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zoom RSS 小春奇譚 二十一

<<   作成日時 : 2015/07/11 14:04   >>

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その夜、小春は自室のふすまをわずかばかり開けて蜂の訪れるのを待った。
高貴な身分でもなければ、夜の室内を照らす道具を持つことなど困難な時代である。小春の部屋にも当然、明かり無い。
いつもなら真っ暗闇の部屋だが、今日は満月のため、窓から白い月明かりが差し込んでいる。おかげで室内を見渡せるぐらいには夜目がきいた。

暗い部屋に差し込む月明かり。畳に落ちる白い光を見つめていると、生け贄として逃がすまいと閉じ込められた蔵の記憶がよみがえる。
決して愉快な記憶ではない。だが、忘れられない。

(一体、どうなったんだろうな)

村の人間には、自分がいなくなったことはもう知られているだろう。
彼らは小春のことを「神様が持って行った」などと思っているのだろうか。
神様が迎えに来るどころか、ろくでもない男がやって来て命からがら逃げだしただけなのに……これで村の危機は救われるなどと、疑いもせず信じているのだろうか。
きっと、そうなのだろう。太兵衛が真実を告白するとは思えないし、生け贄について村の人間が追及なんて面倒なことをするとも思えない。あとは小春の祖母が死ぬまで世話をしてやって、差し出した小娘のことなどいつしか忘れてしまうことだろう。

ほうっとため息をつき、わずかに開けたふすまの向こうを見つめる。

いくら思い悩んだところで、村のことはどうにもできない。それよりも、もっと身近なところにある問題に目を向けよう。
自分はこれから、ささいな事から――それもこちらの過失から仲違いする羽目になった人との関係を修復するために、謝りに行くのだ。そちらの方がよほど重要だ。
果たして、彼女はちゃんと向き合ってくれるだろうか。その心配が小春の顔に陰りを作る。

何度目かのため息をこぼしたその時、ぶうんと羽音を響かせて、蜂がそのすき間から入り込んだ。

「小春どの、お待たせいたしました。いや、申し訳ない。わたくしめの下っ端どもが少々騒いでおりまして、静かにさせるのに手間を取りましたゆえ」

蜂がせわしなく言葉を紡ぐ。
小春はまだ蜂の部下に会ったことはない。一体どんな姿をしていて、普段何の仕事をしているかもわからない。そう考えると、何だか得体の知れない連中という気がする。

「では参りましょう。いやはや、やはり夜にして正解でございますな。今宵は満月、実に好都合。夜の屋敷には明かりがございませんから、これで夜目がきくというもの」

相変わらずな調子の蜂に先導され、小春は自室を後にした。

この屋敷に来てから、夜に動き回るのは初めてのことである。いつも仕事を終えて夕げを食べたら、あとは自室に戻って寝るだけだからだ。
別に文句はないし、不満も感じない。村にいた頃だって、暗くなったら寝る生活だったからだ。
囲炉裏に火があれば夜でも手仕事などができるのだが、暮らしにとにかく余裕がなく、くべる薪を節約しなければならない小春の家ではそうするしかなかった。

ともあれ夜の屋敷というだけで物珍しく、小春はあちこちに視線をさまよわせた。
明かり取りの窓から差す月明かりに浮かぶ屋敷内は、ここでの暮らしに慣れてきたはずの小春に足音を忍ばせさせる。
月明かりの当たらぬ暗闇から何かが飛び出してきそうだ。近付いてしまえばどうということはなく、何もいないことがわかるのだが。

ぱさり、という何かの音が聞こえて、小春は小さく息を飲む。
おそるおそる音のした方へ顔を向けると――廊下の床に紙切れが落ちていた。

(なんだろう)
 
