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zoom RSS 魔女の住まう森 21

<<   作成日時 : 2013/01/05 19:55   >>

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ピートは、転げるようにして巨木の根元に駆け込んだ。
老婆のいる方から見て、巨木を盾にした形である。

「はあ、はあ、はあ……」

熱い体。耳を打つ鼓動。肺を使い潰す勢いの呼吸を止められない。
巨木にもたれかかり、ピートは呼吸が整うのを待った。
体力はもう限界だ。これ以上走るのは耐えられない。
ピートでさえそうなのだから、幼いメグはさらにきついだろう。
手を引かれているとはいえ、疲れることに変わりはない。
ピートが手を離すと、メグはクックのそばへ近寄って尾羽をつつき始めた。

「ピート、さっきのやつ、まだ持ってるか」

クックが尋ねる。
さっきのやつ、とはおそらくマッチのことだろう。
ピートは声を出すのも辛く、うなずいて返事を済ませた。

「あの大きさの火じゃ、どうにもならねえ。どうにかして大きな火にしねえと」
「……薪でも、集めるの……?」

まだ整いきらない息の中、ピートは巨木から身を起こす。
視界に、一本の枝が映ったためだ。
ピートの上半身ほどの長さと手首ほどの太さの、大ぶりな枝である。
拾い上げてみると、ずしりとした重みがあった。

巨木から、わずかに顔を出してみる。
すると、赤く染まったとげだらけの草むらと老婆の戦う様が見えた。
草むらは四方に広がり、まるで壁のように立ちはだかっている。
老婆が不思議な薄い刃を放ち、それを切り裂く。
草むらは短くなった部分をすぐさま再生させ、伸ばした先端を鞭のようにしならせて老婆を打ち付ける。
それが延々と繰り返されているのだ。
まるで、自分達を守る壁のようだ――頭に浮かんだ考えを、ピートは打ち消した。
草むらは、単に生き延びようとする生物の本能で行動しているに過ぎない。
自分に都合のいい解釈は、誤りだとわかるまで幸福でいられるが、その後に失望が待っている。
ピートは目を伏せ、木の陰に戻った。

「薪なんぞ集めてる場合じゃねえ。うろうろしてると、ばばあに狙い撃ちにされるぞ」

クックが目を閉じ、くちばしをなでている。
その様は、あごに手をやりしかめっ面で悩む男を思わせた。
ということは、手近なところで燃やせる物を探さなくてはならない。
今ピートが持っている物といえば、マッチと紙切れ、たった今拾い上げた枝、そして上着ぐらいのものだ。
紙切れは最適だろうが、あっという間に燃え尽きてしまうだろう。
枝だって、この大きさと太さではマッチ程度で火をつけらる代物ではない。
むしろ、この枝に上着を巻き付け、火をつけるのが最良と思われる。
ただ、布はそれ単体では燃えづらく、マッチ程度の火種では大きな火になるまで時間がかかってしまう。

「……油があれば、なあ」

思わず呟いたその時、メグがスカートのポケットから何かを取り出した。

「お兄ちゃん」

メグはピートに向かって、ずい、とそれを突き出した。
それは、薄紙に包まれた物体だった。
開いてみると、四角い小さな白い物体がごろごろと出てきた。
指でつまんでみると、ぐにゃりとした弾力と共にべとりとした液体がにじみ出る。
よく見れば、薄紙の液体を吸った部分が半透明になっていた。

「これって……」
「あぶらみ……えさに入ってたの……」

メグが、ぽつりと告げる。
おそらくベーコンの脂身だろう。
いずれも一度火を通した跡があり、わずかな肉のかけらがついている。

「どうして、こんな物を持ってるんだ?」
「後でなめようって、とっといたの」

油という言葉から、脂身のことを思い出したのだろう。
犬のえさに手を出すだけではなく、その中からさらに食べ物を残しておくなどと。
ピートは、自分達を取り巻く環境がどれほど惨めだったかを改めて思い知らされた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません」

メグは震えながら両手で頭をかばう姿勢を取った。
手の下から、唇を強くかみしめているのが見える。
今の彼女の意識の中に、ピートはいない。
……申し訳なさよりも、恐ろしい記憶に捕らわれているのだ。

「怒ってない。怒ってないよ、大丈夫だよ、メグ」

ピートはなるべく優しい口調で語りかけ、メグの手をそっとつかもうとして――やめた。
こうなったメグに触れると、余計に混乱させてしまうのだ。
落ち着かせてやりたいのに、恐怖を取り除いてやりたいのに、そうするわけにはいかないのだ。
やっぱり自分は、役立たずで不甲斐無くて情けなくて駄目な奴だ――この状況になると、ピートはいつもいつも自己嫌悪に陥らざるを得ない。

「心配すんな、怒ってねえってよ」

クックが、メグの体に己の体を押し付けている。
彼なりに気を静めてやろうとしているのだろう。
だが、メグはやはり押し黙って震えるばかりだった。

今は感傷にひたっている場合ではない。窮地を脱するのが先決だ。
ピートは手の中の包みに目を落とす。
一度火を通したとはいえ、まだ使えるだろう。
脂身から出る物だって、油には違いないのだから。
これを使えば、大きな火を生み出せる。

ピートは上着を枝にかぶせ、袖をぐるぐると巻き付けてすそを縛り付けた。
即席のたいまつの完成である。
上着部分に脂身を何度もなすりつけ、マッチをすって包み紙に火を灯し、近付ける。

(燃えろ)

その一心で、灯した火に目をこらす。
目をこらしたところで火が大きくなるわけでも、あっという間に上着に火が行き渡るわけでもない。
それでも、そうせずにはいられなかった。
たちまち包み紙は黒く燃え尽き、ちりちりと布を焼いていく。
だが、一本のマッチから生じた火の力だけでは勢い弱く、炎が立つことはなかった。

(燃えろ)

ピートはすぐさま脂身をすりつけ直した。
熱を持った布地に触れて、脂身がじわりと油を布地ににじませる。
先ほどよりは火の付きも良いだろう。
すかさず、もう一本マッチをする。
思った通り、赤い火がゆらゆらと揺れながら上着の表面をなめ始めた。

(燃えろ、燃えろ、燃えろ)

ピートは夢中で、燃える火の近くに脂身を置いた。
そして、消してしまわないよう慎重に、だが確実に火が育つよう、息を吹きかける。
火の勢いが弱くなったら、その度に新たなマッチの火をつけ足す。

どのぐらい、その作業を続けていたのだろう。
やがて小さかった火は炎となり、巻きつけた上着全体に行き渡った。
ピートは安堵の息を吐く。
もしかしたらマッチを使い果たしても駄目かもしれないと思ったが、残りあと一本を残したところでどうにか炎は完成してくれた。

「おおっ、やったなピート! これならばばあでも簡単に消したりできねえぞ」

クックがはしゃいで両羽を広げる。
その時、ぶおんっ、と空を切る音がした。
次いですぐそばの地面がえぐれ、もくもくと土煙が上がる。

「何だっ!?」

木の陰からそっとうかがい見ると、あの草むらが数本だけを残して失われているのがわかった。
草にはもう、再生する力は残っていないらしい。
残った数本も、力なくうごめくばかりだった。

「ははは……これで終わりだよ、ピート! 切り刻んでやる!」

白い髪を振り乱し、狂ったように老婆が笑っている。
――ついに、対決の時が来たのだ。
殺意で目がくらんだ彼女に、もはや説得や命乞いは通じまい。

「クック。メグのこと、頼むね」

ピートは目を閉じて短く息を吐くと、木の陰から飛び出した。

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