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zoom RSS 小春奇譚 二十四

<<   作成日時 : 2015/08/01 14:23   >>

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重苦しい気持ちと共に大部屋を出ると、小春はとぼとぼと掃除道具を取りに向かった。
いつもなら何匹か虫が付いて来て、他愛ない話を振ってくるものだが、今日はそれがない。
いや、今日は、ではなく今後もずっとこの調子かもしれない。
紅との仲違いが解決したと思ったら、また新たな火種が発生してしまった。
この火種は、どうすれば大火にならずに済むのだろう。

思案しながら突き当たりを曲がったところで、廊下の向こう側にしばらくぶりに見かける姿があった。
幸之進である。
少し後ろを付き添って歩く紅と何やら話をしながら、こちらへとやってくる。同時に近付いてくる羽音。どうやら蜂も一緒のようだ。

「やあ小春、仕事の調子はどうだい」

こちらに気付いた幸之進が、相変わらずの穏やかな声で語り掛けてくる。朝から思いもしない事態に見舞われた小春は、その声に少し平静を取り戻した。

「おはようございます。仕事は……まあ、変わりない、です」

ややぎこちなく、唇に嘘をのせる。小春はほんの少し、苦みを味わった。
小春は日頃、流暢に話のできる人間ではない。だからきっと、この言葉のぎこちなさが何に由来するかなんて勘ぐられることはないだろう。

「そうか。それで、その……昨日は申し訳ないことをしたね。そんなことになるなんて、考えもしなかったよ」
「昨日……?」

実にすまなそうな幸之進の口調に、何の事だ、と小春は目をぱちくりさせる。

「紅から聞いたよ。匂い袋を受け取った後、体がかゆくてたまらなくなったんだって? すまなかったね、ご褒美どころか辛い目にあわせてしまって」

(ああ、あれか)

小春はちらりと紅を見る。すると紅がやや気まずげに目線を下げ、落ち着かない様子で襟元を触り出した。
どうやら、紅はそのように言って小春から没収した匂い袋を返したらしい。ここは適当に話を合わせておくべきだろう。とはいえ小春は口が上手というわけでもないので、口が滑らないように注意するぐらいしかできないが。

「いえ、あ、あたしの方こそ申し訳ありません、せっかく頂いたっていうのに」
「いやいや、謝ることじゃないよ。体はもう大丈夫かい」
「はい」
「そうか、それなら良かった」

幸之進が目を細める。かぶった袋の中から、笑い声がくぐもって聞こえてきた。
隣の紅が、ほっとした様子で息を吐く。それから「話を合わせてくれて助かった」と言いたげに、こちらに弱々しい笑みを向ける。

「旦那様、お出かけになるのでしたらお早く。果たすべき御役目が後に控えておるのですぞ」

頭上で蜂がせわしなく飛び回る。どうやら幸之進は出かけるところのようだ。蜂はそれを快く思っていない様子だが、相手が相手だけに断固として反対することもできず、せめて早く終わらせてもらいたいとせっついているのだろう。

「……お出かけ、ですか」

何気なく尋ねながら、小春は考える。
この屋敷の出入り口がどこにあるかは教えられていない。掃除の仕事の合間にきょろきょろと見てもいるが、それらしい場所はまだ見つからない。
だが少しだけ事態が進展した。今、幸之進が向かっている方向に出入り口があるはずだ。
別に、出入り口を見つけたからといって何をするわけでもないが……単純に興味があるだけの話である。

「ああ、息抜きにちょっと外へね。面白い物があったら拾ってきて見せてあげるよ」
「小春さん、後をよろしくね。大丈夫、そんなに長い時間ここを空けるわけじゃないの。どんなに遅くなっても、お昼までには戻るわ」

どうやら紅もついていくようだ。表情も、先ほどの弱々しい笑みから喜びで浮かれたものに変わっている。現金な奴めと呆れられるだろうが、ここは大目に見るのが優しさというものだろう。恋をする者にとって、思い人と二人でどこかへ、というのは何にも代えがたい幸福なのだから。

「じゃあ、行ってくるよ。内庭を見る限り晴れている様子だったけど、実際はどうかな」
「念のために傘をお持ちしますね」

幸之進と紅が話をしながら去っていく。
小春は頭を下げて見送るふりをしながら、さっと目を動かして去って行った方向を見定める。
幸之進と紅は、そのまま廊下をまっすぐ進んでいった。途中で曲がることなく、ずうっとまっすぐに。少なくとも小春に見える範囲では。

(そうか)

あっちの方向に出入り口があるのだな、と考えたところで、

「小春どの」

唐突に声をかけられ、小春は「ひゃ」と声を上げた。
羽音がしなくなったので、てっきり蜂も一緒に行ったものと思っていたが、彼は近くの柱にとまっていた。

「わたくしめ、実は旦那様がお戻りになるまで暇になってしまいました。というわけで小春どのの仕事に付き添いましょう。この体ゆえ手伝いはかないませんが、話し相手ならお任せくだされ」
「話をしながら仕事なんか、できない」

小春はむう、と口を閉じた。
小春は仕事をするなら黙々とやりたい性分である。
話をしながら、さらに笑いながらてきぱき仕事を進める器用な人間もいるが、小春にはそれができないからだ。
口を開けば手が止まり、手を動かせば口が止まる。考えに没頭したなら尚更、手が止まる。
昨日だって蜂に話しかけられた時、途中から柱を磨く手が止まっていた。
やはり自分は話をしながら作業をするのに向かない、と小春は自省する。

「小春どのは真面目ですなあ。そりゃ虫達からの厚い信頼も得られるというものです」

その信頼とやら、つい今しがた崩れてしまったばかりなのだが。
小春は思わず暗い顔をしてしまう。

「信頼なんて、そんな……」
「いえいえ、謙遜なさらずとも。ここだけの話、紅どのは奴らを怖がらせて大人しくさせて、働かせているようなものですから。それに引き換え小春どのは、中々上手くまとめておられる。いやあ、実に結構。恐怖でもって従順にするなんて、実はとてもまずいことなのですよ」

確かに紅の言動は虫をひどく扱うのが当然と言わんばかりである。彼女は、そうすれば虫達がよく働くと考えているのかもしれない。
小春はどうしても紅のようには振る舞えない。威圧される苦痛を知っているせいか、どうしても考えが虫の側に寄るのだ。

「まあ確かに奴らはいくらでも替えが効きますが、仕事やここで暮らすに必要なあれこれはもう一回覚えさせなくっちゃいけないんですよ。連中はものを覚える早さはまちまちですし、慣れた奴と同じぐらい仕事がこなせるようになるまで、一朝一夕というわけにもいかないのですよ。むやみに潰すのはどうかと思いますねえ」

放っておくといつまでも続けていそうな蜂の話を「それより、仕事」と切って、小春はそそくさと掃除道具のある場所へ急いだ。

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