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zoom RSS A氏の悲劇

<<   作成日時 : 2007/03/25 22:38   >>

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仮に、彼をA氏と呼ぶことにしよう。

A氏は、生まれついての病弱な体質だったため、あまり楽しい思いもしないまま成人した人物である。
その上、成人してからも苦労は続いた。
病弱な体質が邪魔をして満足に働けず、仕方なく老いた両親の世話になる事も珍しくなかった。
そんな彼だから、望んで妻になろうとする女性などいるはずもない。

とにかく、みじめな暮らしぶりであった。


「くそう、この生活、何とかしたいなあ」

その日も、彼は固いベッドの上で熱にうなされながら、自分のふがいなさを呪っていた。
自分はこういう人間だからしょうがない、と割りきって他人に依存し続けるのを、A氏は良しとしない。
A氏の中に残ったプライドが、その環境に甘んじることを許さないのだ。

しかし、現実にはうまくゆかず、それがますますA氏を苦しめる。

「ああ……健康な体……それが手に入るなら、いっそ悪魔と契約したって構わないのに……」

A氏は、悔しげに呟いた。

「それ、本当かい」

――返事があった。
彼が寝ているこの部屋には、他に誰もいないはずなのに。
気になって視線をさまよわせると、枕元に小さな黒い生き物が立っていた。

「こ、これは……?」

A氏は、高熱で幻覚を見ているのかと思った。

「何ボーッとしてんだよ。お前の望み通り、契約を結んでやってもいいと思って、こうして来てやったってのに」

生き物はぺラぺラと喋った。
A氏は、先ほど呟いた独り言を思い出す。
契約したって構わない、と望んだ相手は……確か、悪魔、だ。

「あ、悪魔……なのか?」
「そうだ。わざわざ出てきてやったんだ、ありがたく思え」

A氏が驚き戸惑っていると、生き物……悪魔とやらは半眼で彼を見上げた。

「ったく、俺様は忙しいんだぜ。なんたって、悪魔と契約してでも成功したい奴は山ほどいるんだからな。契約すんのかしねぇのか、さっさと決めろよ」

悪魔とやらは、腕組みをした。
明らかに、イライラした様子である。

「契約すれば、健康な体が本当に手に入るのか?」

A氏はおずおずと尋ねた。
悪魔とやらは首を縦に振る。

「ああ。悪魔には不可能なんてねぇんだよ。ただし、まずは契約だ。契約してからじゃないと、何もできねぇ」

A氏は思った。
とにかく、今のみじめな暮らしを変えたいのは確だ。
これが現実なら、利用しない手はない。
もし高熱で見ている幻覚だったとしても、実害はないだろう。

A氏は決意した。

「契約しよう」
「そうかい。それじゃ、お前の人差し指を出しな」

言われて人差し指を布団の中から出すと、悪魔とやらは己の手を乗せた。
一瞬だけピリッとした痛みが走った後、悪魔はA氏の人差し指から手をどけた。

「これで契約成立だ。ああ、そうだ。契約者がやっちゃならねぇことを教えておくぜ」
「何だ、一体」

悪魔とやらは、親指で自分を指した。

「俺様……つまり悪魔と契約したことを、絶対に誰にも喋るな」
「何だ、それだけなのか?」

A氏は拍子抜けした。
魂をよこせだとか、いけにえを差し出せとか言われるものと思っていたからである。

「ああ、それだけさ。だがな……もし喋ったら、お前の体をいただくぞ」
「僕の体を食べるということか?」
「あぁ……まあ、似たようなもんだな。死ぬって言っても言い過ぎじゃあない」
「そうか……わかった」