紙切れは小春の手より少しはみ出るぐらいの大きさだった。真四角ではなく、いびつな円の形だ。
拾い上げてみると、紙には何も書かれていなかった。月明かりの下では色がはっきりしないが、手触りからつるりとした面とがさがさした面のある紙だということはわかる。さらに、がさがさした面の端に分厚くのり付けされた部分があり、そこが固くなっていた。
どうやら、どこかに張り付けてあった物がはがれて落ちたようだ。障子かふすまの穴ふさぎにでも使われていたのだろうか。
小春は辺りを見回してみたが、どこから落ちてきたのかまではわからなかった。月明かりで夜目がきくとはいえ、薄暗いせいか紙を張り付けてあったであろう場所を見つけられないのだ。
何も書かれていないところを見ると、なくして困る物のようには思えないが――。
首を傾げて視線をさまよわせていると、蜂からずいぶん距離が離れてしまっていることに気付いた。

(これは後回しだ。明日にしよう)

小春は拾った紙切れを手早くたたんで懐にしまい、小走りに蜂を追いかけた。

「ここですよ。ここが紅どのの部屋でございまする」

小春が追いついてほどなく、蜂がその言葉と共に、とあるふすまに止まる。小春の部屋と同じふすまだった。

(ここか)

小春は緊張してのどを鳴らし、胸に手を当てて深く息を吸った。
ろくすっぽ口もきいてもらえない相手に声をかけるのは、勇気のいることだ。ましてこちらに思い当たるふしがあるとなれば、尚の事。
逃げ出してしまいたい衝動をこらえ、小春はふすまを見つめた。

「あの……紅さん、ここにおいでですか。あたしです、小春です。話したいことがあって来ました」

勇気を振り絞って声をかけたが、中から返答はなかった。
やはり、もう話もしてもらえないのだろうか。
そう思うと胸の奥に鋭い痛みが走る。その痛みは小春の目に涙をにじませた。

(どうしよう、紅さん、あたしのこと本当に嫌いになったんだ)

謝りに来たのだから詫びの言葉を言わなければと思ってはいるのに、小春の口はもう動かなかった。
早く早くと思えば思うほど、どんどん頭の中から言葉が失われていく。簡単なはずの「ごめんなさい」という言葉すら、浮かんでこなかった。

――と。

「ふうむ。どうやら、いないようですねえ」

ふすまに耳を当てるような仕草をしながら、蜂が言った。

「え」
「中から物音一つしやしません。居留守というわけではないようですよ」

蜂の一言に、小春は足の力が抜けた。
思わずへたりこみ、ついで、体の空気が全て抜けそうなほどの長いため息をつく。
先ほどまでの自分が、急に馬鹿みたいに思えて仕方がなかった。

「困りましたねえ、紅どの、一体どこにいるのやら。ここにいればいつかは会えるとは思いますが……」
「……ここで待つよ」

ぐったりした体を起こし、小春は答える。
待つぐらい、どうということはない。それに、ここで引き返したところで眠る気になどなるまい。むしろ不安が増すだけだ。

「はあ、さようでございますか。ではわたくしめもお付き合いいたしましょう」
「そんな、そこまでしてくれなくても」

小春はおろおろと首を横に振った。
蜂は案内役を買って出ただけで、こちらに付き合う義理などない。「ではわたくしめはこれで」と去っても自然な流れである。

「夜の屋敷に一人っきりで放り出すなんて、酷ですからね。それに、口添えする者がいれば心強いでしょう」

蜂は前足を一本、口元に当ててそう答えた。
こちらを気づかってくれている、と小春はそういう意味に受け取った。

「……ありがとう」

胸の震える言葉。そんな言葉を口にしたのは、もうだいぶ前のことだ。
素直にありがたがり、感謝の意を表す。苦労を重ねるうちに、そんなことすらできなくなっていた。誰かの助けを借りたら「すいません」と、そればかり口にしてしまっている。

小春がひっそりと反省していると、廊下の左手側から、ぼんやりとした明かりが近づいてきた。
明かりはある程度まで近づくと、ひたりと止まった。

「小春さん?」

覚えのある声。
紅のけげんな顔が、明かりの向こう側に浮かび上がっている。
明かりの正体は、紅の手に握られた燭台の上にあった。つるりとした木の燭台の上に小さな皿が乗っていて、そこに火が灯されていたのだ。
魚や椿や草の実などから取れる油を皿に注ぎ、そこに芯となるひもをつけて火を灯す――この頃、庶民にはまだ一般的ではない道具である。
小春にとっては生まれて初めて見る物だった。

