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zoom RSS 魔女の住まう森 25

<<   作成日時 : 2013/02/02 17:10   >>

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気がつくとピートは、全く別の場所に立っていた。
夜明け間際の薄青い空。立ち込める朝もやが、辺りをぼかしている。

「あ……」

小さく声が漏れた。

何度、この風景を心に思い描いたことだろう。帰りたいと痛切に願ったことだろう。
そこは、故郷の、祖父の家の前だった。

木でできた、小さな家。庭先の、さらに小さなにわとり小屋。裏手にある畑。
全て、家を出た春先とあまり変わっていない。記憶にある通りだった。

ずっと求めてきたものが、目の前にある。
ピートはたまらず、駆け出した。
吸い込む空気に混じった匂いまでもが、懐かしい。

「お兄ちゃん、まってよ」

後ろから追いかけてくるメグのことも、今は頭にない。
ピートは木のドアを開け、中に飛び込んだ。

「じいちゃん!」

中は暗く、しんと静まり返っている。

「じいちゃん、僕だよ、ピートだよ! 帰ってきたんだ、じいちゃん!」

何度も呼びかけるが、返事は無い。

(もしかしたら、じいちゃんは……)

嫌な想像が頭をよぎったその時、奥の部屋から、がたがたと音がした。
やがて開いた現われたのは、祖父だった。
家を出たあの時よりも白髪が増え、少しばかり肉がついている。

「……ピート!? それにメグじゃねえか。お前たち、一体どうしてここに?」 

祖父は驚きで目を見開き、慌てた様子で近付く。
じわり、とピートの目はうるんだ。

「じいちゃん、僕ら、ひどい目にあって……もう、おじさんの所にいたくない!」

ピートは声を詰まらせながら、必死に訴えた。

「おじさん、ひどいんだよ。毎日殴ったり蹴ったりしたんだ。お願い、ずっとこの家にいさせてよ! おじさんの所にやらないで!」
「そうかそうか、よく帰ってきたな。辛かったろう、大変だったろう」

祖父が、ピートの頭に手を載せる。

「わかった。じいちゃんが何とかするからな。安心しろ」
「じいちゃん……」

ピートは、涙をぼろぼろこぼしながら祖父にしがみついた。
祖父は、独特のたばこ臭さも健在だった。

(やっと帰ってきたんだ)

そのたばこ臭さが、家に帰ってきたことを実感させた。

――もし、その時ピートがもう少し冷静だったなら、きっと気付いただろう。
遅れて入ってきたメグが、祖父に近寄ろうとしない不自然さに。

『帰ってきやがった。借金を肩代わりしてもらう代わりに、あいつのところでただ働きさせてたのに』

ピートの頭の中に、声が響いた。
その声はまぎれもなく、目の前の祖父のものだった。

「じい、ちゃん……?」

今聞こえたものは何だろう。
ピートはおずおずと祖父を見上げる。
祖父は、「ん?」と優しげな微笑みを返してくる。
以前なら心が満たされた表情だ。
しかし、今は。

『参ったぞ。あいつ、肩代わりした分を返せなんて言ってくるかもしれん』

相変わらず祖父の声は聞こえる。
だが祖父の口は一切動いていない。

『しょうがない。まだ小さいがメグを売ろう。器量は良いんだから、その手の連中には高く売れるだろうさ』

生まれて初めて聞く、下卑た祖父の声。
気がつくとピートは、祖父の手を払いのけていた。
ばしん、という乾いた音は、意外なほど大きな音を立てた。

「どうした? 傷にでも触っちまったかな。どれ、見せてみろ」

祖父が苦笑し、手を伸ばす。
ピートは後ずさって距離を開けた。

今聞こえたのは、何だろう。
幻聴などではなく、はっきりと聞こえた。

(まさか……)

ピートは、祖父の顔をうかがうようにして見上げた。
先ほどまで流れていた涙は、もう乾いてしまった。

『まさか、働けねえような怪我はしてねえと思うが……そうだったら放り出すしかねえな』

これは――心の中で思っていることが聞こえているのか。

困惑していると、首筋の辺りが、ぎくりと痛んだ。
その痛み方に覚えがあった。
――老婆の過去を読み取った時と、同じもの。

(やめて、見たくない!)

ピートの意思とは無関係に、辺りの風景は一変した。

真夜中とおぼしき家の中。
薄暗いランプの明かりの下で、おじと祖父がテーブルについていた。

『上の方はまだしも、下の子はずいぶん小さいな。あれじゃ取り引きにならない』
『そ、そんなことを言わないで頼む。どう扱っても文句は言わんから……』
『当然だ。俺だって子供二人、引き取りたくて引き取るわけじゃないんだからな。それも兄貴の子供なんか』

おじはじろりと部屋の一角をにらむ。
そこには開いたままのドアがあった。自分達の寝室に続くドアだ。

『身にしみてわかったろ、親父。農家の稼ぎなんかいくらにもならねえんだよ。家出して商売始めた俺が正しかっただろ。真面目な働き者の兄貴じゃなく、出来の悪い怠け者の俺が、なあ?』
『いまだに根に持ってるのか。農家ってのは、畑仕事をする奴が一番偉いんだよ。本ばかり読んでいる奴は、そう言われても仕方ないんだ』
『……俺達の力関係、わかってるよな?』

