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zoom RSS 小春奇譚 十一

<<   作成日時 : 2015/05/03 10:45   >>

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ふと、異様なまでの息苦しさを小春は感じた。
この感覚は何だろうといぶかしみながら目を開けると、何故か真っ暗闇の中にいた。確かに自分は茂みの中にいたはずなのに。
一体これは何事か。戸惑いながら立ち上がり、小春はそうっと辺りを見回した。
……やはり、どこを見ても真っ暗闇が広がるばかりである。

こは……る……こ……はる……。

うろたえる小春の耳に、名を呼ぶ声が届いた。
それは奇怪なことに四方八方、いや、上からも下からも、まるで取り囲むように聞こえてきた。声の低さから判別するに声の主は男と思われるが、何せはっきりと聞こえないため聞き覚えがあるかどうかまではわからない。
しかし、この異常な状況で名を呼ぶのだからまともな奴ではあるまい。うっかり返事をしたら大変なことになりそうだ。
嫌な予感を覚えて、小春はその場から逃げ出した。
不思議なことに、くじいた足の痛みは感じなかった。そもそも、体全体の感覚が鈍っているように思われる。
一番それを痛感したのは、駆ける足の速さだ。とにかく足の運びが遅い。どいういうわけか足が重く、思うように走ることができないのだ。とりもちにくっついてもがく虫のようだ、と小春は思った。
おまけにこの空間。行けども行けども暗闇が待ち受けるばかりで、どこをどう逃げているのかという感覚までおかしくなりそうだ。
それでも懸命に走り続けていると、結わえられた髪の毛先をするりと何かがかすめていった。
ぎょっとして髪を押さえ、振り向いた小春は暗闇の中から何本もの腕が伸びてくるのだ。その腕がこちらを捕まえようとしているのは間違いない。

小春ぅ……小春ぅ、小春よお……。

自分を呼ぶ声が、しだいにはっきり聞きとれる大きさになった。
その声は、太兵衛のものだった。妙に間延びしているが、声の細さといい高さといい、太兵衛のものに違いなかった。

もう小春の頭には、恐怖しかなかった。
逃げなければ。隠れなければ。捕まったらおしまいだ。
なのに体は相変わらず、思うように動いてくれない。危険が迫っているというのに、なめくじと変わらないような速さでしか前へと進めないのだ。
じれったさで顔をしかめながら、それでも懸命に走っていた小春の、結わえられた髪が後ろにぐいっと引かれた。

「ひいっ!」

きっと太兵衛だ。追いついて、髪をつかんだのだ。
小春はおそらく後ろにいるだろう太兵衛から逃れようと、腕を振り回した。
なのに当たる気配がない。そこに誰かがいるのなら、ぶつかってもおかしくない距離のはずなのに。
どうして。なぜ。疑問が小春を混乱させ、恐怖心を煽る。

「誰か、助けて……助けて!!」

思わず叫んだその瞬間、真っ暗だった世界を光が刺し貫いた。
同時に、鈍っていた体の感覚が元に戻った。

――暗闇が広がるばかりの空間は、そこで一変した。

小春は、どこぞの部屋の中にいた。そればかりではなく、汚れも破れもない、真新しい布団のに寝かされていたのだ。
……先ほどの、暗闇の中での出来事は、夢だったのか。
小春は、ふーっと長いため息をついた。
心臓が早鐘のように脈打っている。なんとなくかゆいような気がして顔をぬぐうと、汗をかいていた。
泥だらけだったはずの腕がきれいになっていることに気付いたのは、汗をぬぐった手をもう一度見つめ直した後のことだった。
すり傷こそ残ってはいるが、洗ったか拭いたかしたように汚れがなくなっていたのだ。無論、小春にそんなことをした覚えはない。つい今しがた目を覚ましたばかりだから当然だが。