「あ、あの」

生まれて初めて見た物に驚いている場合ではない。ここへ来た目的を果たさなくては。
小春は頭を下げた。

「すいませんでした、旦那様に勝手に物をもらったりして」

とにかく謝意を伝えなければ。その一心で小春は無茶苦茶に言葉を紡ぐ。

「あたし、もう旦那様に物をもらったりしませんから、だから、だから……っ、許してください、お願いだから、邪険にしないでくださいっ、目も見てくれない、話もしてもらえないなんて、あたし、そんなの嫌ですっ」

言い終えると、唇が震えていた。
紅からの返事は、しばらくなかった。
耳の痛くなるような沈黙が続く――油の皿につけた芯の燃える音すら聞こえるようだった。

(いきなり押しかけて許してくれなんて言ったから、厚かましいって思ってるのかな)

小春が不安でたまらなくなったその時、はあ、と紅がため息をついた。
顔を上げると、紅が眉間にしわを寄せて頭をかいていた。

「あなた、謝りに来たの?」
「は、はい」

小春は首振り人形のように何度もうなずいた。

「それで、私の部屋の前で待っていたの?」
「はいっ」
「私がいつ頃ここへ戻ってくるか、知っていたの?」

あきれたような口ぶりで、紅が目を閉じる。

「下手をしたら一晩ここで待ちぼうけになるかもしれないって、思わなかったの?」
「それは……」

小春は言いよどむ。
考えもしなかった。部屋へ行けば会えるだろうという蜂の言葉をすっかり信じ切っていた。
だがそうとは限らないのだ。紅が来なかったら自分はどうするつもりだったのだろう。
現状をどうにかしたいという一心で、そこまで考えは及ばなかった。

「……ごめんなさい。私の方こそ、大人げなかったわ」

しかし、紅はこちらを責めるどころか目を伏せた。

「正直に言ってしまうわね。私、旦那様をお慕いしているの。だから、あなたが旦那様と同じ匂い袋を持っていると思ったら、頭に来ちゃって……」

嫉妬から小春に辛く当たった、というわけだ。

「あなたが悪いわけじゃないのにね。本当にごめんなさい。許してもらえるかしら」
「は、はい、でもその、あたしが迂闊だったから……あんまり気に病まないでください」

しどろもどろでそう言うと、ふっと、紅がようやく笑ってくれて小春はほっとした。頭を下げられることに慣れていないせいか、かえって心苦しかったのだ。

「ところで、私の部屋がどこにあるか、どうやって知ったの」
「わたくしが案内したのです」

紅の問いに、つい、と蜂が小春の前に出る。

「まあ、あんただったの。まさか、謝れって小春さんに強要したんじゃないでしょうね」
「何をおっしゃいますやら。わたくしは小春どのの健気さに胸を打たれて、協力を申し出たまで」

蜂が六本の足を開き、まるで胸を張るかのような動きを見せる。

「何はともあれ、これで丸く収まりましたな。この一件はこれで終いでございます。また明日から、仕事に精を出すといたしましょう」

蜂が明るい声で場を収めにかかる。
それに対し紅がうなずく。

「そうね、もう夜もすっかり更けてしまったわ。さ、小春さん、早く部屋に戻って休みなさいな。寝不足だからといってお仕事の手を抜くなんて、承知しませんからね」
「はい」

改めて小春に向き直り、紅が照れくさそうに微笑む。

「……また明日から、よろしくね」
「こちらこそ」

思わず笑みを返すと、もう一度ぺこりと紅に頭を下げて、小春は蜂と共に自室の方へと戻った。

小春はうれしかった。紅が許してくれて、仲直りをしてくれて、気分は実に爽快だった。
胸につかえていたものが、ようやく取れた。これでもう、思い悩むことはない。

自室に続く廊下を歩む小春の足取りは、実に軽やかだった。
正直なところ、久々に良い気持ちで眠れそうだ、と少しばかり浮かれていた。

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