おじは、祖父の眼前に皮袋をぶら下げた。
受け取ろうと差し出した祖父の手をわざと避け、床に落とす。
金属どうしのぶつかる音がして、中身について想像がついた。

『拾え。老いぼれ』

顔を真っ赤にし、震えながら祖父は拾い上げる。
祖父を見るおじの目には、情というものが一切感じられなかった。

『親父も兄貴も馬鹿なんだよ。借金こさえながら、安く買い叩かれる物ばかり作って。おまけに面倒なの二人も残して死んでりゃ、世話ないぜ』
『な……っ、死んだ家族に何てことをっ』
『あんたが言うなよ。兄貴が返すこと前提であちこちから借金した挙句、肩代わりしてくれって孫を差し出すくせに』

今見ているものは、何なのだ。
ピートは、心の中が急に空っぽになったような、そんな気がした。

家に借金があるとは知らなかった。
それをおじが肩代わりしていたことも知らなかった。
自分とメグが引き換えだったことも。

(じいちゃん……)

空っぽになった心が、黒い感情でふくらむのを感じた。
これが何を指すのか、たちまち理解できた。
自分達がおじの家で辛い目にあったのは、祖父のせいなのだ。

『頼む、あの子達の前ではこの話はしないでくれ。わしは、良いじいちゃんでいたいんだ』
『今さら体面を気にするっていうのか。まあ、こっちだって利用させてもらうけどな』

ピートは、開きっぱなしのドアの影に、何かが張り付いていることに気付いた。
よく見るとそれは、寝巻き姿のメグだった。
悲しい顔も怒った顔もせず、凍りついた目で祖父とおじのやり取りを見ている。

――あんたが選んだ現実は、あんたを裏切る。傷つける――
唐突に、老婆の言葉が蘇った。

ピートは、がくりとその場にひざをついた。
同時に、辺りの風景が元に戻る。

自分は寝ていたから、おじと祖父の間に何があったかを知らない。
だが、こっそり見ていたメグは違う。
老婆は二人の過去を見て、何があったかを知っていたのだろう。
だからこその言葉だったのだ。

「おお、どうした。腹が減ってるのか? 大変だったなあ、こんなにやせちまって、本当に……」

祖父は涙さえ浮かべている。
かつてのピートなら、何をさておいても飛びついただろう、大好きな人。
だが今は、吐き気を催すばかりだ。

どうしてくれよう。
この老人は、自分達をだましていたのだ。
借金を肩代わりしてもらうために、自分達をひどい境遇におとしめた張本人なのだ。
善良そうなふりをした、とんでもない悪党だったのだ。

(信じてたのに、大好きだったのに――!)

怒り、悲しみ、憎しみ、恨み――ぐちゃぐちゃな感情が、頭の中を、心をかき乱す。

「立てるか? ん?」

祖父が歩み寄り、手を伸ばしてくる。
ひざをついたままのピートを、起こそうとしているのだ。
懐かしみ、ずっと求めてきた祖父の手が、汚らわしく思えてならない。

(触るな)

ピートは、自力でゆらりと立ち上がった。
目の前の祖父を、力いっぱいにらみつける。

「大丈夫か? 具合が悪いなら……」
「触るなーっっ!!」

祖父を力いっぱい突き飛ばした、その途端。
真っ赤な炎が、祖父の体を飲み込んだ。

「お? お、お、おおおおっ!?」

突然のことに、頭は追いつかなかったらしい。
炎に包まれた己の体を見て、祖父は戸惑いの声を上げている。
だが、理解できようができまいが、その体は炎で焼かれているのだ。
情け容赦なく炎になぶられて、肉体が損傷していく。

「い……ぎゃああああっっ!!」

祖父は太い声を上げ、めちゃくちゃに手を振り回して炎から逃れようとする。
しかし炎は広がる一方で、たちまち老いた体を飲み込み、焼き尽くした。
その燃え方から見て、ごく普通の炎ではないことは明らかだ。
ピートは、己の両手に目を移した。
つい今しがた、祖父を突き飛ばした手を。

何がどうしてそうなったのか、わからない。
しかし、自分がこの事態を引き起こしたのだということは理解できた。

祖父の体が、どうっと床の上に倒れる。
その体は真っ黒で、顔を判別するのは困難だ。
……たいまつで打ち倒され、息絶えようとしていた時の老婆の姿が重なる。
あの時どうして、老婆は不安を煽るような物言いだけで終わらせたのだろう。何故はっきりと事実を言わなかったのだろう。
彼女なりの仕返しのつもりだろうか。

炎の勢いは衰えず、祖父の周りの床まで燃やし始めた。
放っておけば、家全体に燃え移るのは時間の問題だろう。
だがピートは、火を消す気にも、村の誰かに助けを求めに行く気にもなれなかった。

「お兄ちゃ、ん」

震えたメグの声に顔を上げると、彼女は怯えきった目でこちらを見ていた。
まるで、怪物に出会ったような。

「メグ……」

ピートはメグに向かって手を差し出した。
大丈夫だよ……そう伝えるべく、優しい微笑みとともに。
しかしメグは固い表情で首を左右に振り、後ずさる。
そこにあるのは、明確な恐怖、そして拒絶だ。

(僕はもう、一緒にいられないんだ)

ピートは、差し出した手を下げた。
言いようのない悲しみが、胸にこみ上げてくる。

「ここは危ないよ。早く逃げなよ」

何とかそれだけを言い、ピートはメグの横をすり抜け、家の外へ出た。
そして、まだ誰も目覚めぬ、朝もやの包む村を駆け抜けた。

――ピートは二度と、振り向かなかった。

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