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zoom RSS 小春奇譚 二十

<<   作成日時 : 2015/07/04 15:25   >>

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その日から、紅の態度は変わった。
朝、小春が挨拶をしても返してくれず、仕事の報告をする時もこちらに顔を向けずに聞くようになった。
これが何を意味するかわからない小春ではない。紅がこちらを疎んで、積極的ではないにせよ自分の世界から排除にかかっているのだ。
話も聞いてもらえない状態では、行き違いを元に戻すこともかなわない。
小春は何度か勇気を振り絞って声をかけたが、そのたびに無視をされるので、次第に紅と距離を置くようになってしまった。
それで事態は解決できない。わかってはいるのだが、傷つきたくないという気持ちの方がどうしても先に立つ。

小春はひたすら、悲しかった。
べたべたと慣れ合うのは苦手だが、誰とでも和やかに暮らしていきたい。虫達とも、蜂とも、紅とも……誰とも波風を立てることなく平穏に日々を過ごしたいのだ。
しかしそれが今やかなわない。たった一つの、悪気なく犯した過ちによって。
胸にたまっていく重苦しい空気を軽くしようとばかり、日を追うごとにため息の数が増えていく。

今日も今日とて、小春は掃除中だというのにため息ばかりついていた。
心配事があるせいか、まったく仕事に集中できないでいる。
今は縁側の柱を磨いているところだが、つい、手を止めて中庭をぼんやりと眺めてしまうのだ。
心を占めるのは逃げ出してしまいたいという気持ちだ。誰かとの関係で心苦しい思いをし続けるのは辛い。小春は何もかも放り出して、思い悩まずに済むところへ行ってしまいたかった。
だが、この屋敷の出口がどこにあるかわからない。掃除の最中にさりげなく探してはいるが、見つからない。なので、知る限りではここから見える景色が唯一、外へとつながっているものだ。
逃げ出したいという気持ちのせいか、小春の中庭を見る目が自然と脱出の方法を模索する目になってしまう。
ここから外へ出るとしたら、ぐるりと四方を囲む壁を越えなければならない。しかし壁は、飛び越えることなど無理な高さだ。となれば、はしごを立て掛けて上るしかないだろう。とても目立つ脱出になりそうだ。

だがその考えも、ここを出ていって一体どうするのか、という方へと向くと小春は気が重くなる。
村にはもう帰ることなどできない。こっそり祖母を連れ出してしまえたらと思うが、高齢ゆえに連れて歩くのは困難だろう。自分たちのことを全く知らない人ばかりの所まで行こうというのなら、さらに道のりは険しくなるだろう。
――現実的に考えるなら、小春一人で見ず知らずの人ばかりの所へ移って、一からやり直すことになる。

(ばあさまを見捨てるなんて、そんな……)

たった一人の肉親である祖母への情が、小春を揺らす。
鬱々とした気持ちで中庭を眺めていると、突然、ぶうん、と低い羽音が聞こえて来た。

「小春どの、手がお留守でございますよ」

蜂の声に、小春は我に返る。途端に手の中で存在感を増す濡れ雑巾の感触とかすかな臭い。物思いにふけっているうちに、雑巾は乾きかけていた。

「ご、ごめんなさい」

小春は足元に置いた手桶の水に雑巾を突っ込み、がむしゃらに洗った。むやみに力を入れたせいだろうか、親指の付け根の柔らかい部分に爪を引っかけてしまった。わずかに顔をしかめて観察すると、赤くすりむけている。

「どうかなさいましたか。何か、思い悩むようなことでも?」

蜂が小春の周囲を回り、気づかわしげに声をかけてくる。

「う、ううん、何でもない……」

小春は笑みを浮かべてごまかすと、雑巾をしぼって別の柱を磨きにかかった。
その浮かべた笑みの弱々しさ。自分でも引きつっているのがわかる。

「いいや、悩んでおられますな。ずばり、紅どののことではありませんか?」

蜂に言い当てられ、小春はどきりとした。
小春の態度から図星と察したらしい蜂は、目の前に近付くと頭を傾ける。

「ほほう、なんだか近頃、様子が変だと思っておりましたが……ひょっとして、けんかでもなさいましたか」
「その、ちょっと行き違いがあって、それで、あたし、紅さんに避けられてるみたいで……」

小春はぽつりぽつりと答えた。
状況を口に出してみると、改めて絶望的な気持ちになる。
話に応じてくれない相手と、一体どうすれば関係を修復できるのだろう。
とっ捕まえて話し合えというのだろうか。そんなことをしたら、ますます嫌われそうだが。

