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zoom RSS 「愛してるよ、マリー」 7<最終話>

<<   作成日時 : 2012/04/07 18:26   >>

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――屋敷の火災は、どうにか敷地内で収まった。
だが一階部分は完全に焼けており、二階も真っ黒になってしまったため、屋敷は建て直さなければならないだろう。
幸い、数名の怪我人が出たものの、死人は出なかった。
使用人達は総出で燃えかすを消して回り、後始末に追われていた。

執事――ジョンは庭の噴水の石のふちに腰かけ、深くうなだれたまま何も言わなかった。
マリーはそのそばに立ち、悲しげな目で彼をじっと見つめていた。
老いた執事だとばかり思っていた人物が、実はジョンだったとは。
尋ねたいことは山ほどあった。
何故、そんな偽りをしていたのだろう。
あの地下室で聞いた声は、一体何だったのだろう。
だが、何から口にすればいいか、マリーにはよくわからなかった。

「……ジョン」

マリーはそっと、ジョンの肩に触れた。
ジョンの体がかすかに震え、強張るのがわかった。

「ごめんなさい、私、全然気が付かなかった……」

マリーは目を伏せた。
ジョンが執事と名乗って現れたあの時、ちらりとでも疑っていれば、もしジョンだと気付いていれば、状況は違ったのだろうか。

「謝るな。今の俺を見て気付く奴なんか、いやしないんだ」

ジョンの、元の声とは似つかぬしわがれた声が力なく答えた。

「まだ若かった奴が、こんなよぼよぼのじいさんみたいになって帰ってくるなんて、誰が想像すると思う? 信じやしないよな、そんな話」

マリーは、自分の前に現れた時に名乗らなかった理由を悟った。
変わり果てた姿を衆目にさらすことでさえ大変な苦痛だろうに、どうして名乗れようか。
自分の身に置き換えてみれば、それがよくわかる。
それをわざわざ問いただすのは、彼をひどく傷つける行為のように思えた。

「味方に助け出された時、誰も俺だって気付かなかった。隊長の名前と出身の町を言って、色々取り調べをして、ようやく俺だって証明されたぐらいなんだ。お前だって、気付かなかっただろう。それぐらい、俺は変わり果ててたんだ」

確かに、ジョンが執事だと名乗って村に来た時、自分は何の疑いもなくそれを信じた。
声が変わり、しわだらけの顔で変装をしていたとはいえ、顔立ちそのものは変わっていないはずなのに。

「敵に捕まって、毎日拷問にかけられて……お前のことばかり考えていた。お前が……」

ジョンはゆるゆると頭を振り、ため息をつく。

「俺が死んだら、お前がどうするか、そればっかり気になってた」
「そんなの決まってる。私、一生お嫁に行かないで生きてくわ」

マリーは間髪おかずに告げる。
それは全くの本心からだった。

「お前がそうでも、他の連中が言い寄ってくるかもしれないだろう」

ジョンはうつむいたまま、目を合わせようともしない。

「だから死にたくなかった。死んだら、生きている人間とは関われないから……」

拷問にかけられる事が決まった時、ジョンは何としてでも生きて帰ることを決意したのだという。
マリーの元へ帰るために。もう一度、抱きしめるために。
だがその意思を貫き通すのは、並大抵のことではなかった。
拷問にかけられる日々は、自身が味わう苦痛にとどまらず、同じ部隊の仲間が悲惨な目にあう様を見せられる日々でもあったのだ。
ある者は死に、ある者は狂い、ある者は肉体を欠損し……そんな、汚水の底を這いずりまわるような毎日が続いた。
いっそ狂ってしまった方が楽だっただろう。しかしジョンはそうしなかった。
正気を保っていなければ、再会できたとしても意味がない、と考えたのだ。
仲間があらかた潰れていく中、狂気と正気の境目の、ぎりぎりの位置に立ちながら、彼は自我を保ち続けた。
その代償のようにして、拷問から解放された時、その肉体は老人のようになっていた。

「だけど、いざ生き延びてみたら、お前にこの姿をさらして、ジョンだって言うのが、怖くなった。片耳をなくしただけなら、まだ良い。でも、こんな、よぼよぼのじいさんみたいになった俺を見て、嫌われたら、捨てられたらって思ったら……お前に会いたい一心で、あの地獄を生き延びたのに……こんな姿になってまで生き延びたのに、その俺を拒絶されたら、一体どうしたら良いんだよ!?」

