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zoom RSS 小春奇譚 十五

<<   作成日時 : 2015/05/30 16:26   >>

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小春の足の治療に使われていた薬草は、とても効き目の高い種類のようだった。
おそらく村の者では手が出せないような値段の物だろう。村長でさえ手に入れられるかどうか。
とにかく、小春の足は三日もすると元のように動かせるようになった。

足が治ったら、次にすることは一つ。ついにここで働く日が来たのだ。
小春は髪を一つにくくり、動きやすそうな薄灰色のの小袖姿となって幸之進に改めて挨拶をすることになった。
この小袖も髪結いの紐も、全て紅のお古である。これを着ていた自分ぐらいの時の紅が一体どんな娘だったかを想像すると、小春は落ち込んでしまう。きっと自分とは違って、誰もが褒めそやすような美しい娘だったのだろうから。
同じ物を着ても中身まで同じにはならないのだ。悲しいことだが世の理である。
とはいえ、ここで世話をされているうちに小春からはみすぼらしさが少しずつ消えつつあった。見た目の美しさはどうにもならないとしても、それぐらいの変化は平等のようだった。

「今日からここで働かせていただきます。よろしくお願いします、旦那様」

幸之進を前に、紅の隣に座った小春は指をつき、頭を下げた。幸之進のすぐそばに、蜂が浮かんで飛んでいる。
結局、小春は幸之進のことを名前で呼ばぬままこの日を迎えた。露骨に旦那様と呼び続けたわけではなく、名を呼ばずに済ませてごまかし続けたのである。

「いやあ、そんなにかしこまらなくても良いよ。旦那様なんて呼び方じゃなくて、もっと気楽に……」
「でも、今日からは使われる人間ですので」
「うーん……」

幸之進はどこか不満げに腕を組んでいる。
小春は内心、首をかしげた。
どうしてそんなに名前を呼んで欲しいのだろうか。紅や蜂は旦那様と呼んでいるし、それに対しては何も言わないのに。

「小春どのは礼儀というものを知っておられますなあ。感心感心」

蜂が明るい声を上げる。
あの後聞いてみたところ、彼曰く、小春が幸之進のことを名前で呼ばないことを「賢明」と言った理由は、「礼儀の問題」だそうだ。とどのつまり、働かせてもらうからにはわきまえるべき部分がある、ということらしい。
それが本心かどうか、は小春にはいささか疑問が残っている。何か……礼儀とは別の理由があるような気がしてならないのだ。それが何かはまだわからないが。

「でも、小春は……」
「旦那様、それよりも小春さんに任せたいお仕事のことなんですけれど」

まだ何やら不満そうにぶつぶつ言っている幸之進に、紅が切り出した。

「ん、何だい紅」
「しばらくは私に付いてもらって、色々させてみて、得意そうなことから任せてみようと思いまして。どうでしょう」
「ああ、それが良さそうだね。任せるよ」

幸之進の声はどこか心ここにあらずな様子だ。生返事と言っても良い。

「それじゃあ小春さん、付いていらっしゃい。他の奴とも顔合わせしなくちゃ」
「は、はい」

小春はあたふたと紅の後に続いた。
すらりとした紅の歩き姿はしずしずとしたもので、床板も鳴らない。響く足音は全て、小春のものである。きれいな歩き方など知らないのだから仕方がない。
歩くうちに小春はだんだん恥ずかしくなってきて、紅の真似をしてみたりもしたが、やはりとたとたと足音がした。
やがて二人は庭に面したところに出た。
白壁の塀にぐるりと囲まれた庭は広く、鮮やかな緑の葉を茂らせた庭木や池、石灯篭もある。村長の庭とは比較にならない、きちんと手入れのされた立派な庭である。

「このお屋敷は私と蜂が主に取り仕切っているの。私と蜂の下にそれぞれ下働きがいて、雑事は全部そいつらにさせているのよ」

庭を横目に縁側を歩きながら、紅が言う。縁側の黒塗りの床板には腐ってふかふかした部分など無く、ぎょっとするような軋みを上げる部分も無い。同じく黒塗りの柱はきれいで、亀裂の入った部分など見受けられない。
つくづく、自分の育った環境の貧しさを小春は思う。衣食住のうち食が最重要で、その次に優先するのは季節に合わせなければならない衣。
結果、住の部分に回す余裕が無くなってしまう――それが村では普通のことだった。

「旦那様に関わることは私と蜂の役目だけれど、他のことはそいつらでもどうにかなるから。力仕事はそいつらの仕事よ」

ということは、蜂に指示されて動いている者がいるということである。
紅ではなく、虫である蜂に命令されて動く人間は一体どんな気持ちで働いているのだろう。

「小春さんには私の下に付いてもらうことにしたわ。でも安心してね、下働きの連中とは一緒の扱いにしないから……さ、着いたわ」

紅は引き戸の前で立ち止まる。

「みんな、いるかしら?」
「はい、おりやす」

呼びかけた引き戸の向こうから、何名かの声がそろって返事をする。男とも女ともつかない、妙な高さのしわがれた声だ。
どうやら引き戸の向こうは使用人が詰める部屋のようだ。何かの作業をする部屋か、寝起きする部屋かもしれない。

