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zoom RSS パイン缶の思い出

<<   作成日時 : 2007/08/03 22:29   >>

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むし暑い夏の日。
わたしは、母の様子を見に、実家に立ち寄ることにした。
母は今、実家に一人で住んでいる。
他に住んでいる人はいない。

実家に着くと、庭先の花壇にたくさんのグラジオラスが咲いていた。
赤、白、黄色、オレンジの色彩が鮮やかだ。
グラジオラスは、わたしの好きな花だ。
お母さんと一緒に、球根を植えたこともある。

去年より数が増えているから、お母さん、今年もまた、植えたんだなぁ。

わたしは、グラジオラスをしばらく眺めた後、玄関の引き戸に手をかけた。
……カギはかかっていない。
ということは、お母さんは家にいるはずだ。
わたしは、勝手に上がらせてもらうことにした。

家の中は、記憶にあるそれといくらか変わっていた。
テレビの位置が変わり、本棚が一つ増え、座椅子が片付けられている。

わたしは、隣の部屋に行ってみた。
隣の部屋は仏壇のある部屋で、あまり使う機会のない、いつも薄暗くてひんやりした部屋だ。
小さい時は、気味が悪くてこの部屋に入るのが怖かった。
何となく、何か得体のしれないものが、部屋の隅からぬうっと出てきそうだったから。

仏壇の前には、今年いただいたらしいお中元が置かれている。
中身が知りたくて、勝手に開けて叱られたこともあったなあ。

すっかり懐かしさにひたっていると、仏壇にお供えされたパイナップルの缶詰が目に映った。

……今年もそろそろ、何度目かのあの日を迎える。


あれは、わたしが小学校に上がったばかりのことだった。

今日のような、暑い日のこと。
その日、わたしは冷蔵庫の片隅に、パイナップルの缶詰を見つけた。
暑さにうんざりしていたわたしは、キンと冷えたパイナップルが食べたくて、お母さんに「食べたい」と訴えた。
しかし、お母さんはダメと言った。
どうしてもあきらめられず、わたしはダダをこね、ぐずり、お母さんのエプロンを引っ張り、しつこく粘った。

あの日は記録的な猛暑だったから、暑さでお母さんもイライラしていたのだろう。

「これは大事な人に出す物なの!」

わたしを、ヒステリックに怒鳴りつけた。

今にして思えば、その「大事な人」というのは、お客さんのことだったのだろう。
しかし、当時まだ小学一年生だったわたしには、そこまで察することができなかった。
ただ、言葉をそのまま受けとめた。

わたしは、お母さんにとって「大事な人」じゃないから、食べちゃいけないんだ。

そんな風に解釈した。
そして、食べちゃいけないことよりも、「大事な人じゃない」というところが、無性に悲しくて悔しくてたまらなくなった。

「お母さんのバカ! 大っ嫌い!」

わたしは感情を爆発させ、家を飛び出した。
後ろからの、「待ちなさい、どこ行くの!」という声を無視して。


だんだん、記憶が鮮明になる。

――わたしは、目を閉じた。


家を飛び出した瞬間、ぐんぐんと迫ってきたトラックの走行音。

耳障りな急ブレーキ。

ドン、という音と一緒に引っくり返った世界。


激痛。

激痛。

赤。

真っ赤。


痛いよ。

痛い。


息ができないよ。


お母さん。

お母さん。

痛いよぅ、お母さん。
お母さん……。


濁っていく視界の中に現れたお母さんは、今までに聞いたことのない絶叫を上げた。


そこで、わたしの一生は終わりを迎えた。



あれから、十年以上の月日が流れた。

お母さんは、自分の人生から楽しみを捨ててしまった。
自分が楽しんでいては、死んだ娘に申し訳ない、と考えているらしい。

そして、毎年春先にはわたしが好きだったグラジオラスの球根を植え、夏が来ると、パイナップルの缶詰を仏壇に供えて、わたしへの謝罪の言葉を口にする。

わたしは、伝えたい。
わたしが死んだのは、誰のせいでもない、と。

誰も悪くない。
お母さんに落ち度があったわけじゃない。

あれは、本当に、不幸な事故だったのだ。

だから、自分の人生を大事にしてほしい。

ちゃんとご飯を食べて欲しい。
笑って欲しい。
昔のように、鼻歌混じりで洗い物をしたり、洗濯物を干したりしていて欲しい。

しかし、わたしの声はお母さんに届かない。

わたしは、お母さんがこのまま壊れてしまいそうで、いつまでもいつまでも、あの世に行けないでいる。










青白い顔のやつれた女が、仏壇のある部屋に現れる。
女は、疲れたように仏壇の前に座ると、痛々しいほど細くなった指先を合わせ、

「ゴメンね……」

と唇を震わせた。
その時、開けっぱなしの窓から風が舞い込み、吊してあった風鈴を揺らした。

チリィン……。

涼しげな音色を聞きながら、何故だか心が軽くなったような、そんな奇妙な感覚を覚え、女はしばらく呆然としていたが……やがて、つう、と一筋の涙を頬に伝わらせた。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
桃缶ではなくパイン缶をつかったのですね。
夏向きの趣向に両方とも合うと思うけど敢えてパイン缶にした意図を知りたいです。
人によってするすると記憶の糸がたぐりよせられるきっかけっていろいろですね。物だったり場所だったり香りだったり・・不意をつかれてハッとする時ありますよね。
つる
2007/08/05 19:47
感想ありがとうございます。
パイン缶を使った理由……えー……たいした理由ではないです。
書き手の好みです。
桃よりパイナップルの方が好きなので。

記憶が不意に甦ってくるきっかけは、ホントにいろいろですね。
ただ、思い出したのが良い記憶なら幸せになれるんですが、悪い記憶だと……。
鈴藤 由愛
2007/08/06 22:06
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