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zoom RSS I氏と魔法のなべ

<<   作成日時 : 2010/10/02 14:06   >>

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その男の名を、仮にIとしよう。
I氏はごく普通のサラリーマンで、その日、深夜までの辛い残業をこなして帰宅するところだった。
途中で寄ったコンビにで買った缶ビールとつまみの入ったビニール袋をぶら下げつつ、早く風呂に入って酒飲んで寝たい、という一心で歩いていると、

「もしもし、そこの方」

と、声をかけられた。
立ち止まると、いつからそこにいたのか、一人の物売りが道端に座っていた。
その前に広げられた布の上に、売り物が並んでいる。
売り物は包丁やまな板、お玉、なべといった調理器具ばかりだった。

「お一つ、いかがですか」
「いらないよ」

I氏は手を振り、通り過ぎようとした。
深夜までの残業となると、「帰りが遅い」とおかんむりな妻をなだめるために、土産を買って帰る者もいるだろう。
だがその土産には妻の喜びそうな物を選ぶべきであり、おまけにI氏は独身で実家暮らしの身の上で、帰りの遅さをわびる相手もいないかった。

「まあまあ、そんなこと言わずに。説明だけでも聞いてくださいよ」

物売りは人なつこそうな笑顔を浮かべ、I氏に近寄った。
そして、やや深いなべを差し出した。

「なべなんかいらないよ。家にはまだ使ってないのもあるんだから」

I氏の話は事実である。
十年ほど前になるだろうか、結婚式の引き出物でもらってきてそのまま、というなべが二つか三つあるのだ。

「いえいえ、これはただのなべじゃないんです。実はこのなべ、秘密があるんですよ」

物売りは急に真顔になると、声をひそめた。

「実はこのなべ、何でも一つ、一番最初にゆでた物を、毎日毎日出してくれる魔法のなべなんですよ」
「一番最初にゆでた物を出すって、そりゃ一体どういうことだ?」
「ですから、申し上げた通りですよ。玉子をゆでれば玉子を、パスタをゆでればパスタを、毎日毎日食べられるってわけです。あ、出てくる量は、最初にゆでた時のものですよ」

I氏はその言葉に、あごをさすった。
好きな食べ物をそのなべでゆでれば、毎日食べられるというのは、食べるのが何よりの楽しみ、という人にとっては実に魅力的な話だろう。
しかし、I氏はそんなに食べ物に執着心がない男である。
食べ物よりは、むしろ――。

「そのなべで金をゆでたら、どうなる」

I氏が魅力を感じるのは、食べ物より金だった。
実家暮らしとはいえ、毎月の給料を入れている身分としては、食べ物よりも自由に使える金の増額が何よりの望みである。

「はい、毎日毎日、その時ゆでたのと同じだけの金が、なべから出てきますよ」

物売りは言いよどむこともなく、あっさりと答えた。

「でも、本当かな。証拠もありゃしないし、嘘なんじゃないのか」
「嘘なものですか。もし不満なら、返品していただいて結構ですよ。お代もちゃんとお返しします」
「あんた、いつまでここで売り方をしてるんだ」
「そうですねえ、三日後には別のところで商売させていただこうかと思っています」

それなら、損はしなさそうだ。

「……いくらなんだい」
「はい、お客様が今お持ちのお金の半分をいただきます」
「ずいぶんあいまいな代金の決め方だなあ」

I氏が財布をのぞくと、二千円が入っていた。
こうしてI氏は千円で、その魔法のなべとやらを買うことになった。

明日のうちに銀行からお金を下ろしてきて、鍋でゆでて大金持ちになってやる。
家へ向かうI氏の足取りは、それまでとは打って変わって軽やかになっていた。


その二日後。
物売りのところへ、I氏が悲壮な面持ちでとぼとぼやって来た。
それに気付いた物売りが立ち上がると、ずい、となべを突き出し、「返品」とだけつぶやいた。

「返品でございますね?」

物売りが確認すると、彼はこくりとうなずいた。

「ゆでた物が、出てこなかったんでございますか」
「いや」

I氏はよりいっそう、悲壮な顔をした。


「寝て起きたら、煮沸消毒だって、じいさんが鍋でふんどしをゆでてやがった……」

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
あはは。これ、とってもおもしろいですね。
たぶん失敗するっていうオチなんだろうなって思いましたが、まさか“ふんどし”は思いつかないですよ。楽しいな、楽しいな。
七花
2010/10/24 12:02
ども、いらっしゃいませ。
えへ。オチは最初、なんてことない平和なゆでたまごオチでした。
が、不意にひらめきました。
神様のいたずらか悪魔のささやきに違いありません。
鈴藤 由愛
2010/10/24 15:52
お久しぶりです。
じいさんがふんどしって、最高のシチュエーションですね(笑)I氏の情けない顔を想像して噴き出しちゃいました。
神様の恩恵、すごいです。GOOD JOBならぬGOD JOBですね(笑)
ia.
2010/11/06 01:48
ども、お久しぶりです。
私の頭の中では、お湯の入った鍋にふんどしを投入しようとしているところにI氏が遭遇、思わず「やめろおおお!」と叫んで駆け寄るも間に合わなかった、という具合に再生されます<シチュエーション
神様ありがとう。できればまた何か授けてください(他力本願)
鈴藤 由愛
2010/11/06 10:30
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