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zoom RSS 小春奇譚 十七

<<   作成日時 : 2015/06/13 18:24   >>

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その後、洗濯、掃除を一通りこなしてみた結果、小春は掃除を任されることになった。
一人ではなく虫達何匹かと一緒になって屋敷中をくまなく掃き清め、布で拭き磨くのだ。
仕事が一つだけなら楽な気もするが、実際は広い屋敷中を掃除して回るのだから大変である。
屋敷はとても広かった。内庭以外で外の景色を見る手段などないのではないかと思えるほど、たくさんの部屋が続いていた。
誰も使っておらず、がらんとした部屋ばかりなのが奇妙だったが、黙って大人しく勤めるのが恩返し、と小春は問いかけるのをやめた。

ただし、屋敷中とはいっても小春が掃除を免除された場所はいくつかある。
一つは屋敷の出入り口。ここは虫達がやるからしなくて良いという。というわけで案内もされておらず、小春は屋敷の出入り口がどこにあるかわからない。
さらに虫達や紅個人の部屋。これは自分で掃除せよという決め事のためだ。小春にも部屋が一つあてがわれたが、そこも自分で掃除するようにと伝えられた。
そしてもう一つ、幸之進の部屋である。
こちらは紅がやるから立ち入らなくて良い、という話だった。

「旦那様の身の回りのことは私がするから、あなたは気にしなくて良いのよ」

紅はそう言っていた。
事実、紅は幸之進の身の回りの世話を一人で全部担っていた。
手ずからの料理を毎食持っていき、洗濯も別に行い、掃除も一人で済ませてしまう。
そればかりか、朝起こしに行くのも、その日着る物を選ぶのも、夜に床を整えるのも紅が全てやっていた。
だからといって他のこと全てを小春と虫達に押し付けるわけではないが、その役目だけは誰にも譲る気がない様子だった。

「じゃあ小春さん、私、旦那様のお部屋を掃除してくるわ。こいつらがさぼったりしていたら遠慮なく引っぱたいてやって頂戴」

掃除用具を片手に、「お願いね」といそいそ離れる紅の背中を、小春は見送った。
ここで働き出してから数日、すっかり見慣れた光景である。
小春の後ろには掃除用具を手に手に集まった虫達が控えている。
小春はすっかり彼らの上役扱いだった。働き出したばかりだというのに、さぼっていないか見張るよう紅に言いつけられてしまったのだ。
さぼっている者がいたら引っぱたけだの、後で報告しろだのと指示されたが、今の所目に余るほどさぼっている者はいないため、小春は「みんな真面目にやっています」と答えていた。
今まではよほど紅に厳しく見られていたようで、うるさく言わない小春は虫達におおむね歓迎されていた。

「じゃ、あっしらも掃除といきましょう」

廊下に集まった虫達が、三々五々、今日の掃除のために散らばっていく。
仕事に関しては慣れっこな様子で、こちらから特に命じなくても勝手に各々やってくれるので楽なものだ。
さて自分も、と小春はほうきを片手に廊下を歩き出した。この廊下の先にある広い畳敷きの部屋。そこから掃除を始めるのだ。一緒に掃除をするために先に立ってぞろぞろ歩く虫達の後ろ姿をぼんやり見ながら、小春は歩いた。
そんな小春の視界の片隅に、影がかかる。
ひょいと見下ろせば、一匹の虫がくつくつ笑いながら小春に近寄ってくるところだった。

「馬鹿にうれしそうだって、そう思いませんかい」

隣を歩きながら虫が言う。
その声は、盗み食いをした奴をかばった虫のものだった。虫達は見た目だけで区別をするのは困難だが、声を聴けば違いはわかる。
こいつは虫達の中でも古株で、その分、紅に対しても多少物を言えるらしい。小春のことは新しい上役ではなく新入りとして面倒を見てくれるつもりのようだった。
ここでの身の振り方も慣例も知らない小春にとってはありがたい話である。

「うれしい?」

小春はきょとんとした。一体何の話かわからなかったからだ。

「姐さんのことですよ」

言われて小春は紅の去った方を見る。彼女の姿はすでに無かった。

「姐さんはな、旦那様にほの字なんでさあ」

いよいよ楽し気に、虫は語り出した。

「ほの字?」

足を止め、小春は考える。確かそれは、相手に惚れているという意味だったはずである。
その言葉にときめきを覚えないのは、人を恋い慕う気持ちなど、かつかつの暮らしをしていた小春にとっては縁のないものだったからだろう。
……太兵衛の場合は欲情が先立っただけのことで、「ほの字」などという可愛げのある言葉で済む話ではない。

