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zoom RSS 小春奇譚 十六

<<   作成日時 : 2015/06/06 16:49   >>

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まずは包丁の腕前を見たいというので、小春は台所に連れて行かれた。
そこでは虫達が使い終わった食器を洗っている真っ最中で、二人が現れると物珍し気にちらちらと見てきた。
黒塗りの木造の台所には大きな釜が二つあり、壁に沿ってかめがずらりと並んでいた。普通ならば台所には外へと出入りできる戸口があるものだが、どういうわけかここには無かった。

「そうね、じゃあこの魚をさばいてもらいましょうか」

紅がまな板の上に一尾の魚を寝かせ、小春をその前に立たせる。
銀のうろこに覆われた青魚。それをぼんやり見下ろして、大きな魚だ、と小春は思った。川で泳いでいるのを見たことのある魚とはずいぶん違う。

「は、はい」

返事はしたものの、小春は当惑しきった顔で包丁を握り、魚の上でふらふらと刃先をさまよわせた。

(魚って、どう切るんだろう)

菜っ葉や大根のように、ぶつ切りにすればそれでいいのだろうか。だが一緒の切り方ではおかしい気がする。

小春は実を言うと、生の魚をさばいたことがない。さばく必要のある大きさの魚が口に入るような暮らしをしていないからだ。
村の川に住んでいる魚はどれも小さく、丸ごと焼くか煮付けるかして食べていた。それも勝手に取って良いものではなく、村長に申し出て許しを得る必要があった。もしも勝手に取ったと知られれば、間違いなく村八分の仕打ちが待ち受けている。
貧しい村での村八分は生き地獄に他ならない。小春は川に入ったとしても決して魚には手を出したりしなかった。
また、山のふもとの村から海は遠く、海の魚に馴染みはない。小春が知っていて、かつ食べたことのある海の魚といえば、からからになった干し魚の端っこぐらいのものだ。以前、村長の家に手伝いに行った時にもらった物である。
どのみち小春にとって魚は縁のない食材なのである。故に、これまでさばき方を知らずともやってこれたのだ。

「どうしたの」

優しく問われて、小春は包丁を置いて紅に向き直った。
小春は意を決した。ごまかしても仕方がない。正直に言うのが一番なように思えた。

「すいません、あたし、菜っ葉か芋か大根ぐらいしか切ったことなくて……」

頭を下げる。

「まあ、じゃあ切り方がわからないの」

紅が目を丸くして口元を手で覆っている。小馬鹿にする様子はなく、あくまでも驚いている風だ。
それでも小春は恐縮して小さくなった。

「じゃ、あっしが教えましょう。なあに、こつさえつかめばこっちのもんですよ」

そばにいた虫が一匹、しゃしゃり出て来た。小春とまな板の間に割り込み、包丁を持つ。
途端、昆虫の持つ独特の臭いが鼻をついた。真夏に現れる昆虫の臭いをもう少し強くした臭いだ。これが紅の言っていた「虫くささ」なのだろう。今のように、相当近くに寄らない限りはわからないが。

「誰がそうしろと言ったの。余計な事するんじゃないわよ」

紅がきつい口調と共に虫をにらむ。自分に向けられたものではないとわかっていても、小春の背筋は凍り付いた。

「へへ、こりゃすいませんでした」

対する虫は傷ついた様子もなく、そそくさと何やら仕込み作業をしている他の仲間達の輪に加わった。

「行きましょう。小春さんには炊事以外の仕事が良さそうね」

何やら考え込みながら、紅が台所を後にしようとする。ついて行こうとした小春は、足を踏み出しかけたところで立ち止まることになった。
前を行く紅が唐突に立ち止まり、横の戸棚にじろりと目をやったからだ。
実に突然のことだったが、すんでの所で小春はぶつからずに済んだ。もっとも、紅はぶつかろうが気にしなかっただろう。彼女は完全に、足を止めざるを得なかった理由の方に意識をとらわれていたからだ。

「お前、そこで何をしているの」

つかつかと紅は戸棚の向こう側に近付いていく。
言われて初めて、小春はそこに虫が一匹いたことに気付いた。
台所の戸棚の陰に隠れる形で、周りより少し小さな虫が足をたたんで座っていたのだ。
見ればその虫の足二本と口回りには飯粒がついていた。何かをこっそり食べていたことは容易に想像がつく。

