になる。
だが小春は、気ぜわしさの方がまだましだ、と思えるような状況に見舞われることになって、それどころではなかった。

「いやはや、小春さんよお、すっかりあいつの女房ですなあ」

兵五郎が働き出してから数日もすると、小春は炊事係の虫達からそんなことを言われるようになったのだ。
悪意は全くない様子だが、虫達に表情を浮かべることができたなら、きっと下卑た笑いを浮かべているに違いなかった。

「女房じゃないよ。虫の作ったのは食べないっていうから、作ってやらなきゃいけないだけだ」

小春はいつもそう答えることにしていた。
悪意があろうがなかろうが、からかわれるのは気分の良いものではない。可能な限り、そそくさと引き上げるに限る。

「なあに恥ずかしがるこたあねえですよ。年の頃合いも丁度いい、なかなかお似合いでさあ。なあ?」

その辺にいた虫まで一緒になって笑うのだから、小春としては本当にいたたまれない限りである。
このからかいはいつまで続くだろう。いっそのこと、兵五郎に「誰がこんな女なんか相手にするか」と否定してもらえば収まるだろうか。

だが、小春の顔をくもらせるのは、虫達のからかいだけではなかった。兵五郎が仕事中にしょっちゅう姿をくらませるようになったのだ。
さぼっているのかと思った小春だが、それならばどこぞでぼうっとしているだとか、昼寝をしているだとか虫達からそんな話が出ているはずだ。
そこで虫達に聞いてみると、兵五郎は皆から一人離れて、やたらと遠くの方ばかり掃除しているのだという話が聞けた。

「きっと、あっしらと一緒にいたくないんでさあ。何せあいつは、あっしらの作ったもんを食わなかったぐらいですし」

怒ったような、あきれたような口ぶりで話す虫達を前に、小春は首をひねった。
もしも虫達のことを近寄りたくもないほど嫌っているなら、恩返しとして混じって働こうと考えるだろうか。
よほど義理堅い人間だというならあり得る話かもしれないが……そこまでの義理堅さがあるなら、虫の作った物を断固として食わぬという行動に出るとも思えない。

(一体、何を考えてるんだろう)

面倒を見てやれと言われた以上、放っておくわけにもいかない。
だがこちらから近寄って声をかけるなんて、気が進まない。
小春はしばし葛藤することとなった。

小春が行動を起こしたのは、とある日、廊下の掃除に取り掛かった時のことである。
廊下はいつも、初めに掃き清めて汚れのある箇所を布できれいにしてから、皆で並んで一気に雑巾がけをする。そうして別の廊下に移動し、同じことを繰り返していくのだ。
虫達と並んで雑巾がけをした小春がふと体を起こして見回すと、兵五郎の姿がなかった。

(また、いない)

「どうしなすった、小春さん」

雑巾がけを終えたのに移動しない小春をいぶかしんだ様子で、そばにいた虫が小春を見上げる。

「兵五郎、いないね」
「あいつなら、道具を持ってどこかに行っちまいましたよ。また、一人で別のところを掃除してるんでしょうなあ」
「恩返しなんて感心なこと言いながら、力を合わせて働かねえなんて困ったもんでさあ」
「厄介な奴でさあ」
「おうよ。礼だけ言って出てってくれた方が、よっぽどましってもんでさあ。なあ、小春さんよお」

話に割り込んできた他の虫達は、口々に兵五郎を悪く言い始める。
彼らの話に耳を傾けるのも、まして同調するなんて嫌だった。
小春はすっくと立ち上がると、

「様子を見てくる」

そう言い残して兵五郎のことを探しに行った。
背中に、彼らの好奇の目が向けられていることを感じながら。

虫の言う通り、彼は一人きりで、皆からずいぶん離れた場所にある別の廊下を拭いていた。
小春は迷い迷った挙句、

「……こんなところで、何してるんだ」

間抜けな言葉を投げかけた。

「見ればわかるだろう。掃除だ。さぼっているように見えるのか」

全くその通りである。何をしているのかと問うまでもないことである。
兵五郎の答えに、小春は先ほどの言葉の間抜けさを痛感した。
ついでにちらりと見れば、兵五郎の近くに置かれた手桶の水は濁っていて、そろそろ取り換え時だ。

「なんで皆と離れてやるんだ。一人でやるより、大勢でやった方が楽だろ。そんなに虫と一緒にいるのが嫌なのか」

一人でいるから虫達に悪く言われるんだ、と小春は言外に含める。

「なあ」

掃除の手を止め、兵五郎が小春を見つめてきた。
小春はうろたえて、己の腹に腕を巻き付けた。まるで体を守るように。

「この屋敷は、どこから出入りするんだ」

問いかけた内容とは全く関係のない話が飛び出して、小春は首をかしげる。

「知らない。なんでそんなこと、気にするんだ」

すると兵五郎は目を泳がせて、

「いや……井戸のありかが知りたいんだ。手桶の水を新しく汲んでおこうと思って」

小春は、それが本当の理由ではないような気がした。
だからといって、兵五郎がそれを尋ねる真の理由など見当もつかなかったが。単にここを出て家に帰りたいだけなら、帰りたいと伝えれば良いだけのことである。別に閉じ込められているわけではないのだから。

「水なら台所のかめに汲んである。台所の中に水捨て場があるから、そこに捨てて新しく汲んでくるといい」

すると兵五郎は驚いた様子で目を見開いた。

「……井戸から汲んでくるものじゃないのか」
「ここじゃそうはしないみたいだ」
「かめの水だって、汲んで来なければいつかはなくなるだろう。誰が水汲みをやっているんだ」
「なくならない」
「何だと?」
「使ってもすぐ、元通りにひたひたに入ってる」

兵五郎が、あんぐりと口を開けた。小春の話に衝撃を受けている顔だ。

掃除に使う水として、台所にある大きなかめのうち、左端のものをあてがわれている。
不思議なことだが、中の水はいくら使ってもいつの間にかひたひたに満たされていた。
虫達が汲んで足しているものと小春は考えていたが、前に虫達が何匹かそろってかめの中の水を使った直後に覗いてみたら、足した者などいなかったはずなのに、すでに水がひたひたになっていた。
改めて考えると面妖なことこの上ないが、困る事どころか便利なことなので、小春はさして気にとめていなかった。

「……小春、お前、この屋敷に来てから外に出たことはあるのか?」

兵五郎が眉をひそめつつ、小春をじっと見つめてきた。
小春は困惑し、首を横に振った。

「外の景色を眺めたことは?」
「縁側に行けば、中庭が見える。空だって見える」
「そうか」

兵五郎が何やら考えこむ。
それから彼は手桶に雑巾を放り、それを抱えて立ち上がった。

「話はもう終わりか? 水を取り替えに行きたいんだが」
「あ、ああ」

小春がうなずくと、兵五郎はさっさと小春の隣をすり抜けて、台所のある方へと去ってしまった。
出入り口のあるらしい方向はわかる、と答えることができたことに思い至ったのは、兵五郎の姿がとっくに見えなくなってからのことだった。

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