「開けて頂戴。用があるから」
「へい、只今」

がらがらと引き戸が開く。
その向こうに現れたものを見て、小春はぎょっとした。

木戸の向こうはだだっ広い畳敷きの部屋だった。どうやらここは使用人が寝起きする共同の部屋のようだ。
だが小春が驚いたのは部屋の広さなどではない。そこにいた「彼ら」の姿だ。
彼らの外見は人間ではなく、ほぼ昆虫のそれだったのだ。
小春に比べて頭一つ分低い背丈の、赤い鎧兜を身に着けたような外見の虫どもは、人間のように衣服をまとい、二本の足で立ち、残りを腕として使っていた。

「なんです姐さん、どこぞの床に穴でも開きましたか」
「雨漏りならこないだ直したばっかりですぜ」
「風呂桶のたががついに外れたのかもしれませんぜ」

おまけに人間の言葉を流暢に使いこなしている。
空恐ろしさに、小春は思わず一歩後ずさっていた。

「はい、それじゃあ集まって頂戴。新しく人が来たの、紹介するわ」

紅にうながされ、小春はぎくしゃくと前へと進み出る。
赤い兜のような顔。はめこまれた黒い石のような目玉が、ずらりと並んで小春を見ている。
ぴくりぴくりと揺れる二本の触角は、たくさん並ぶと不規則な動きでこちらの精神を不安にさせる。
小春はなるべく、無心になってまっすぐ前を見た。彼らの誰とも決して目を合わせないよう、ぼんやりとした視線を前に向けた。視界の中にいる大勢の昆虫頭の人間を深く意識したら、正気でいられる気がしなかった。

「この子は小春さん。今日から私の下に付いて働いてもらうことになったのよ」

さ、と紅が小春の背を軽く押す。名乗れ、と言っているのだ。

「……小春、です。よろしくお願いします」

小春はぎこちなく名乗り、頭を下げた。
この異様な集団を前に、どこから来たとか幾つだとか何が好きだとか嫌いだとか、そういった細かい自己紹介をする度胸はなかった。

「ああ、こりゃ旦那様の命令で連れて来た子じゃねえですか」
「助けていただいたお礼に働いてくれるそうよ」
「こりゃあ感心なこった」
「おまけに姐さんより若いときてる。気をつけにゃ、旦那様を取られるかもしれませんぜ」
「旦那様と私はそういう関係じゃないわよ、変な勘繰りはやめなさいっ」

わはは、と笑い声が起きる。
小春は紅と彼らの他愛ない会話を、ひたすらうつむいて聞いていた。
こうして聞いていれば、いたってごく普通の会話だ。だが現実には、美しい女性と異様な虫どもとの会話である。
人間はどんな環境であろうともいずれ慣れる生き物だが、ここで過ごすうちに、これも普通のこととして受け止められるようになるのだろうか。小春にはわからない。

「あ、あの……この人達って……」

救いを求めるように、紅の袖をそっと引く。
彼らを人と呼んで良いものかどうか迷いながら、小春は「人」と評した。人に見えぬから人呼ばわりしないというのが原因で、つまらぬ諍いが起きてはたまらないからだ。

「ああ、こいつらね。人じゃないわよ」

あっさりとした答えは、想定していたものだった。
この見た目で人だと答えられたら、小春はいよいよ自分がおかしくなったと混乱しただろう。

「あっしらのことは虫と呼んでくれればそれで通じるんでさ。それで十分でさあ」

蜂も似たようなことを言っていたな、と小春は頭の片隅で思った。人間のようにそれぞれ名前があるわけではないようだが、それを気に病む風でもないようだ。彼らにとっては当たり前なのだろう。

「それで姐さん、小春はどこに寝かせます? この部屋にはもう布団を敷く場所がありませんぜ」
「小春さんには別の部屋で寝起きしてもらうわ。あなた達なんかと一緒にしておいたら、虫臭くなっちゃうでしょう」
「はっはっは、そりゃひでえや」

聞いていると、紅は彼らのことを完全に下に見ているようだ。
幸之進に対する時はにこやかで穏やかそのものだが、虫相手だと少しばかりつんけんとした態度である。

「まあ、こいつらのことは適当に覚えておくぐらいでちょうど良いから。じゃ、寝起きする部屋に案内するわ。行きましょう」
「は、はい」

今は小春に対して優しく、穏やかに接してくれているが……これが将来、変わるかもしれない。
大人しく紅の後を付いて歩きながら、そんな事になったらと思うとたちまち心の中がざわつきだす小春だった。

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