プラスマイナス1

アクセスカウンタ

zoom RSS これが夢なら。

<<   作成日時 : 2007/07/05 23:03   >>

トラックバック 0 / コメント 2

仕事を終えて家に帰ると、妻と娘がリビングで言い争いをしていた。

「お母さん! 私の服をお父さんのと一緒に洗わないでよ!」
「どうしてそんなことを言うの? お洗濯ぐらいでワガママ言うんじゃありません」
「やだやだやだ、お父さん汚いもん!」
「まあっ、何てことを言うの、この子は!」

そこで私に気付いた妻が、ハッと一瞬息を飲み、それから娘を厳しい目で見つめた。

「お父さんに謝りなさい」
「絶対イヤ!」

そう言うと、娘はドスドスと足音を立ててリビングを出て行った。
しばらくした後、娘の部屋の方から、力任せにドアを閉める音が聞こえてきた。

「あなた、おかえりなさい」

いくらか強張った、暗い声で妻が言う。

「ああ、ただいま」

答える私の声も、暗い。

「あまり気にしないで。あの子、今、とても難しい年頃だから……女の子って、そういう時期、あるのよ。お父さんのことが嫌いになるの」

そう言うと、妻は「ご飯、温めなおしてくるわ」とキッチンへ向かった。

一人残された私は、ソファーに腰掛けた。

「お父さん、汚いもん……か」

改めて考えると、ショックだ。

生まれた直後、おっかなびっくり抱いたあの重み。
あやしてやるとニコニコと笑い、それが可愛くて何枚も何枚も写真を撮った。
服や靴を買ってやると、それを着て私のところに来て、「おとうさん、にあう?」とモデル気取りでポーズを取っていた。
子猫を拾ってきた時は、妻に「おねがい。ぜったい、お世話するから。だから、この子をお家で飼おうよ」と泣きじゃくりながら訴え、ついには粘り勝ちを収めた。
「今日から一人でおフロに入る」と宣言された時は、成長したんだなと思うと同時に、なんとも寂しい気持ちを味わった。

そんな、私の娘。

それが、十二歳にもなると、「お父さん汚いもん」と言うようになるのだ。
胸のどこかが、えぐられるように悲しい。

「……これが夢なら、さめてくれ」

私は、思わず呟いた。



「おい、山田! 山田!」

突然、若い男の声にひかえめな声で呼ばれて、私はハッとした。
同時に、軽くめまいのような感覚を覚える。

「ボサッとすんなよ。係長がさっき睨んでたぞ」

声をかけてきた男は、私がついているデスクの隣で、こちらを気にしていた。

「わ、悪い」

戸惑いの気持ちを隠し、軽く謝ってから、私は辺りに視線を巡らせた。

ここは……一体?

さして珍しいものがあるわけでもない、多少散らかっている点を除けば、どこにでもありそうなオフィス。
電話の鳴る音。電話応対している声。パソコンのキーを叩く音。
意識がはっきりしてくると、オフィス内のあらゆる物音が耳に入ってきた。

……夢、か。

私は、椅子に座り直し、書類を作成する作業を再開した。

そうだ、私には妻も娘もいない。
私はまだこの会社に入って間もない、独身のサラリーマンなのだから。

「おい、山田」

その時、係長が私を呼びつけた。
……正直に言うと、あまり近寄りたくない。

係長は、機嫌の良い時と悪い時の差が激しいのだ。
良い時は冗談を言ったりして笑っているが、悪い時となると、人を半眼で下から睨みつけ、まるで般若のような顔をする。
そのうえ、心ない言葉を畳みかけてくるので、実に恐ろしい。
噂によると、この部署に以前いた人間が二人、この係長が原因で辞めていったというが。

「はい、なんでしょう?」

一応社会人ということで、なんとかそれを顔に出さないようにしながら向かうと、係長はずいっと書類の束を突きつけてきた。
「山田、お前、この書類の順序バラバラにクリップで閉じただろう。まったく、人に見せるものなんだから、順番ぐらいきちんとしてくれなきゃ困るよ。見づらいったらありゃしない」

そう言われても、私は確かにきちんと書類の順番を確かめてからク、リップで閉じた。
係長が何度も何度も書類の順番のことで注意するおかげで、そこだけは本当にしっかりしているのだ。

しかし、それを強固に主張して場の雰囲気を険悪にするわけにもいかない。
会社勤めの人間というのは、何よりも職場の人間関係に気を使わなければならないのだ。

「すみません。以後気をつけます」

納得はいかなかったが、私は謝罪の言葉を口にした。
すると、係長がバカにしたようにニタリとイヤな笑みを浮かべた。

「今まで、それを何度言ったんだろうなぁ?」

――思わずぶん殴りたくなる衝動を押さえるのに、非常に非常に苦労した。

係長の説教……もとい嫌味から解放された時、私は既に一日分の仕事をしたような疲労感に捕らわれていた。
デスクに戻り、椅子に腰掛けたものの、仕事へのやる気は全く出てこない。
作りかけの書類は、次の会議で使うものなのに……。

「……これが夢なら、さめてくれ」

私は、苦い気持ちで呟いた。



ふっ、と視界いっぱいに白が広がった。
数回まばたきしてはっきりと見えたそれは、真っ白い天井だった。
体を起こそうとして、腕に突き刺された点滴のチューブに気付く。

ここは……?

天井も、壁も、床も。
全てが白で構成された空間。

――病室。

私は、その時思い出した。

数万人に一人がかかるという難病にかかり、私はこれまでの人生の大半を、こういった空間で過ごした。
原因も、そして特効薬もない難病だ。
そのため、私の入院生活は治療ではなく延命が目的のものだった。

学校にはまともに通えたことがなく、担任の先生や同じクラスの学級委員だという二人組が毎年入れ替わりでやってきて、勉強を教えたりしてくれた。
……だが、大人になると、そういった人の訪れもなくなり、私は孤独な思いをするようになった。
年老いた親に、寂しいから毎日来て欲しいとは言えない。
それでなくとも、経済的なことで随分迷惑をかけているのだから。

――ふと、先ほど見た二つの夢を思い出す。

そう、先ほど見たあの夢は。
私が望んでいた、どこにでもあるありふれた悩みを持った、平凡な生活の形だ。
現実の私は、人の言う「平凡な生活」すら手に入れられない人生を歩んでいる。

様々な薬の投与。
時間ごとの検診。
栄養やカロリーを制限された食事。
医者の許可や付き添ってくれる人がいなければ、好きなところへ出かけることもできない。

……平凡な生活が、欲しい。

痛切な思いが、胸をしめつける。

職場の上司に頭を悩ませながら、自分で働いて得た金で生活したい。
子育ての悩みを持ちたい。
自分の家庭が欲しい。

これらのうちの何一つ、私には叶えることができないのだ。

私は、我が身の惨めさから、涙を流した。
一旦涙が流れ出すと、もはや、後から後から、止まらなくなった。

「これが夢なら、さめてくれ」

私は、かすれた声で呟いた。

――しかし、私を取り囲む風景は、いつまで経っても変わらなかった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なんと言いますか
今回は
胸に痛み入りました・・・・。
平凡な生活に感謝します。
kon
2007/07/06 17:48
感想ありがとうございます。
平凡な生活って大事だよなぁ、と最近思うようになったのが今回の話のきっかけです。
疲れて荒んだ最近の社会を見てると、特にそんな気持ちになって……。

よろしければ、またおいで下さいませ。
鈴藤 由愛
2007/07/07 23:27
これが夢なら。 プラスマイナス1/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる