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zoom RSS 小春奇譚 二十九

<<   作成日時 : 2015/09/13 14:58   >>

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そのやり取りの後、少年は大人しく手当てを受けるようになった。
虫達の間では初め、誰が行くかで少々もめたようだが、少年が大人しくしていたと聞くと以前のように交代で世話をしに行くようになった。

これで問題は何もない……と思いきや、今度は別の問題が持ち上がった。

「困ったわね」

台所に近い廊下の一角で、紅が整った顔をしかめている。
それを前に、小春はひたすら困った顔をしてそれを見つめていた。

「いやはや、何故に物を食わぬのでしょうなあ」

近くの柱にとまった蜂がぼやく。
彼に表情があったなら、きっと同じように困り顔をしているに違いない。

持ち上がった別の問題とは、少年が食事をことごとく拒否するというものだ。
ひっくり返して「食わない」とわめくわけではなく、黙って突っ返して寝てしまうのである。
少年に出しているのは白粥である。おそらくまだ本調子ではない内臓を慮って具は入れていないものの、あっさりとした塩味とちょうど良い柔らかさで、味見をした小春も気に入ったほどだ。はっきりと「美味い」と表現できる粥である。
にも関わらず少年は一向に手を付けず、匂いをかぐことすらしなかった。
唯一口にするのは水。ただそれだけである。
少年に理由を聞いてみても何も答えはなく、作った粥は手も付けられずに戻されて、仕方なしに他の虫に払い下げるということがもう三日も続いている。
このたびこうして各自の仕事のすき間を縫って集まるに至ったのは、いい加減にどうにかしてくれという炊事係の虫達の訴えによるものだ。
せっかく作ってやったのに食ってもらえないというので、頭にきているのが数匹いるらしい。仕事を否定されているように感じるのだろう。
何故小春が呼ばれたのかというと、少年と近い年頃の人間だから、気持ちがわかるかもしれないという漠然とした理由である。
実際には、小春は戸惑って発言者の顔を見ているだけしかできずにいるが。

「何が気に入らねえんだか、言ってもらわにゃ誰だってわかりゃしませんぜ」

いら立ちを押さえこんだ口調でぼやくのは、まとめ役の虫である。近頃は炊事係の虫達にさんざん愚痴をこぼされ、それでも働けと尻を叩くのに忙しくて余計に疲れた風である。

「まったくだわ。どうしてそう、強情なのかしら」
「理由をお聞かせ願いたいもんですなあ……」

そこへ一匹の虫が通りがかる。
見れば前掛けをしている。そいつは炊事係の虫だった。
手に持った盆の上には、空になった水差しと冷め切った白粥をよそった茶碗がある。

「また食べなかったのね」

紅が整った顔をしかめる。誰が、と言わずとも通じる話である。
炊事係の虫はがっかりした様子で、

「あっしらの味付け、何かおかしいんですかねえ」

と、力なくつぶやいた。

「おかしくない」

小春は頭を振り、否定した。
粥の味は確かなものだし、これまで毎日三食出される雑炊だって一度も不味かったという覚えはない。

「じゃあ、何であいつは食わねえんですかねえ。もうどうすりゃいいか」

ほとほと困り果てた様子の虫に、小春は「うーん」とうなって首を傾げた。
腹が減るのは辛いはずだ。いくら水だけは飲むといっても、それだけでは体がもたない。
やはり何か、確固たる意志を持って食わないのだろう。

「小春さんよお、あんた、あいつと話してみちゃあくれませんかね」
「え」

突然指名されて、小春は困惑してまとめ役の虫を見た。

「で、でもあたし、話すの下手くそで……」

小春はおろおろと断りにかかった。
少年に触れられた時の恐怖感や嫌悪感は、まだ消えていない。近寄りたくなかった。

「あっしらよりはましでしょう。奴さん、あっしら相手じゃ口をきいちゃくれないんですよ」

炊事係の虫が不満をにじませながら、ずいっと小春に迫ってくる。
それをさりげなくかわしながら、小春は上手いこと断れそうな口実に頭をめぐらせていた。

「私からもお願い。あなたが一番の適役だと思うの」

上手い口実が浮かぶ前に、紅がそう言いだした。
小春は目を丸くした。

(紅さん……)

この女性は、一体何を考えているのだろう。部屋に駆け付けた時、触られた恐怖で震えている自分の姿を見たはずなのに。
普通であれば、何らかの事情があるとうかがい知ってもおかしくないだろう。まず向かわせる気になりそうもない。
それなのに、この女性は。

(わかってはもらえないのかな)

男に恐怖を抱くのには理由がある。だが、口にしたくはない理由だ。
言わずにわかってもらおうとするのが甘えなのかもしれないが、小春にはとても誰かに打ち明けられそうになかった。

小春は半ば、自棄になった。
察してくれないのなら、それでもいい。口にできない自分が悪いのだ、と。

「……わかりました、じゃあ、あたし行きます」

小春は空っぽの気持ちで、承諾の言葉を唇に乗せた。それは紅に向けた言葉だった。

「あっしもお供しやしょう。もう我慢できねえ、一言言ってやらなきゃ気が収まらねえんですよっ」

炊事係の虫は小春のそばで息まいている。
まとめ役の虫に盆を押し付け、いざ行かんとばかり腕代わりの足を一本ぐるぐる動かしている。
押し付けられたまとめ役の虫は、呆れたように盆と炊事係の虫を交互に見た後、それを台所へと運んでいった。

「じゃあお願いね」
「ではわたくしめも付いて参ります。何かあったら人足を呼びに、びゅうんと飛んで差し上げますよ」

さらに蜂も連れ立つ形で、小春は少年の部屋へと向かった。

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