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zoom RSS 小春奇譚 十二

<<   作成日時 : 2015/05/09 11:28   >>

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蜂が物を言う場面に出くわしたことのある人間は、果たして世の中に何人いることだろうか。まず見つかるまい。
もしもそんな経験をしたとしても、当人はおそらく自身の精神状態を危ぶみ、起きた事象について否定から入ることだろう。
また聞かされた方とて同じこと。まず信じないだろうし、主張されればされるほど相手を異常者とみなすに違いない。

小春は目を見開いたまま、身動きが取れなくなった。
ただでさえ毒のある蜂は恐ろしい。さらに付け加えて物を言うなどと、とてもではないが受け入れがたい。小春の頭脳は今、否定と拒否と拒絶のまっただ中にいた。
……無理もない。昨日まではこんな蜂、自分の世界に存在していなかったのだから。人間は、見聞きしてこなかった物事をすんなり受け入れられるようにできてはいない。
これは化け物の類に違いない、と小春は目の前の蜂を見つめた。

「ああ、紹介が遅れまして。わたくしめは旦那様のお付きの蜂でございます。名はありませんが、蜂、と呼んで下さればだいたい通じますので」

蜂の口調は文章に起こせば礼儀正しいが、音にすると道化のそれである。合間に鳴り物が入ればちょうど良さそうな、そんな具合だ。

「で、あなたの名は何と申されます?」

蜂はまるで首をかしげるように、顔を傾けてこちらを見る。
生き物が見せる人間らしい動きは時に愛らしいものだが、この時小春には得体の知れぬものとして映った。

「……こ、小春……」

青ざめ、顔を引きつらせながら小春は答える。
できれば目をそらしてしまいたかったが、強張った首筋が頑として動こうとしなかった。

「小春さまですか、そうですか。良い名でございますなあ」

そう言われても、どんな顔をしていいかわからない。名前をほめられた事はこの方一度もないし、だいたい相手は蜂である。
蜂に名前をほめられるなんて生まれて初めて――いやおそらく、今後一生ないだろう。貴重な経験ではあるが、感動したかと問われると、小春は首を縦に振る気にならない。

「ではわたくし、この辺で失礼いたします。旦那様に、あなたが目を覚ましたら知らせるよう言いつけられておりますので」

蜂が重く低い羽音を響かせ、小春の頭上まで飛ぶ。
そのままふすまの上の欄間をくぐり、向こう側へと姿を消した。確かに蜂の力でふすまは開けられまい。

小春はやっと安堵して、ため息をついた。
それから、今しがた聞き及んだ物事について思いをめぐらせた。
どうも、自分を拾ってくれたのは蜂の言うところの「旦那様」らしい。旦那様というぐらいだから当然、男なのだろう。

(あたしの体、触ったのかな)

知らない男の手が自分に触れたと思うと、薄ら寒さを覚える。
ひょっとしたら使用人か誰かに世話をさせたのかもしれないが……そいつが男ということも十分あり得るのだ。

(気色悪い)

小春は縮こまって、腕をさすった。
とにかく助けてもらったことは事実なのだから、礼を言わなければならない。人としては大事なことである。

つい、とふすまが開くのを見て、小春は慌てて座を正し、指をついて頭を下げた。
礼儀作法としては布団から出るべきだった、と気づいたのは頭を下げた後のことである。

「こ、この度は、助けていただいたそうで……ありがとうございました」

頭を下げたまま、小春は震えた声で礼を述べた。
またしても垂れた髪でふさがった視界。その合間に見える指先には、緊張で力がこもっている。

「おやおや、これはご丁寧に」

穏やかな、おっとりとした口調の若い男の声が返ってきた。
小春は意外だと思った。
旦那様と呼ばれているのだから、少なくとも中年以上の年齢だろうと予想していたからだ。

「で、でも、あなた様が助けてくださったと聞きましたので」

すっと、人の座る気配があった。同時に、えもいわれぬ何とも不思議な、甘いような優しいような気持ちにさせる香りがふわりと漂ってくる。
小春にとってはかぎ慣れぬ香りだ。何せ、かいだことのある中で良い香りといえば、野の花や葬式の線香ぐらいのものだったから。
これが何の香りかなどと皆目見当もつかぬが、誰もがうっとりしてしまうような香りだということだけはわかる。
思わず小鼻をうごめかし、小春はしばし香りに酔った。

「礼には及ばないよ。事実、僕は何もしていないからね。下女に手当てするよう言いつけただけだから、礼なら下女に言いなよ」

ということは、自分の体は男に触れられてはいないということか。小春は少し、気が楽になった。

「後で紅(べに)にも合わせてやりなよ。あいつも気にしている様子だったからね」
「承りました」

蜂とのやり取りが聞こえる。

(紅さんって人が手当てしてくれたんだ)

その人にもお礼を言わなければなるまい。
どんな人だろう、と小春はちらりと考えた。こちらを気にしているということは、嫌な人間ではないと思うが。

「さあ、いつまでも指を付いていないで楽に座っておくれ。ところで、君は小春といったね」
「は、はい」

小春は思考をこちらに戻すと座り直し、ひざに手を置いた。顔はまだ伏せたままである。
顔を上げるにはまだ少々、度胸が足りない。

「君は一体どこからやって来たんだい? 確か、山の中に住んでいる人間はいなかったはずだけど」

聞かれて小春は困惑した。
村のための生け贄に選ばれ、山の神社に置き去りにされた。そこまではまだ、正直に話せる。選ばれた過程を思い出すのは辛いことだが。
問題はその後だ。太兵衛に襲われて逃げ出して転がり落ちたなどと、冷静に説明できる気がしない。一連の記憶を思い返したくもない。
小春は、ぎゅっと肌襦袢のそでをつかんだ。
何故こんな苦しい思いをしなくてはいけないのだろう。負い目を感じなくてはいけないのだろう。自分はひどいことをした方ではなく、された方だというのに。

「……あたしは、山のふもとにある村の者です」

小春はかすれた声で、簡潔にそう伝えた。

「ああ、そういえば村があったね。はいはい、あそこか。そうか、うん。なるほど」

旦那様とやらはそれでも納得した様子である。
小春はふと、疑問に思った。
先ほど彼は「山の中に住んでいる人間はいなかったはず」と言っていたが、それはこちらとて同様の認識である。
彼とおぼしき人物の話を聞いた覚えがない。山に誰かが住んでいるという話さえも。
こんな立派な部屋のある家を構えているのなら、彼は相当な財力の持ち主に違いない。おそらくは村長と同じかそれ以上だろう。
そんな人間が、誰にも存在を知られずに生きていられるものだろうか。いくら山の中とはいえ、貧しい小さな村のすぐ近くで。

「村のこと、ご存じなので……?」

顔を上げた小春は、ぎょっとした。口を半開きにしたまま、目の前の彼を凝視する。
その顔が美しいとか醜いとか、そんな理由からではない。むしろその方がまだ理解もできた。常識の範疇なのだから。

彼の体は首から下はまっとうな人間だった。体格は中ぐらいで、背丈は太兵衛よりもいくらか低い。上等な布地を使った紺色の着流し姿である。
だがその上に乗っている頭部は布の袋にすっぽりと覆われ、小さく開けられた目出し用の穴から、黒光りする眼球とおぼしき物がのぞいていたのだ。
人間ならばあるはずの白目のない眼球。小春はゆっくりと、再び顔をうつむけた。

(……この人、普通の人間じゃない)

そう直感する。
自分は、太兵衛という災難から逃れてまた別の災難に見舞われただけなのではないか。
ひざに置いた手が震えるのを、小春は感じた。


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