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zoom RSS あの時間をもう一度

<<   作成日時 : 2014/02/01 15:02   >>

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男は仕事を終えてマンションの部屋に帰宅すると、明かりのスイッチを押して中へと進んだ。
男はもうすぐ四十になろうかという年だったが、妻子も恋人もいない生活をしていた。
十年以上前に経験した苦しみが、彼に新たな恋をさせないのである。

男は、その頃一人の女性と付き合っていた。
しかし、ある時から彼女の浮気を疑い初め、ついに問いただす事態となったのだ。
その頃恋人はたびたびどこかへ出かけていて連絡がつかなくなり、彼からのデートをことごとく断っていた。
それを男は「自分に飽きて、他の男に夢中になっている」と取った。
問いただされた恋人は「もう話すことなんかないわよ」と男をにらみ、男はそれにひどい罵声を浴びせた。
恋人は部屋を出て行き――その後連絡が取れなくなった。

真相が判明したのは、恋人の亡くなった後である。
彼女はその時重い病にかかっており、余命一年もないことを宣告されていたのだ。
男の負担になりたくない一心で病気のことを隠し、自ら離れたのだと知った男は、ひどい自己嫌悪に陥った。
今さらどうにもならないと知っていても、悔やまずにいられなかった。

男はそれ以来、他の女性を思う気になれなかった。
悔やみ続けるばかりではなく、できればやり直したいと、そう思っていた。
決してかなう願いではないと知りながら。

ため息をついてネクタイを緩め、ソファーにどっかと腰を降ろすと、男はまた、息を吐いた。
風呂に入るのも食事をするのも、まずこうしてからでないと何もできない始末なのだ。
気力が湧かない、といった方が正しいかもしれない。
今日も上司から「何が楽しくて生きてるんだかわからない人間だねえ」と嫌味を言われたが、男は何とも思わなかった。
彼女のことがあってから、何もかもが虚しいばかりだった。

「おう、邪魔するぜ」

唐突に知らない誰かの声がした。
男が顔を上げると、目の前に黒い体にコウモリのような二枚の羽、そして頭に二本の角を生やした生物が立っていて、男を見下ろしていた。
いつからそこにいたのか、男にはわからなかった。

「……何だ、お前」

男は驚いたり慌てたりといった反応を見せなかった。
ぼそりとつぶやいたっきりである。

「なんだ、ずいぶん反応の薄い奴だな。こりゃ、相当きてるな」

悪魔を名乗ったそいつは面白そうに目を細め、男を見た。
男は興味がないと言わんばかりにうつむき、

「俺様はまあ、人間が悪魔って呼んでる奴だよ」
「それが何の用だ」
「いやあ、生きてるんだか死んでるんだかわからん人間がいるから、つい見に来たんだよ。なあるほど、こりゃまた、へえ」

悪魔は何やら小さくうなずくと、ずい、と顔を近づけてきた。

「なあ、お前、後悔してることがあるんだろ」

男の指先がわずかに動いた。

「だったらどうした」
「やり直しさせてやろうか?」 

男は顔を上げた。
ぽかんと口を開け、悪魔を見つめる。
男の中でやり直したいことなど、ただ一つだけである。
自分に迷惑をかけたくない一心で離れようとする恋人を、そうと知らずに浮気だと疑って罵ったこと。
もしあの時に戻れるのならと、一体何度思ったことだろうか。

やり直せるのか、あの時間を。

「……本当なのか」

警戒する気持ちはある。
代償に何を取られるのか、何か手痛いしっぺ返しがあるのではないか、考え出したらきりがない。
だがそれらを覆い隠して余りあるほど、目の前にぶら下げられた『やり直せる』という希望は魅力的だった。

「ああ。好きなだけやり直せるぜ」

悪魔は楽しげに笑っている。
男はソファーから立ち上がり、

「やり直したい。あの時に戻してくれ」
「そうか。まあせいぜい頑張れよ」

悪魔が目を閉じ、男に向かって鋭い爪のついた人差し指を突き出す。
同時に男の意識がだんだんと薄らいでいった。

――もう一度、恋人に会いたい。
意識が消えるその間際、男はその思いを抱いていた。


男が気付くと、そこは以前住んでいた部屋の中だった。
男はあの頃の自分に戻っていて、目の前にいる恋人の両肩をつかんでいた。
細い肩だった。
病気のために彼女はやせ始めていたのだ。
あの時何故、この肩の細さに違和感を覚えなかったのだろう。

