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zoom RSS 小春奇譚 二

<<   作成日時 : 2015/02/28 19:32   >>

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さて、件の小春である。

よもや自分が神様への生け贄にされることが決まったようなものとは知らぬ彼女は、今日も今日とて畑仕事に精を出していた。
いくら冷夏で作物の実りが期待できなかろうと、草むしりをさぼるわけにはいかない。農民の性である。

小柄な細い体にまとった粗末な服からはみ出した手足は泥にまみれ、手入れもままならず伸びた髪を無造作に束ねた小春の姿は、一言で言うとみすぼらしい。おまけに疲れ切った暗い顔が、小春を実年齢より老けさせて見せた。

だが誰が彼女を嘲り笑い、悪く言うことができようか。
楽ではない畑仕事と祖母の世話に時間を費やす日々では、身なりなどかまっていられないのだ。
若い娘として、それが辛くないわけではないが。

(草むしりが終わったら、ばあさまの様子を見に戻ろう)

家で待っている祖母のことが頭をよぎったその時、

「おい、小春」

誰やら声をかける者がいた。
小春の体がたちまち、こわばる。
小春はその声の主を知っている。だが、決して親しい間柄というわけではない――どころか、関わり合いになりたくない相手だった。

「おおい、聞こえないのか。俺だ」

声に、いら立ちがにじんでいる。
小春はぎこちなく、顔を上げた。
そこにいたのはひょろひょろとした色白の男である。背丈だけは高いため、まるでもやしか何かのような貧相な印象を人に与える。
見た目通り病弱な体質で、それが災いしてか嫁の来るあてはなかった。

名前は太兵衛。小春より六つ年上である。
ちなみに病弱さゆえに父親からは一人前とみなされておらず、先の話し合いにも加わっていない。

太兵衛は小春に対し、まるで兄か何かのように振る舞ってくる男なのだが……それは昔の話。
今となっては昔のように、素直に話をする気にも、近寄る気にもなれない。嫌悪の感情が先に立つからだ。
成長とともに、年上の人間の振る舞いが横暴に思えたり、押しつけがましく思えたりするようになるのはままあることだが、小春のそれは、明確な嫌悪である。

成長とともに抱きがちな、何となく嫌だな、と思う程度の感情に変化が起きたのは、一年以上前のことである。
畑仕事の帰りに泥まみれになった足を川で洗っていた時、ふと視線を感じて目を上げた小春は、そばの土手に太兵衛の姿を見つけた。
それだけならまだ、嫌悪には至らなかっただろうが……太兵衛は糸のような細い目で、小春の足を見ていた。
足を洗うために太ももまで着物のすそをまくり上げた、小春の足を。

あの時の太兵衛の目つきの気色悪さを、小春は忘れられない。ねっとりとからみつくような、あの目つき。思い出すだけでぞっとする。
それ以来、小春は太兵衛をできるだけ避けて暮らしてきた。
どうしても関わらなければならない時は、二人きりにならないよう注意を払った。

そんな相手を目の前にして、どうして平静でいられようか。

「お前のばあさんにも言っといたがよ、近いうち、娘っこ全員、村長のところに集まることになったそうだぞ。いつ呼ばれても良いようにしとけよ」
「わかった」

小春は顔を合わせぬまま、ぶっきらぼうに答えた。
愛想よく振る舞うことも、余計な会話もしたくなかった。
だいたい、祖母に伝えたならそれで済んだ話ではないか。急ぎというわけでもないのに、わざわざこっちにまで来なくても良いだろう。後で家に帰った時に祖母から話があるはずだ。小春の祖母は人の話を忘れるほど耄碌(もうろく)していないのだし、何の心配もいらない。
そう思うと、小春は嫌な方向に勘ぐらずにいられない。

「おいおい、もう少しこっち来いよ。話をするのに難儀だろ」

太兵衛がひらひらと白い手を振って招く。
小春はこっそりと眉をしかめた。
もう話は済んだはずだ。これ以上何を話すというのか。世間話でもしたいのか。こちらはなるべく離れていたいのに。

「ちょっくら邪魔するぜ。よっと」

なのに太兵衛はずかずかと畑に入り込んでくる。
何がそんなに楽しいのか、にんまりと笑いながら。
その笑みに底知れぬものを感じて、小春は肌を粟立てた。

「今日も草むしりか。お前、よく働くなあ」

楽しげな太兵衛の声に、小春は身をすくめた。虫唾が走る、とはまさにこのことである。

(帰ろう)