「あ、あ」

そいつは紅を見上げると、腰を抜かした人間のように腕を後ろについた。

「お前、また盗み食いをしたのね。これで一体何度目なのよ!」 

むんずとそいつの足を一本つかみ、紅が罵った。いら立ちが押さえきれていない、そんな様子だ。

「姐さん、どうか勘弁してやってくだせえ。そいつは朝から飯抜きで、腹が減ったって泣いてたんでさあ」

こわごわと遠巻きに見る虫達の中から、そう言ってかばう奴がいた。
紅は盗み食いをした虫の足を掴んだまま、そいつの方へと顔を向ける。足を掴まれた虫はすっかり怯えた様子で他の足をたたみ、紅の足元に転がっていた。

「どうしてこいつが朝から飯抜きになったのか、言ってごらん」
「……ゆうべ盗み食いをして、その罰で……」

かばい立てをした虫が、言いにくそうにかすれた声でそう答える。

「そう。同情の余地はないということよ。盗み食いをしなければ済む話なのに、何回同じことをして罰を受けて……ちっとも学びやしない」

足元に転がる虫を見下ろすと、紅はぐいっとその体を乱暴に踏みつけた。

「お前、もう学ばなくていいわ。今度は教える側になりなさい。何度も同じ間違いをするとどうなるか、身をもって他の連中に教えるのよ」

そう言うなり、紅は掴んだ虫の足を力任せに引っ張り始めた。
一体何をする気なのか、小春は嫌でもわかってしまった。
足をもぐつもりなのだ。幼い子供が無邪気さで昆虫の足をもぐのとは違い、残酷さからもぐのだ。

「ひ、ひ、姐さん、冗談でしょう? そんな、むごいですよ」

足を引っ張られながら、虫が必死に言葉を並べ立てている。まるっきり命乞いだ。

「わかりました、わかりましたよ、もう盗み食いななんかしません。次の飯時まで我慢しますから、ね。絶対、今度こそ絶対、ちゃんとしますから、お願いですよ、ねえ」
「聞き飽きた」

紅は冷徹なまなざしをくれてやっただけで、虫の足を引く力を緩める気配すらない。

「ひっ、姐さん、足が、足が痛いです、やめて下さい、足がなくなったらもう、生えないんですよ、足がなくなったらじわじわ死ぬしかなくなるじゃないですか、いやだ、いやだあ!」

虫の声の哀れさはますます募っていく。
周りの虫達はこわごわ見たり身動き一つしなかったり顔を伏せたままだったり、様々な反応を見せてはいるが止めるそぶりはない。
おそらくこれは初めてのことではないのだろう。逆らったり止めに入ったりしない者が生き残り、この集団を成したに違いない。
小春は胸がつぶれそうだった。単純にかわいそうだとか哀れだとか、そんな同情の言葉で済ませられるものではなかった。
自業自得という違いこそあれど、明らかに害を加えられようとしているのに止められる者がいない、そんな光景――身に覚えがある。

「べ、紅さん」

小春は何かを言える義理ではないが、その心苦しさから思わず声を上げた。
この状況を好転させられる知恵も言い分も持たないが、黙って見ていられなかったのだ。

だが――間に合わなかった。
ぶちりっ、という生理的な嫌悪感を抱かせる音が、小春の身をすくませた。
瞬きするほどの間のうちに、紅の手には虫の足が掴まれていて、虫の胴体から完全に離れていた。

「お、お、ご、おごぉ、おぉ」

かつて足の付いていた部分からぶちゅぶちゅと赤い液体を垂らしながら、虫はもがいていた。残った足をばたつかせ、悶絶の声を上げている。
紅はその様をしばらく黙って見下ろすと、ぽいっと引きちぎれた足を投げつけた。

「お前達、何をぼさっとしているのよ。拭いて綺麗にしておきなさい」

その言葉を合図にしたかのように、停滞していた空気が動き出した。
虫達は足を一本失った仲間をどこかへ運び出し、布を持ってきて床板に落ちる赤い液体を拭き取りにかかる。

小春は呆然と立ち尽くしていた。
浅い呼吸を繰り返しながら目を見開いて、その様を見つめていた。

(ひどいよ)

ただその一言だけが脳裏にあった。
足を引きちぎられた虫に寄せたものか、かつて味わった痛みを思い出してのことか――今は曖昧だった。

「小春さん、行きましょう」

紅が声をかけてくる。先ほどまでの冷徹さと残酷さはみじんも感じられない声色だ。
だが優し気なはずの紅の声が、とがめているように小春には聞こえた。あんな虫に同情するつもりか、と言外に伝えているように思えた。

「あいつらの事なら気にしないで、仕方のないことなのよ。あいつらは体力だけは馬鹿みたいにあるけど、頭が良くなくて……時々嫌になるわ」

心底うんざりした顔で、紅はゆるりと頭を振る。
小春はふらふらと、紅の元へと歩み寄った。
心がひたすらに空っぽだった。しばらくは何も考えられそうになかった。

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