体を起こしてみると、ばさりと垂れた髪で視界が覆われた。結わえられていたはずだが、誰かに解かれたようだ。
視界を広げようと髪をかき上げると、指通りが滑らかで引っかからなかった。いつもなら必ずどこかしらがきしんで引っかかったものだ。どうやら体と一緒に洗われたようだ。それも傷まぬよう、丁寧に。
見れば着ている物も変わっている。今の小春は泥だらけの赤い袴と白い長襦袢ではなく、やや薄手の肌襦袢姿だ。
……拾ってくれた人が体をきれいにし、着替えさせてくれたのだろうか。
くじいた足首には布が巻かれていて、何やらひんやりと気持ちが良かった。おそらく、薬草をすりつぶした物を布に含ませて、あてがっているのだろう。小春は昔、屋根を直していて落ちたという人が、そんな手当てを受けているのを見たことがあった。

とにかくまあ、ずいぶんと親切な人に拾われたようだ。
小春は、ありがたい、という気持ちに先だって、申し訳なく思った。
辛い暮らしをしてきたせいか、親切にされるとかえって委縮してしまうのだ。素直に善意を受け取れない、とも言える。
小春はますます落ち着かなくなってきた。
知らない人の家なのだし、部屋を出て勝手にうろついて良いものではないだろう。この部屋で大人しくしていた方がよさそうだ。
だがまた寝なおすほど神経が図太いわけではなく、小春は改めて部屋の中を見回した。
磨き抜かれた太い柱。汚れのないふすま。鴨居の上には何やら竜のようなものを透かし彫りした欄間がある。敷き詰められた畳は全て真新しく、天井には蜘蛛の巣などない。ほこり一つない、掃除の行き届いた立派な部屋である。

(まるで、村長さんの家みたいだ)

……まさかここは村長の家なのか。
小春は、浮かんだ考えを否定した。
村長に自分を助ける理由はない。助けたって何の得にもならないのだから。
おそらくここは、見知らぬ誰かの家なのだろう。泥だらけの見ず知らずの小娘を拾ってくれるほど親切な誰かの。

(男の人じゃないといいな)

ぼんやりと小春は思った。
そうであって欲しかった。今は、男に体を触られたくなかった。たとえ意識のない間のことであっても。
一体どんな人が自分を拾ったのだろう、と思いを巡らせたその時、ぶぶぶぶ……という蜂の羽音が聞こえてきた。

蜂の羽音は、人間が本能的に恐れる音の一つである。毒のある蜂に刺されれば死ぬのだし、毒がないとしても痛みはあるのだという名も顔も知らぬ先祖達の経験が、自然と警戒するように仕組んでいるのだろう。
小春もぎょっとして、蜂の姿を探した。
不思議なことだが、虫というものは探すと見つからぬものである。羽音がするのだからいるのは間違いないのだが、それでも見つけられぬということはままある。
警戒して首を引っ込めながら蜂を探す小春の耳に、羽音が一際大きく聞こえた。
瞬きをした次の瞬間には、眼前に変化が起きていた。一匹の大きな蜂が空中に留まりながら、こちらに顔を向けていたのだ。その体の大きさから、明らかに毒を持つ蜂だとわかる。

小さな蜂であればまだおとなしく見ていられたものを、これでは冷静でいられない。
小春は思わず身をすくめ、蜂の動きに注意しながら、距離を取ろうと試みた。
だが眼前の蜂はまるで小春と目を合わせるかのようにして、まっすぐこちらへ飛んでくる。
矢も楯もたまらず、小春は逃げるために立ち上がった。
ここが見知らぬ人の家だろうが、もうそれどころではない。この部屋から出なければ蜂に刺されてしまう。家人に出くわしたら、事情を話そう。きっとわかってくれるはず。
だが立ち上がった途端にくじいた足首が熱を持って痛み出し、小春は布団の上にうずくまってしまった。
こうなったら人を呼ぼう、と小春が口を開きかけたその時だった。

「いやいや、そのまま、そのまま。まだ足の具合はよろしくないでしょう。旦那様の厚意です、腫れが引くまでお休み下さい」

蜂が、六本の足のうち前の二本をまるで人のように振りながら、そう流暢に喋った。

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