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zoom RSS E氏は数学を愛す

<<   作成日時 : 2007/11/23 22:50   >>

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その男の名を、仮にEとしよう。

E氏は数学者である。
いくつもの未解明の数式を解き、学会では名が知られた存在だった。
だった、と言うのは、彼が故人だからである。
いかに優れた数学者と言えども、交通事故にあえばひとたまりもない。

と言うわけで、E氏はあの世にやってきた。

どこをどうして、という記憶はない。
気がついた時には巨大な門の前に立っていた。
やがて、その門が開く。
まぶしい光が目を貫き、その光にようやく目が慣れた頃――背中に白い翼を背負った若者が立っていた。
E氏はそれを『天使』と認識した。

「五十三年の人生、お疲れ様でした」

天使は、にこやかに告げた。

「で、天国と地獄、どっちに」
「今すぐ生き返らせてくれ!」

天使がまだ言い終えないうちにE氏は声を荒げた。

「ちょっと〜……」

天使が不満げにE氏を見る。

「頼む、死んでいる場合じゃないんだ! 私から人生を取り上げないでくれ」

「そりゃ、気持ちはわかりますけど……でもあなた、死んじゃったんですよ? 地上じゃとっくにお葬式も終わって、あなたの死体は今頃墓の中ですよ。確かあなたの住んでた所じゃ、死体は燃やしちゃうんでしょう? 生き返ったところで骨ですよ? ホネホネロックになっちゃいますよ?」

「私は真剣なんだ、茶化さないでくれ!」

E氏は、ボタボタと涙を流した。
悔しくて悔しくてたまらないのだ。

「一体どうしてそんなに死にたくないんです? ここから見てると皆さん、生きることにものすごくうんざりしてるのに。死にたいなんて平然と口にしてる時代なのに」
「私には、まだ解いていない数式がある。それを解くまでは死んでも死にきれない!」

E氏にとって、数学は命にも等しいものだった。
幼い頃から見た目のぱっとしない、性格もはっきり言って根暗な彼が唯一自慢できたのが、数学の出来だった。
だいたいの人間は、数学が苦手なものだ。
しかし彼は数学に関しては抜きん出たものがあり、これで一目おかれていた。

決して他人には理解されない、彼の価値観。
数学無しに自分をさらけ出すことのできない性分。

それなのに、自分から数学が失われてしまうなんて!

大人げないと言われようが、情けないと言われようが、涙を流して嘆かずにはいられなかった。

あんまり長い間、だだをこねる子供のように泣きわめいたせいだろう。
天使は頭をかき、

「わかりましたよぉ。上の人にかけあってみますから、待ってて下さい」

ため息まじりに呟き、門の奥へと引っ込んだ。
しばらくして戻ってきた天使は、

「やっぱり、生き返らせるっていうのは無理だそうです」

顔をしかめ、告げた。

「そんな、何とかならないのか!」

今にも掴みかからんばかりのE氏を「まあまあ」となだめ、天使は続ける。

「その代わり、今すぐ生まれ変わらせてくれるそうです」
「ほ、本当か?」
「ええ。ただし、どう生まれ変わるかは選べないそうですけど」

どうします?と首をかしげる天使に、E氏が「考え直したい」と答えるはずもなかった。

「今すぐ生まれ変わらせてくれ」

そう答えると、E氏の視界が真っ白に変わり、体が軽くなった。

「念を押しておきますけど、本当に、どう生まれ変わるかはわからないんですよ? いいんですか?」
「ああ、かまわない。例え歓迎されない境遇の子供に生まれようと、生まれついての障害を抱えることになろうとも、私は数学に携われるのなら幸福なんだ」
「はあ……それじゃ、始めますから」

恨まないでくださいよ、と言わんばかりの口調。

途端、空気の重みが変わった……とE氏は思った。
気がつくと、そこは門の前ではなく、別の場所だった。
視界がはっきりしないので詳しくはわからないが、手触りからいうと、どうやらタオルか何かの上に寝かされているらしい。
E氏はそこでようやく、自分が生まれ変わったのだと悟った。
そういえば、新生児というのは視力が弱いという。
だから、こんなにも視界がはっきりしないのだろう。

(新生児からの再スタートか)

再び数学者として生活できるようになるには長くかかるだろうが、それでもあきらめない。
自分は再び数学者となり、以前のように数式と共に生きるのだ。

E氏は決意に燃えた。
――目の前にいきなり、犬が顔を出すまでは。

「はじめまして、わたしのカワイイ坊や。わたしがママよ」

そしてその犬が、慈愛に満ちた目でそう言うまでは。




「はーい、今日は鈴木さんのお宅にやって参りました。なんと、こちらに天才ワンちゃんがいるそうです。では早速お話をうかがってみたいと思います。こんにちは」

「こ、こんにちは」

女子アナにマイクを向けられ、女が緊張した笑みを顔に張り付ける。

「鈴木さんの飼っているワンちゃんが天才だと聞いてやってきたんですが……」
「はい、このコがそうです」

言いつつ、飼い主は足元の犬をなでる。
柴犬と何かの雑種だろう、取りあえず日本犬の見た目ではあった。

「うちの太郎ちゃんは、算数が得意なんですよ」
「ええっ、それはスゴい! 見せて頂けますか?」
「良いですよ。太郎ちゃん、二足す四は?」

ワンッワンッワンッワンッワンッワンッ!

犬は六回きっちり吠えた。

「お見事!」

女子アナは笑顔を浮かべる。

「すごーい、鈴木さん、太郎ちゃんにどうやって算数を教えたんですか?」

「いいえ〜、それが、誰も教えていないんですよ。太郎ちゃんはお隣からもらってきたコなんですけど、息子が何気なく『一足す三は?』って聞いたら四回吠えたんです。その後何回やっても答えが合ってて。まるで、生まれつき算数がわかるみたい……」


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
嗚呼E氏の頭脳がもったいない。
でもあそこで生まれ変わる以外の選択の余地がなかったんですもんね。仕方がない。適材適所の真逆?
「博士の愛した数式」が話題になった頃、何冊か数学関係の本を読んだのですが、どんな数学者もいいところピークは30代半ばまでだそうです。儚いね。凡人のわたしなんかもうカスみたいなものです。
「やまとなでしこ」で堤真一が演じた欧介みたいな数学者いいですねえ。数学のできる男の子。なんか憧れでした。
数学がらみのお話で楽しめました。
リンクありがとう。
つる
2007/11/24 00:15
感想ありがとうございます。
ええっ、そうなんですか! 知らなかった!<ピークは30代半ばまで
うっかり五十代にしてしまった……。

私も数学とはすっかりご縁が切れてしまったようで、計算が時々怪しいです。
九九で言うと、六の段と七の段の半分あたりになると、ちょっと答えが出るのに時間がかかります。
これは、これはいけないっ!

よろしければ、またおいで下さいませ。
鈴藤 由愛
2007/11/25 22:10
ごめんね。へんな知恵つけて。
数学者として未だ証明されてないような定理の解明や新しい定理の発見をするという意味です。それはそれはやわらか頭の時ではないとだめで、結局あのフェルマーの大定理に若い貴重な時間を割いてしまって埋もれた数学者がたくさんいたそうです。
晩年は皆さん膨大な自分の論文の整理や噛み砕いたわかりやすい説明をつけたりとやはり数学から離れないようですね。だから50代でも大丈夫なんです。
つる
2007/11/26 01:21
E氏は数学を愛す プラスマイナス1/BIGLOBEウェブリブログ
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