A氏は承諾した。
どの道、このままではただみじめなだけなの一生だろうから。

「じゃ、俺様は帰るぜ。これから、せいぜい頑張るんだな……」

A氏がハッと我に返った時には、すでに悪魔とやらは消えていた。

「やっぱり、幻覚だったのかな」

呟いて目を閉じ……A氏はいつの間にかとろとろと眠っていた。


それが幻覚でなかったことを、A氏はたちまちのうちに知った。
高熱があっさりと下がり、それからは体調を崩すことなく、みちがえて健康体になった。

「お前、暇ならうちの会社で働かないか」

知り合いのツテで、定職につくこともできた。

風邪一つひかず、毎日仕事に打ち込む様は上司に気に入られ、また、仕事仲間からも信頼を寄せられた。
そのうちに、徐々に重要な仕事を任されるようになり、人生にハリが出てきた。

日々の仕事をこなす合間、A氏はふと思うのだった。

「まったく、あの悪魔との契約のおかげで、素晴らしい生活が手に入った。悪魔と契約すると、たいがいロクなことにならないらしいが、案外そうでもないようだ」


そんな生活が続いたある日、A氏は、一人の若い女性と知り合った。
女性は割合美しい方で、性格も悪くなく、何度か会話をかわし、親しくなるうちに、A氏は彼女に恋心を抱くようになった。

「ねぇ、Aさん。子供の頃ってどんな感じだったの?」

ある日、公園のベンチで隣り合って座りながら、彼女はA氏に尋ねた。

「そうだなあ……あまりいい思い出はないな。体が弱くて、学校行事とかも休みがちだったし」
「そうなの……今からは想像もつかないわね……」

いたわるような彼女の視線。
A氏は、いい気分になった。

「まあ、僕だって、今みたいに何もかも順調な生活を送っている自分なんて、想像もつかなかったよ」
「一生懸命に努力したから、今のあなたがあるのね。立派だわ」
「努力なんて……」

想いを寄せる女性から投げかけられる、いたわりの視線と尊敬の言葉。
A氏は、完全に浮かれてしまった。

だから、つい、調子づいて口にしてしまった。

「こんなこと、言っても信じてくれないだろうけど……実は、悪魔と契約したんだ。そこから、僕の人生は変わった……」

その途端である。

『喋ったな?』

いつか聞いた声がしたかと思うと、A氏を取り込囲む風景が、恐ろしい速度でぐるぐる回りだした。
どすん、と尻餅をつくと、そこは暗闇の中だった。

『お前、俺様と契約したことを誰にも喋らないって約束しただろうが。ったく、調子こいてべらべらと喋っちまいやがって』

その声の主を、A氏は思い出した。
そう、あの、高熱にうなされていた日、枕元に洗われた、悪魔と名乗ったあいつ。

――A氏の前に、ゆうらりと影が立ち上がる。

「やめろ、何をするんだ」

得体の知れない恐怖にとらわれ、A氏は叫ぶ。

『言っただろ。お前の体をいただくのさ』
「僕の体を乗っとるつもりか」
『安心しろ。お前の体の寿命が来るまできっちり生きてやるからよ。あの女も悪いようにゃしねぇよ』

影が、ゆらゆらと揺れながら近付いてくる。
両手を振りまわして追い払おうとするが、相手は影。何の手応えもない。
そうこうしているうちに、影は目の前にまで近付いてきて、A氏に両手を伸ばしてきた。

「うわああああーっっ!」

A氏の意識は、奈落の底まで落ちていった。



「Aさん、Aさん」

突然人形のように固まったA氏を不審に思い、彼女が呼び掛ける。
何度目かの呼び掛けの後、A氏がゆっくりと彼女を見た。

「あ……悪ぃ、考え事してたんだ」

先ほどまでと違い、どこか不敵な印象を与える口調。
彼女は、すぐに違和感を覚えた。

「Aさん、なんだか雰囲気が変わってない……?」
「……そうか?」

A氏は足を組み、ベンチの背もたれに両腕をおくと、彼女を見た。

「そう言えば……さっき、悪魔がどうこうって言ってたけど……何のことなの?」

やや緊張しながら彼女が尋ねると、

「悪魔ねぇ」

A氏はニヒルに笑った。
そして、彼女の耳元でささやいた。

「いるぜ。目の前に」

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