ジョンが唇をかみ締め、乱暴に目をこする。

「だから、昔の俺の声を出せる奴を探して、雇った。顔もわからないような暗い所でしか会えないってことにした。これで全部うまくいくと思った。お前も俺も傷つかないで済むって、そう思った」

(ジョン……)

マリーの目に、みるみるうちに涙が溢れ出した。
ジョンが嘘をついていた事には違いないが、責める気にはなれない。
その嘘が、傷付きたくないという一心からの、恐れや弱さからくる、不器用な嘘だと思えばこそ。

着飾らせても浮かない顔をした事。遮光眼鏡の事。「ジョンは私に会いたいと言わない」と泣いて走り去った事。
頭の中で、様々な場面が頭をよぎる。
執事としてそばに立っている間、それらの瞬間にジョンは一体何を思っていたのだろう。

「なのに……俺はお前のそばにいるだけじゃ足りなくて。俺以外の誰かがお前に「愛してる」って言うのが耐えられなくって。そいつを首にしてからは、嘘に嘘を重ねて……その挙句が、このざまだ」

ジョンが、ふらふらと立ち上がる。
うつろに遠くを見つめたまま、おぼつかない足取りで歩き出す。

「俺、あの時死ねば良かった。そうすれば、今、こんな惨めな思いをしなくて済んだんだ。じいさんみたいな姿になって、嘘をついて、それがばれて……ハハ、必死こいて生き延びて、何の意味があったんだろうな」
「ジョン!」

マリーはジョンの背中にしがみついた。
このまま、彼がどこか遠くへ行ってしまいそうで、それがとてつもなく恐ろしかった。

「そんなの嫌よ。ジョン、あなたが死んだら私、どうしたらいいかわからないわ。お願いだから『死ねば良かった』なんて言わないで!」

ジョンの服をつかみ、がくがくと揺する。

「マリー……」
「あなた、言ったじゃない! 絶対に生きて帰ってくるって、だから待っていてくれって、言ったじゃない! 私、あなたのことが大好きだから、その言葉を信じて待ってたのよ」

ジョンの歩みが止まる。
ぎこちない動きで、こちらに顔を向けるのがわかった。

「なのに、死ねば良かったってどういうことなの? そんなのあんまりよ。何の連絡もなくて、私のことなんかどうでも良くなったのかもって不安だったけど、でも、二年半も待ってたのに!」

支離滅裂とわかっていながら、言葉を止められない。
二年半と、それからもう少しの日々、交わすことのできなかった分の思いが爆発していた。

「マリー。今の俺じゃ、お前に釣り合わないだろう。お前は若い娘だけど、俺はもう、見た目だけならじいさんだ。だから、だから……」

ジョンは辛そうに顔をゆがめる。

「私は」

しゃくり上げながら、マリーはまっすぐにジョンの目を見た。
呼吸がなかなか整わず、言葉をつむぐのに苦労する。
言いたいことがあるのにと思うと、じれったくてたまらない。

「私は、それでも一緒にいたいの。それじゃ駄目なの?」
「……マリー……」

ジョンの手が、おずおずとマリーの髪に触れる。
その手が頬にすべり落ち、なでさする。
若々しさを失い、かさついて、ざらざらした感触の手だ。
しかしその温もりは、昔とちっとも変わっていない。
二度、三度とマリーの頬をなでるうち、ジョンの目に涙があふれていくのを、マリーは見た。
そうしてどのぐらいの間、マリーの頬をなでていただろう。
ジョンはそっと、マリーを抱き寄せた。

マリーは身を預け、彼の心臓の鼓動を聞いた。
命の証。ジョンは生きているのだ。今、目の前にいて、呼吸をして、存在しているのだ。
それは暗がりの中で、声を聞くだけではわからないものだ。

「愛してる」

ジョンは泣いていた。
身を震わせ、顔をぐしゃぐしゃにして、泣いていた。

「愛してるよ、マリー」

抱きしめてくる腕に身を任せながら、マリーも泣いていた。
ずっと求めていたものが、ようやく得られた。
ジョンが帰ってきたんだ……そうマリーは実感した。



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