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zoom RSS 小春奇譚 二十七

<<   作成日時 : 2015/08/22 16:29   >>

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「小春さんよぉ、早くこいつを落ち着かせてくだせえ、足がもげちまうよお……」

すがるように足を一本かかげて、虫がこちらをまっすぐに見つめてくる。
その黒い眼球に映る自分が、困惑の表情を浮かべているのを小春は知った。

「で、でも」
「お願いですよ、いてててて」

小春はおろおろしながら、少年を見つめた。
声を上げようと口を開きかけた小春に、恐怖心が芽生える。よく知りもしないもしない人間の乱暴を止めるなんて、ただでさえ勇気のいることだ。それが男だとなれば、小春の恐れは増すばかり。自分が割って入ったことで、こちらを攻撃の対象に選んできたらと思うと足がすくむ。
でも、このままでは、虫の足がもがれてしまう。それは可哀想だ。この虫は台所で盗み食いをした虫とは違って、介抱にいそしんでいたはずなのだから。
またあの惨たらしい光景を見るのは嫌だ――その一心で、小春は震える唇を開いた。

「あの」

少年が顔を上げ、まっすぐに見据えてくる。獰猛な獣を思わせる鋭い眼差しだ。
小春は少し、目を下に向けた。
あちらこちらに布を巻かれているとはいえ、上半身の素肌をさらした姿の少年は、ただでさえ直視しがたい。健康そうな皮膚に覆われた、無駄な肉のない引き締まった筋肉質な体を見ると、妙にどぎまぎするのだ。
加えて鋭い眼差しを向けられては、小春に見つめ返す度胸などなかった。

「そんな事したらかわいそうだ。離してやってよ」

うつむき加減で力なく懇願し、そろそろと目を上げてみると少年はじろりと小春をにらみつけてきた。

(怖い)

小春はさっと目を伏せた。自分の度胸の無さを、嫌と言うほど痛感しながら。

「何だと。お前、化け物の肩を持つっていうのか」

案の定、うまい制止の言葉が出てこない。
我が身の情けなさに、小春はもう泣きそうだった。知らず、両手をぎゅっと握り締めていた。
何でこんな目に、と心の中で泣き言をつぶやく。
やはり、経験もないのに仲裁するなんて自分には無理だ。そもそも、今は男相手に口を利くのだって怖いのに。

誰か助けてくれないものか、と頭の片隅で思う。
しかし今、身近にいるのは虫だけだ。この場にいて少年と押さえこまれた虫の姿を見ている虫達は、皆、到底かなわぬ相手と見てか止めに入る気配もなく、震えて縮こまってばかりいる。どうやらこの中に、まとめ役の虫はいないようだ。
紅や蜂はどこにいるのだろう。彼らは物音や騒ぎの聞こえない所にいるのだろうか。
いっそ、大きな声で呼んでみようか、と小春が考えたその時。

「お前、人間なのか?」

唐突な問いかけに、小春は顔を上げた。
――少年はこちらをにらんではいなかった。
だからといって、その表情は穏やかというわけではない。こちらを探るような目で見ている。
目と目が合いかけて、小春は慌ててうつむいた。模様のない、藍色の帯が視界に入る。

「あ……あたしは人間だ」

小春の答えに、少年の表情がみるみるうちに険しくなっていく。

「なら、何故こいつの肩を持つっ! どう考えたってこいつらは化け物だ、人間の敵だろう!」
「それはそうだけど、でも、悪い奴らじゃないんだよ」
「何故そう言い切れる、騙して取って食らうのが化け物どもの定石だぞっ」

(……ああ、そうか)

小春は少年の内心に気付いた。
彼は恐れているのだ。気が付いたら異形の虫どもに囲まれていた、という状況にあって、怯えているのだ。
人間が人間以外のものに対して抱く、根源的な恐怖。それが「食われる」ということだ。
その恐怖は、長い時を経て食われる恐怖から身を守る社会を形成したとしても、決して消えることはない。身を守る術もなく放り出されたら、たちまちその恐怖に見舞われるのだから。

自分も初めは戸惑ったものだ、と小春は思い返す。
目を覚ました後で、人間の言葉を話す蜂に出くわした衝撃は、しっかりと覚えている。

(あの時、生まれて初めて名前、ほめられたっけ)

化け物の類と決めつけた蜂と、今となってはごく自然に話をしたりもしている。
……この屋敷で目を覚ました時のことがとても遠く、懐かしく思えた。

「もし、ここにいる虫が人間を食べる連中だったら……とっくにあたしが食われてるよ」

相手が怯えているだけなのだと思うと、案外落ち着いた声が出た。それでも目と目を合わせることはできなかったが。

そこへ、ぶうんと羽音が聞こえてきた。
ようやく頼りになりそうな者が現れた、と小春は音のする方向へ顔を向けた。これで助かった、と思うと目が輝いてしまう。

「おやおや、これは一体どうなさいました」

羽音と共に姿を見せたのは、やはり蜂である。
どこで何をしていたのか不明だが、声は何だか眠たげであった。

「あの、旦那様の連れて来た人が目を覚まして……」

小春が部屋の中を指し示すと、蜂は開いたふすまから中へと飛んでいった。

「やあやあ、お目覚めでございますか」
「こちらへ来るなっ」

少年が声を荒げ、腕を一振りして蜂を払いのけにかかる。
その隙に力が弱まったのだろう、兵五郎に押さえこまれてもがいていた虫が急にばたばたと力強く暴れ、その体を跳ねのけた。
自由になった虫は「ひい、ひい」と涙のまじった声を上げて、はいつくばって小春の横をすり抜けて部屋の外へと出てくる。