「それはそれは。早く謝ってしまわれた方がよろしいですよ。気も楽になりますし、第一、放っておいて良いことなど一つもありません。こじれてこじれて、どうにもならなくなってしまうと、もう関係を切るしかなくなります」
「でも、紅さん、仕事の話以外だと口をきいてくれなくて……」
「ありゃま、避けられていると? なら、紅どのの部屋へ行って話をすれば良いのではありませんか? 直接乗りこめば、さすがに知らぬ振りはしますまい」
「部屋がどこにあるか、知らない」

小春は首を横に振る。
屋敷の中で小春が把握している部屋は限られている。自分の部屋と、虫達の部屋。食事をする大部屋。掃除道具を置いている部屋。後は厠と湯浴みの部屋ぐらいしか知らない。
不思議なことだが、毎日掃除をして回っているというのにいまだに紅の部屋と幸之進の部屋のある場所はわからないのだ。いい加減、部屋の前ぐらいは通りがかってもおかしくない気もするが、まだそれもない。
不自然な話である。ひょっとしたら、彼らの部屋はここに無いのではと思ってしまうほどに。

「わたくしは存じておりますよ。良ければ案内いたしましょうか」
「良いの?」

小春は目を丸くした。が、

「でも、紅さんに怒られてしまうんじゃ……」

一瞬のうちに小春はしゅんとした。これが元で、さらに疎まれることになったら大変である。

「なあに、心配めされますな。小春どのの健気さに胸打たれ、わたくしめは助け舟を出さずにいられなかったのだと、そう伝えておきますゆえ」

どうやら蜂は、自分が紅に怒られることを心配してくれたと思っているようだ。

(ごめん……)

しかし小春が心配していたのは、小春自身が紅にこれ以上嫌われないかどうかである。決して蜂を思いやって発言したのではない。

(あたし、健気なんかじゃないよ)

胸の中に、じわじわと自己嫌悪の苦味が広がる。
とはいえ、わざわざ伝えることでもない。小春はあいまいに笑ってうなずき、ごまかした。

健気かどうかはさておき、小春はこんな気まずい空気の中での生活なんて、もう御免である。早く平穏な暮らしに戻りたかった。
その一心で、蜂の言葉に「じゃあ、お願い」とうなずいた。

「さようでございますか。仲直りは早ければ早いほどよろしいでしょうから、そうですねえ……」

蜂は、「では今すぐにでも」と言い出さんばかりだ。
確かに蜂の言う通りだ。今すぐと言うのならそうしよう。小春は雑巾をたたみ、手桶のふちにかけた。

「では今夜、部屋まで迎えにうかがいますのでお待ち下さいませ」

しかし蜂はそんなことを言い出した。
勢いが削がれ、小春は目をぱちくりさせる。

「……どうして夜なの?」

小春は首をかしげた。
早い方が良いと言いながら、それでは時間を置いてしまっているではないか。

「小春どの、早い方が良いと申しましたが、仲直りするには腰を落ち着けて話し合わなければなりません。小春どのも紅どのも、昼間は仕事があるのですから、お互いに落ち着いて話し合うには夜が一番よろしいのですよ」

蜂は足を一本、手に見立てたようにしてまっすぐ立てると、教え諭すような口調で話す。
なるほど、と小春は納得した。
確かに、仕事の片手間に仲直りの話などするものではない。

「じゃあ、部屋で待ってる」
「かしこまりました。ではまた、夜にお会いしましょう」

蜂は、ぶうんと羽音を響かせて屋敷の中へと姿を消した。
そういえば、蜂はこの屋敷でどんな仕事をしているのだろう。蜂の去った方向を見つめながら、小春はふと考えた。
紅と同様、下働きの者を従えて旦那様に仕えている身であるらしいが、具体的にどんな仕事をしているかは知らない。紅のように物を運んだりすることはできない以上、同じ仕事はしていないだろう。

「おおい、小春さんよう、柱磨きは終わったかあ」

遠くから虫達の呼びかける声がする。
今は蜂の仕事について思いを巡らせている場合ではない。とにかく目の前の仕事をこなさなければ。

「ごめんなさい、もう少しかかりそう」

小春はそう声を張ると雑巾をしぼり、仕事を再開した。

(どうか紅さんが、許してくれますように)

柱を磨く手に、力がこもるのを感じながら。




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