「離して。もう何も話すことなんかないわよ」

恋人が男をにらむ。
自分はこの後、両肩を掴んだまま彼女を揺さぶり、罵ったのだ。
なんてひどいことをしたのだろう。
あの時の記憶がよみがえり、男は胸が痛くなった。

「……肩、こんなに細かったかな」

男は思わずつぶやいた。
恋人が、驚いた顔をする。

「こんなにやせて、一体どうしたっていうんだよ。浮気だって疑ったのは謝るよ、ごめん。だってこれ、絶対違うよな。なあ、何があったんだよ」
「私……私」
「お前、病気じゃないのか? だからこんなにやせてるんじゃないのか?」

恋人が顔をうつむける。
この時の彼女が病気を患っていたということは、もう男にとっては明白な事実である。
だが、話して欲しくて男は疑問を抱いているような風を装った。
自分のことを頼って欲しい。心を開いて欲しい。
あるいは彼女に必要と思われたい一心だった。

「何よ……人の気も知らないで」

恋人の目が、みるみるうちに水をたたえ始めた。

「私、もう、あなたに迷惑しかかけられないのよ! 死んじゃうのよ、私! あと一年も持たないってお医者さんも言ってたわ! だから、だから、私、っ……なのに、なんでっ、なんで!」

(話してくれた!)

男は感激で胸がいっぱいになった。
これで未来が変わる、男はそう確信した。

「何言ってるんだよ、じゃあ、何も言わないで俺を捨ててく気だったのかよ?」
「捨てる、って……私、そんなつもりじゃ……っ」
「迷惑なんかじゃないよ。一緒にいようよ。一緒にいさせてくれよ」

男は恋人を抱きしめた。
もう一度やり直そう。残された時間は多くはないだろうが、二人の時間を大事にして過ごそう。
腕の中で泣きじゃくる彼女の背中をなでさすりながら、男は満ち足りた気持ちだった。

その日、二人は同じベッドで眠った。
隣で眠る彼女の寝顔を見つめ、男はこれからのことを思い描いた。

明日、役所へ婚姻届を取りに行こう。
そして指輪と花束を用意して、プロポーズもちゃんとしよう。
彼女の両親にも挨拶に行こう。
父親とは「お父さん」「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」なんてお約束な展開になるかもしれないが。
彼女が病院に行く時は自分も付き添って行こう。
入院したら毎日病院へ見舞いに行こう。

そんなことを考えながら、男はいつの間にか眠りに落ちていた。

それから、どのぐらいの時間が過ぎたのだろう。
男はふと、指先に違和感を覚えて目を覚ました。

「え?」

それから、朝の光とは違う周囲の明るさに、目をしばたたかせた。
おまけに今、寝ていたはずの自分はベッドにおらず、立っている。
そして目の前には……愛しい女性。
だが、自分の手は彼女の両肩をつかんでいる。

「離して。もう話すことなんかないわよ」

同じ表情。同じ声色。
あの瞬間そのままに、恋人が男をにらむ。

(これ、は……?)

『好きなだけやり直せるぜ』――悪魔の言葉を思い出す。
悪魔は確かにあの瞬間をやり直させてはくれたようだ。
だが……これでは同じことの繰り返しではないか。

(まあ、いいや)

だが男は驚きも悲しみも、絶望する気持ちも何一つ、うっすらとさえ湧いてこなかった。
何もかもどうでもいいと思いながらの虚しい生活だったのだ。
元の暮らしになど、未練などなかった。
何より今は、この愛しい女性とずっと一緒にいられる。
これが幸せでなくて何だというのか。
たとえ同じ時間の繰り返しであろうとも。

男は恋人の両肩を掴む手をずらし、彼女の背中に腕を回すと自分の方へと抱き寄せた。
バランスを崩した恋人の体が男の方へと倒れかかる。
とたんに感じる彼女の重みが愛おしくてたまらなかった。

「ちょ、ちょっと、何よ。話聞いてるのっ?」

予想だにしなかった男の行動に、恋人が戸惑いながら声を上げる。

「……愛してるよ」
「は?」

恋人は、彼の腕の中でちんぷんかんぷんな顔をするばかりだった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
読ませていただきました。
これは!私なら絶対飽きてきてしまう。そして、なんとか時間を動かそうといろいろ試して、結局、肩を揺さぶって罵って、以前に戻る、みたいなオチが浮かびました。
この男が非凡な愛情の持ち主であることを願います。
火消茶腕
2014/02/01 18:40
感想ありがとうございます。

私も初期案はアンハッピーまっしぐらでした。
彼女が実はひどい女とか、何やっても彼女に拒否されるとか。
でも最近のニュースやら何やらで「愛ってなんだろう」と悲しくなることが多かったので、せめて物語の中ではとこのような形にしました。
名付けて「甘い地獄」ってとこですかね。
十年以上も後悔するような男だからきっと大丈夫、うん。

ではまた、お暇な時にでもいらしてください。
鈴藤由愛
2014/02/01 20:16
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