小春は太兵衛と入れ替わりに畑を出た。
本当はもう少し草むしりをするつもりだったが、明日に回しても気にならないぐらいは済んでいる。

「おい、どこ行くんだよ」
「ばあさまが待ってる」

手短に答え、小春は畑からあぜ道へと出た。

「しかし、お前も働きもんだよなあ。ばあさんの世話に畑仕事、まったく大したもんだよ」

太兵衛は鈍いのか図々しいのか、小春に連れ立って歩こうとする。
小春は振り切るべく、ずんずんと足早にあぜ道を歩いた。

「働きもんの女は良い嫁になるからなあ。俺も、嫁にするんなら働きもんが良いな……」

小春はぎょっとした。
その手首に、太兵衛の生白い指がからみついたのだ。
ひ、とのどの奥から悲鳴じみた息がもれた。

小春は思わず、その手を振り払っていた。
途端、手の甲に肉のぶつかる感触がして、頭上から「いてえ」と声がした。
無論、太兵衛の声だ。
どうやら振り払った拍子に、小春の手の甲がどこかに当たったらしい。

意図的にではないが、痛い思いをさせたのだから謝るのが筋なのだが……小春はその場から駆け出した。
謝るなんてことをしたら、こちらに非があるなんて事態になったら、あちらの立場を上にしたら、一体何がどうなるかわからない。
それこそ付け上がられておしまいだ、と小春は恐れていた。

後ろから何か聞こえたが、かまわず小春はあぜ道を駆けた。
太兵衛が追いかけてきたらと思うと、気持ち悪さと怖さで頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。
そうして家に駆けこむと、乱暴に戸を閉めてつっかえ棒をして、小春はへたりこんだ。
ここまで来れば大丈夫、という思う一方、もしかしたら家にまで追いかけてくるかも、という考えがちらついて、安心しきれない。

「小春、そんなに慌ててどうしたんだい」

かぼそく聞こえてくるのは、小春の祖母の声である。
見れば、祖母は珍しくおんぼろの薄っぺらな布団から出て何やらつづらを開けているところだった。
つづらは祖母が嫁入りの際に持ってきた物だ。個人的な物入れとして使っていたが、寝込むようになってからは祖母が開けているところを見た覚えがない。

「……なんでもない。畑仕事がひと段落したから、早く帰ろうと思って走ってきたんだ」

小春は嘘を唇に乗せた。
すっかり体の弱った祖母に、余計な心配をかけたくない一心だった。

「それよりさ、ばあさま、起きても大丈夫なの」

何気なく近付いて一緒につづらをのぞいた小春は、あ、と小さく声を上げた。
つづらには、見慣れぬ着物がたたんでしまわれていたのだ。うぐいす色の着物だ。

「こいつはね、お前のおっかさんが昔、着ていた物だよ」

小春に向かい、祖母はほほ笑む。

「おっかさんが……」

小春は母親の顔を覚えてない。物心つく前に死に別れてしまったからだ。
顔も声もわからぬ相手だが、それでも、おっかさんという響きにはなんだか暖かいものを感じる。

「お前はおっかさんよりちょっと背丈が小さいけど、すそを直せばまだ着れると思って、前々からちょくちょく手を入れてたんだ。今やっと仕上がったところなんだよ」

祖母はしわだらけの顔に柔らかいほほ笑みを浮かべ、着物を小春に差し出した。

「ほら、これ。近いうちに村長さんのところへ集まるんだろ? その時にこれを着てお行き。今持ってるやつはつんつるてんで、あちこちすり切れていたからねぇ。あんなのを着て行ったら、みっともないよ」
「ありがとう、ばあさま」

新しい着物がもらえるのは、年頃の娘として素直にうれしい。それが死んだ母親の、いわば形見だと思えば感慨深くもある。
小春は思わず顔をほころばせ、着物の袖に腕を通してみた。

「ばあさま、似合う?」
「ああ、とてもよく似合うよ。良い所の娘さんか、お姫様みたいだ」

祖母と話す小春の頭からは、先ほどの太兵衛の話はすっかり抜け落ちていた。
――村長の家に集められた後に待ち受ける運命など、知る由もなかった。

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