「大丈夫か」
「どこか痛むか」

そこへ仲間の虫達がかばうようにして集まり、虫を支えて立ち上がらせる。
そのまま、数匹の仲間に支えられてその虫は退散した。
一緒について行った方が良いのだろうか、と小春はおろおろとあちらとこちらを交互に見た。

「ああ、小春さんはそっちを頼みまさあ。人間がいた方が都合も良いでしょう」

小春のうろたえぶりに気付いたらしい虫が、そう言い残していく。

「ひええ、これは危ないっ」
「くっ、こいつ、ちょこまか飛びやがって」

空を切る音、手を打つ音、部屋の中の柱や壁に何かをぶつけるような音が聞こえる。
確かに自分がいた方が良さそうだ。放っておくと、蜂が少年に叩き潰されかねない。実際に可能かどうかは不明だが。

「小春どの、お助けぇ!」

部屋の中に視線を戻せば、少年が蜂を追い回している。時折、手で叩き落そうと試みたりもしている。間違いなく殺そうとしている。

(止めなきゃ)

男に関わりたくないだの怖いだのと抜かしている場合ではない。放って置いたら蜂が危ないのだ。
部屋の入口近くに突っ立ってた小春は、意を決して少年のすぐそばまで歩み寄った。

「一体何なんだ、ここは! しゃべる虫にしゃべる蜂、ええい面妖なっ」
「やめて!」

精一杯の声を張り上げると、少年がぎょっとした顔で小春を見つめた。
男に見つめられた―ー小春は内心に怯えの感情が芽生えたが、ぐっと押し殺した。

「蜂を叩いたら、同じだけ、あたしがあんたを叩くよ」

そう言って、小春が怖い顔をして拳を作ってみせると。

「……こんな得体の知れない連中と、よくそこまで慣れ合えるな」

少年が渋々といった調子で蜂を叩くために上げた手を下ろした。

「人間の言葉が通じるからって安心しているのか? お前はこいつらが人間を食わないって信じてるかもしれんが、今は人間を食べないっていうだけのことかもしれないんだぞ。異形の物を、化け物を信用しちゃいけないんだ。人間じゃないんだからな」

詰め寄ってたたみかけられて、小春は体が強張った。
自分からだったら意を決すれば近寄ることができた。だが、男の方から近寄られると恐ろしさで身がすくむ。
小春は顔をそむけ、身を守るように手をお腹の辺りに置いた。
改めて指摘されると確かにおかしなことではある。虫は普通、しゃべらない。一丁前に服が着られるほど、調理道具が扱えるほど大きな虫だっていない。彼らは間違いなく異形なのだ。
虫達に混じって仕事をこなし、同じ部屋で飯を食いし、皆と平穏にやっていきたいと望んでいる小春は、人間側から見れば「異形を受け入れている」と言える。異端には違いない。

「でも」

まだ何か言う少年の言葉の下で、小春はぽつりとつぶやく。

「何だ?」

つぶやきに気付き、少年が聞き返す。

「そんなの、人間だって、同じだ……」

かすれた声で口にした途端、苦い経験が脳裏によぎった。
言葉が通じるから安心できる? そんなことはない。言葉が通じたところで、何の意味もありはしなかったではないか。
生け贄役を強引に引き受けさせられ、太兵衛に襲われかけ――。

全てを詳細に思い出すことはできなかった。その前に、嫌な記憶の断片が小春の心を突き刺したからだ。
その痛みは、とてもではないが無視できる程度のものではなかった。痛くて痛くて、血が出そうだった。
――小春は気が付くとうずくまり、顔を覆ってしゃくり上げて泣いていた。

「お、おい、泣くな」

少年は完全にうろたえた様子で、あたふたとしゃがみこんで手を伸ばしかけては引っ込めたりを繰り返している。
泣くなと言われても、小春にはどうにもできない。涙はどんどん勝手に出てくるのだ。大粒の涙は頬を濡らすだけではなく、顔を覆う手にまでぼたぼたと落ち、手首を濡らして肘へと伝い落ちる。

「これは一大事! わたくし、紅どのを呼んで参ります」

蜂の羽音が聞こえる。どこに隠れていたのやら、とにかく無事だったようだ。

「それまでそのまま、そのままですぞ」

重たい羽音を残して、蜂は部屋を飛び立っていった。

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