「はっはっは、もしかしてほの字が何か知らねえってんじゃないでしょうね」

横から、ひょいひょいと他の虫達が割り込んでくる。
働き出してから日が経ったとはいえ、同じ顔の、しかも人間の子供ほどもある背丈の虫達が集まってくる様にはまだ慣れない。
小春はぎこちなく、愛想笑いのようなものを浮かべてそっと距離を置いた。

「きっと、姐さんは年がら年中付きまとってなきゃ気が済まねえんだろうよ」

あれだけの美しい女性に好かれたら、男としてはうれしい限りではないのだろうか。おまけに身の回りのことも全てやってくれるのだから。

「でもなあ、旦那様にはその気はねえぞ。おそらく気付いてもいないだろうさ」

虫達はいよいよ小春のことなどお構いなしにしゃべり出した。

「旦那様は器が大きいというか、鈍いというか、そういう方だからなあ」
「でもそれが良い方に働いてるんだろ。もしも繊細だったら姐さんに耐えられねえさ」
「姐さん、なあ……」
「姐さんはべっぴんだがよ、肝心の中身が恐ろしいときてる」
「見た目の良さだけじゃごまかせねえな、あの恐ろしさ」
「並の男なら、三日ともたずに逃げ出すに違いないぞ」
「旦那様だって平気で酷いことをするお方と気付けば、絶対にうんとは言うまいよ」

小春は思わず身をすくめた。
台所で盗み食いをしていた虫へ紅が行った仕打ち。その光景を思い出してしまったのだ。彼女に残忍な一面があることを否定はできない。

「だから、小春さんよう。気をつけなせえ」

急にこちらに話が向いて、小春は虫達に顔を向けた。

「とにかく旦那様に深入りしちゃあいけませんぜ。身のためですからね」
「そうそう。もしも姐さんにやきもちなんて焼かれた日にゃ……」

虫達の黒い眼球が、いっせいに小春をとらえる。
急に訪れた静けさが、ゆらりと辺りの空気を一変させた――気がした。
小春は彼らのことが急に怖くてたまらなくなった。彼らの目が、まるで、弱い虫を捕食しようとする昆虫のそれに見えたのだ。

彼らは人を襲って食べたりはしない。紅がそう言っていた。現に毎日炊事係によって出される物を食べて暮らしている。小春は彼らと一緒に飯を食うため、その食事内容を知っている。
小春に出される雑炊とは違い、彼らが食うのはよくわからない妙な草を煎じた物を混ぜた雑炊のような物だ。こちらとしては全くと言っていいほど食欲をそそらない匂いの雑炊だが、彼らとしては結構上等な食事のようで、毎度鍋が空になる。
それを見ては本当に人を襲うことはないようだと安心していたものだが……今はそう思えない。集団で群がって肉を食いちぎりに来るのではないか、と考えてしまう。そして、そうなったら簡単に食い尽くされてしまうだろう、とも。

「小春さんよ、気を付けなせえ。下手を打つと、あっしらみたいに腕か足をもがれちまうかもしれませんよ」

小春は何も返せなかった。
まさかと笑い飛ばすことも、恐怖を露わにすることもできなかった。
ただ無言で、彼らの黒い眼球を見つめ返すばかりだった。
――この黒い眼球は、忠告しているのだろうか。それとも、脅しているのだろうか。その判別ができない。
小春は身じろぎもせず、うつむいて震える腕を己でさすり続けるばかりだった。

「と、いけねえ。あんまり話し込んでると姐さんに見つかるかもしれねえぞ」

虫達はわあっと掃除に取り掛かった。
ふすまをがらりと開け放ち、ほうきがけを始める。
もうそこには、ぞっとする空気などない。活気が満ちているだけだ。

(深入りするな、か)

ふらふらと自分も掃除に取り掛かりながら、小春はその言葉を思い返していた。
言われるまでもないことだ。幸之進に対して恩義は感じるが、人間ではなさそうな相手にそれ以上の特別な感情を抱くことはない。
だからこそ名を知ってからも旦那様と呼んでいるのだ。
ひょっとしたら、小春が旦那様と呼んだことを蜂が賢明と言った理由は、紅に関連したことだったのかもしれないなと小春は思った。名前で呼んでいたら、関係を疑われ紅に妬まれて穏便な生活など望めなかったかもしれないのだから。

(……あれ)

そこへきて小春は内心首をかしげた。
その割に紅の方も幸之進のことを旦那様と呼んでいるではないか。名を呼び合うのは特別な仲だとほのめかす行為だということぐらい、小春にもわかる。紅が幸之進を好いてるのならば、ますます名前で呼びそうなものだが。

どこか釈然としない気持ちで、小春は畳にほうきをかけた。

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